見出し画像

今年もバースデイ

 て先日また年を取った。とくに年齢非公表ということでもないが、誕生日のたびに『ファミコンと同じ年の生まれ』だと言っている気がするので、だいたいそのくらいだと察していただければありがたい。さすがに0歳児でゲーム機を買い与えられることはなかったものの、3歳のバースデープレゼントとして、当時発売されたばかりの『ディスクシステム』とともにファミコンを与えられたと記憶している。というかまだ残っている。
 ディスク読み込み用のベルトはおそらく経年劣化で傷んでいるといえ、本体自体はファミコンもDSディスクシステムもまだ動く、と思う。さすがに今のテレビだとRFスイッチによる接続はできないから断言はできない。ただ後年発売されたNewファミコンならAV端子での接続が可能なので、そいつと繋いでやればディスクシステムの方は動作させられそうだ。実は互換性があるのを近年まで知らずにいて、まだ試したことはない。ディスクカードもないし。

 初に触れたソフトが何だったか、正確には忘れてしまった。しかし幼少期の私は『ゼルダの伝説』がとても好きで、特にアイテム選択画面に色んなアイコンが並んだり、お店にアイテムが並んでいる画がお気に入りだったらしい。使っていた小さなテーブルに油性マジックの落書きがあったのをいまだに覚えている。現在と違って、その手の落書きを簡単に消せるようなアイテムもなかったのかもしれない。
 当然ながら3~4歳児の力ではクリアするのは不可能だ。というかその頃の理不尽極まりない難易度のゲームを攻略できる人材はある程度、限られていたろう。ウチの親だってべつにコンピューター詳しかったわけでもなく『指を動かすのは脳の発達によいらしい』くらいの感覚で、知育玩具として発売から3年経過してなお流行最先端のファミコンが選ばれただけだった。ほぼゲームの雰囲気だけを味わう形であり、『メトロイド』が難解すぎたためにディスク版『スーパーマリオブラザーズ』に書き換えられた経緯などもありながら、遊ぶたびに知恵熱ガンガン出した結果としてそれなりに成績もよくデジタル製品に抵抗なく、各種の遊び(等)における『ルール』をスッと理解できるという点では役に立ってくれたのだろう。少年期はかぎっ子だったこともあって、一時は依存に近かったこともあったとはいえ。

 年はnoteから離れていたので去年の話をさせてもらうと、2023年の7月から『ファミコン40周年』としてウェブサイトが設けられ、ウェブ上での色々な催しなどを通して盛り上がっている。

 7月15日のファミコン発売40周年記念日に先駆けて、4月から世界各国で順次公開されていた映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』。その日本での公開日が4月28日、なんと私のバースデーとぴたり一致したではないか。先に述べた通りファミコンと同じ年に生まれたものであるから、ファミコンが40周年を迎える時、私もまた40周年である。年々祝われることも少なくなってきたが、この年この時ばかりはマリオが花を添えてくれるというのだ。これほど胸の高鳴るバースデイがあろうか。いやない。
 2023年のその日は金曜日だった。すぐさま有休を申請して一日予定を空け、当日は朝から映画館に向かったのは言うまでもない。40年の積み重ねの先に現れた新たな映像表現とともに呼び起こされるノスタルジックな思い出、初めて観るはずだのに懐かしくてたまらない、特別な93分。今となってはマリオのゲームを遊ぶ機会もそう多くはない、けれどしっかり胸に刻まれているのはやはりミスター・ビデオゲームだ。

 れから1年が過ぎて、ファミコン40周年というひとつの『祭り』もそろそろ終わろうとしている。今年の4月28日はイベントもなく普通に仕事していたし、去年に比べれば特別感といったものはなかった。しかしながらファミコンというハード、それがきっかけとなってより広く浸透したひとつの文化、忘れえぬ体験とともに年を重ねていくのはこれからも同じで、節目を迎えるたびにこんな話をしていくのだろう。100周年を目の当たりにするのは難しいことかもしれないが、いずれ記憶から失われていく一個人の代わりに、未来へと語り継がれていってもらいたい。

 ァミコン41周年の7月にはまた、それはそれで何か書くことにしよう。どう転んでも年寄りの思い出語りにはなるだろうけれどね。
 とりあえずはひと足先に、おめでとう自分。

この記事が参加している募集

心に残ったゲーム

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

読んでいただきありがとうございました。よろしければサポートお願いいたします。よりよい作品づくりと情報発信にむけてがんばります。