親の介護食で気づいた、料理好きな私のエゴ
私は料理が好き。人に作ってあげるのも好き。
美味しいと言われることも多いし、盛り付けを習ったせいか、料理が綺麗ともいわれる。正直、そう言われると、嬉しいし、自己肯定感が爆上がりする。
でも心の中にどこかで「褒めてほしい」目的なところがあったのかもしれない。例えば、おいしそうにできた時に、SNSに料理の写真を上げること自体、承認欲求があるんだろう。自己肯定感と承認欲求は負の相関性があると思っていたんだけど。
帰省する時も、私は料理を作り両親に振る舞うのが好きだった。ただ、母が神経質で、キッチンを他人に使わせない。たとえ娘にもだ。小さい頃から。その点については、話がとても長く複雑になるので、また今度。
片づけをきちんとするからという約束をし、帰省時には、キッチンに立たせてもらっていた。もちろん、片付けくらいちゃんとできるんだけど、母は自分の方法で片付けないと気が済まないのだ。だから、私がキッチンを使ったあとは、点検をして、やり直したりしている。私はそれを見て見ぬふりをしている。もう、そんな理由で親子喧嘩をするほど、母が若くないから。
母も料理好き。だが、80を過ぎて、腰が悪くなり、キッチンに立てなくなった。だから、母が料理を作る日は、おかずの多い宅配食と違い、ワンディッシュになってしまう。チンしたご飯にレトルトをかけるとか、簡単な野菜炒めとか。複数のおかずが作れない。
最初、父は、宅配食を強く拒否した。それは、宅配食というものを嫌ったというより、認知症のせいだ。そして、今度は、母の食事を不足に感じるようになった。これも認知症のせいだ。量は絶対に母の作った献立の方が多い。ただ、いろいろな種類のおかずがあると「多い」と感じるようだ。それに、父は認知症になってから、普段と変わった食事を取れなくなった。つまり、いつもの宅配食じゃないと混乱するのだ。だから、私も帰省をしたときに、同じ宅配食を1つ多く注文して、食べる。
美味しいし、カロリー計算も、塩分計算も、刻み方や硬さもお年寄りによい。だけど、私は、耐えられなかったのだ。せっかく私がいるのに、なんで、お弁当を食べているのだ?と。
母の料理の番の日に、冷凍食品を上手に並べて、宅配食の空き容器に入れる案を思いついて試したら、大成功だった。それ以降、毎日同じ容器で食事をしている。朝は(自力で移動できないので)ベッドの近くで、昼はデイサービスで、そして夜は自宅で。それぞれ同じ器で食べる。安心するようで、ちゃんと残さず食べる。
私がせっかく行く日には、私の作った冷凍食品(笑)でいいかと、手料理を披露する機会を得た。私は手料理を小さな紙カップに分けて冷凍し、帰省する時に持って帰る。
認知症の父には、私が作っていることは内緒。だから、私はキッチンで、こっそり小さな宅配食の空き容器に詰め替える。
固いものは刻み、塩分を控えめにし、でも彩りをきれいにする。
どうせ移し替えるときに捨ててしまうのに、カラフルな紙容器にきれいに盛り付ける。
いつもの容器にいつものおかずのような感じで盛り付けるのだが、父はいつも「何だかいつもと違って美味しいな」と言ってくれる。「お前がいるからかな」とも。
私の手料理だとひけらかすどころか、手料理だと伝わらなくても、私は幸せな気持ちになる。
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