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ある夏、アルビノは「指定難病」になった

その事実に気づいたのは、もしかしたら夏ではなかったかもしれない。2015年夏、アルビノ(診断名:眼皮膚白皮症)は指定難病になった。

20歳になるかならないかの大学生の私は、パソコンの前で「嘘」と呟いた。事実が受け入れられなくて、ちょっと笑っていたかもしれない。それくらい現実味がなかった。

指定難病といったら一大事じゃないか。この通り私はピンピンしてるし、一人暮らしして大学にだって通っている。常時介護を必要とするなんてこともない。

大学に頼んだ合理的配慮は配布資料や試験問題の拡大のみ。その他に学科の先生達が年度初めに野外実習を避けるように助言してくれたくらい。その私のどこが、難病患者なんだろう?

今思えば、難病への偏見に満ち溢れている。難病患者と一口に言っても、ずっと家にいるとか、病室にこもりきりとか、そういう人ばかりじゃない。何とか治療と労働を両立させている人もいる。難病患者は思ったよりも多様だ。大学を卒業してからしばらくの後、ライターとして働くようになって、私はそういう人に会うことができた。

大学生の頃の私は難病患者とほとんど縁がなく、難病患者の暮らしについては知識が皆無に等しかった。それもあって、自分の状態と指定難病のイメージが接続しないまま、混乱した。

当時の私は、一般の高校、それもそれなりの進学校を出て、地方の国立大学にいた。いくらかの合理的配慮はあれど、健常者の基準で学ぶのは私にとってそこそこの苦痛であり誇りだった。その歪んだ構造に気づいたのは大学を卒業して数年が経ってからだ。

私は健常者相手にも十分通用する。戦える。準健常者、あるいは優秀な障害者とでも呼ぶべき危うい自信が若き日の私を支えていた。その自信を守るためには、重篤な病気を想像させる「指定難病」と私自身が接続されてはならなかったのだ。

それはまさに私が必死に守ってきたプライドの崩壊の危機だった。形を取らない言葉が溢れては消え、思考とも呼べない遠回りを長々と重ねた挙げ句、生物学専攻の学生らしく難病の定義を調べた。

難病とは、「発病の機構が明らかでなく治療方法が確立していない希少な疾病であって、長期の療養を必要とするもの」(厚生労働省)であり、指定難病はさらに以下の条件を満たさなければならない。

・患者数が国内において人口の0.1%に達しないこと
・客観的な診断基準が確立されていること

厚生労働省(少し表現を変えています。)

アルビノ(眼皮膚白皮症)の原因遺伝子は2024年現在も新たなものが同定される可能性は残っており、それ以外、網膜や脳で何が起きているのかなど、医学的にも未知の領域はある。

医学論文を検索できるサイトの一つ、PubMed Centralで「OCA」や「Albinism」で検索するとそれなりの頻度で新たな発見が報告されていて興味深い。細胞生物学を学んでいた身としても、アルビノの一人としても興味深く読んでいる。

患者数も少ないし、基準に照らせば、今まで指定難病入りしていなかったのに驚く。長期療養が必要という点には引っかかったが、症候型であればその通りなので何も問題はない。症候型のことはそこまで詳しく知らなかったので、この機会に勉強した。

それにしても、幼い頃から眼科の主治医や親に聞かされてきた病のイメージとはずいぶん違った指定難病「眼皮膚白皮症」の情報にかなり戸惑った。私を気遣うあまり、病を深刻に思わせまいとする大人達の配慮が功を奏して、私は「ちょっと他人と違うけれど、一般社会でやっていくに不足はない」と非常に楽観的で無謀な感覚で自身の病気を捉えていた。それが一転して指定難病とされ、難病情報センターのサイトでは不安を生じさせる説明がされているのだから当然動揺する。

そんな動揺もどういうわけかすぐに収まった。当時の記憶をたどると、「呼ばれる名前が変わったって、病状が変わるわけじゃないし」のようなことを言っていた。この思考の筋道に私は覚えがあった。生物学の一分野、分類学における話だ。

分類学は読んで字のごとく、生物を分類する学問だ。今は生物の遺伝子解析を用いて分類することもあるが、遺伝子の概念の前に存在していた分類学は生物の外見を頼りに分類していたのだ。遺伝子解析以前の分類と遺伝子解析による分類を比較してみると、結果に相違が現れることもある。実は意外な生物達が近縁種である、またはその逆も起こりうる。

人間である研究者にしてみれば興味深いのだろうが、当の生物にしてみれば知ったことではない。種としてどんな生物と近かろうが遠かろうが、今日もエビはおいしく、夏の虫は鳴いている。人間の大発見は、生物の営みのなかでは些事なのだ。

アルビノ(眼皮膚白皮症)についても同じことだ。人間が現象に貼るラベルが変わったところで、症状自体に変化はない。病者も人間だから社会での扱われ方は変わるかもしれないが、病気は素知らぬ顔でそこにいる。それだけだ。

そして、指定難病入りは社会的にも、個人的にも、さほど影響を及ぼさなかった。そもそもそんなニュースにアンテナを貼っている人は周りに多くないし、生物学専攻の学生にはアルビノなんてありふれた現象だ。

残念なことに、指定難病の患者であることを理由に受けられる支援はこの国には大して多くないし、数少ない支援も私の状況にはマッチしていなかった。医療費助成はありがたいけれど、そもそも定期検診くらいしか通院していないからあまり使えない。それよりも、運転免許が取れない視力への対応としての交通費助成、日焼けや眩しさへの弱さへの対策に必要な日傘や帽子やUVカット衣料の購入補助をしてくれたらかなり助かるのだが。

就職活動の際に「難病の方の肌に薬品が触れて何かあっても困りますので」と不採用にしてきた企業はあったが、何かって何なのだろうか。日焼けには弱いけれど、化粧品は敏感肌用ではなくて安価な製品を気軽に使えるし、農薬を撒かれた畑で野菜の収穫だってできる。そんなことを話す機会もなかった。

見た目のことや運転免許が取れないことで不採用にされたのは、指定難病とは関係ない。見た目や障害を理由とした不採用はあってはならないことだが、指定難病でなくても起こりうる。良くも悪くも、ラベル一つで簡単に世界は変わらない。

そう言いつつ、難病要件で都の心身障害者福祉手当を受給できるのには助けられている。都内の高い生活費を払うのをわずかに助けてくれる。その意味では指定難病入りはよかったかもしれない。

もちろん症状には何一つ影響はない。病気はあの夏を覚えていない。病者である私は覚えている。

(了)

「アルビノ」という呼称について
日本における「アルビノ」は今回取り上げた眼皮膚白皮症だけでなく、眼白皮症(こちらは指定難病入りしていない)も含む広い概念となっている。
また、海外ではAlbinoは差別表現とされ、病気としてはAlbinismや眼皮膚白皮症の英語の略称であるOCAや眼白皮症の英語の略称OA、アルビノの人を指すときにはPerson with Albinism(PWA)と表記されている。日本には独自の文脈、アルビノの人々の選択があるため国内では「アルビノ」と表記することに問題はないが、海外向けに発信する場合は注意を払うことを推奨する。

※症状や置かれている状況には個人差が大きいため、登場する症状は雁屋優個人のケースであると明記しておく。

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