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180℃見え方の違う世界が、すぐそこにあるということ


久しぶりのレイトショーで、話題の「コーダ あいのうた」を観てきた。

公開されてから早2ヶ月が経つが、やっと観ることができた。
ものすごく感動したし、書き留めておきたい想いがつらつらと出てきたので、書き進めている。


***

そんな私は、映画を定期的に観るようにしている。
というのも、友人と「本当の意味での休息ってなんだろうね?」という会話をしていた時のこと。

一日の休みがあって、友達と出かけたり、旅行に行ったり、ひたすら遊んだり、家でダラダラしたり。いろんな選択肢があるけれど、振り返って身体の疲れを完全に取れることって意外とないのではないか、と。


「自分の機嫌は自分でとる」じゃないけれど、自分なりのリラックス方法や休息を知っておくことは、とても重要なのではないかと思う。

身体のメンテナンスを定期的に行い、脳から休めてあげること。これができるかどうかで、日々のパフォーマンスも確実に変わってくる。


「じゃあ、どんな時が休息できているなと思う?」

「何も考えずに、ぼーっとできる時間。身体に力が入っていなくて、仕事やその他余計な考え事をせずに、何かに没頭できている時。」


私たちはデジタルの世界に生かされていて、いつどんな時でも通知がくるし、情報をキャッチできる状態にある。見たくない通知だって目に入る。
仕事とプライベートの境目がぼやけてしまうと、常に気を張っている状態なわけで、そりゃあ疲れるよね、と。

デジタルデトックスと呼ばれる行いがされているのも、元々ここまでデジタルに洗脳された社会でなかった時代からすればなんだか不思議な行為だけど、
一度無線のシガラミから逃れ、何にも囚われずにクリアにすること、純粋に目の前のことを楽しむこと、リラックスできることって、大切なのに意外とできていることって少ないのだと気が付いた。


私にとって「休息」と感じる瞬間は、休日の朝にひたすらに眠ること、映画と読書、料理、トレーニング、ヨガの時間。最近は温泉と岩盤浴にもハマっている。

どれも、デジタルな世界から離れた行為。
何も気にせず無心になれる時間は、何よりも大切な時間だと思う。


とても前置きが長くなってしまったけれど、
「コーダ あいのうた」、本当によかった。
映画であんなに泣いたのは久しぶりかもしれない。

ストーリーは以下の通り。

豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。
新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。
悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。

-GAGA official HPより


主人公のルビーと家族は、見えている世界、知っている世界が180℃違う。社会を生きる中で、それぞれの葛藤が垣間見える。

音が聞こえない世界で、歌というものがどういうものか分からない家族からすれば、歌を歌いたいという彼女の主張の意味が理解できない。
理解しようとしても、どうしても分からない世界が、すぐそこに広がっているのだ。


いつどんな時でも自分が心躍ることに対して真っ直ぐでいる彼女の直向きな姿勢に、心打たれた。
家族の通訳係をしていた彼女の、家族なしでは生きたことがないという不安や、守るべきものがあると責任を全うする中で、自然と自分を犠牲にしてしまう姿。

そんな姿を目の当たりにし、彼女の意思を汲み取った兄の「自分を犠牲にするな」と突き放す強く逞しい姿にもものすごく感動したし、
「私にだって自分の人生がある」と言い放つ彼女の力強いシーンには、観る人の誰もが心打たれたと思う。

私は耳が聞こえること、人と会話ができること、音楽を楽しむことを当たり前のように楽しみながら日々を過ごしているけれど、
こんな風に私にとっての当たり前が当たり前でない世界があるということを、忘れてはならないと思った。
そして日々の小さな当たり前に、感謝しなければ、とも思った。



途中、彼女のコンサートを眺める両親の背後へカメラが移り、歌の最中で突然音が聴こえなくなる演出がある。

彼らに彼女の歌声が届くことはなく、何が起きているのか分からない中で、周りにははリズムをとりながら笑顔になっている人、感動して涙を流している人がいる。それぞれが音楽をそれぞれに楽しんでいる姿。
そこで初めて、彼女の歌が素晴らしいことを知る。

その夜、自分のためにもう一度歌ってくれないかと問いかけた父に向かって語りかけるように歌う彼女と、その声を必死に理解しようと喉に手を当て目を閉じて全てを感じようと努力する父親の姿には、涙が止まらなかった。



180℃違う世界を生きていれば、お互いの葛藤がどんなものか理解し合うのは難しい。
でも、理解しようとすることをやめない限り、そこには通じ合える何かが、目に見えない何かがきっとある。

先入観を持たず、それぞれの苦しみを理解し合うこと、相手の人生を応援できることは時に難しいことなのかもしれないけれど、それができた時、ものすごいパワーに変わるのだと感じた。


180℃見え方、感じ方の違う世界がすぐそこに広がっているということ。

その違いを受け入れようと思えた時、初めて新しい世界を知ることができると思う。


YUKARI FUJII
Instagram:
@yukaringram

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