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1 学校は、うちの子の可能性をつぶすかもしれない

学校は万能な場所でも、聖地でもないので、過剰な期待はしないこと。むしろ学校のせいで息苦しくなり、こぼれ落ちてしまう子も大勢いるのです。我が子だけはそうならないと思わないで。
あらかじめ、学校というのは、そういう場所だというところを知って、学校以外にも子どもの居場所を作っておくことが大事です。

どーもー。ゆか先生です。
インターネットで文章を指導しています。
今日から7回シリーズで、Kindle出版した著書『ほんとうのにゅうがくじゅんび』の簡易版をお届けします。小学校の入学準備として、保護者の方に是非知っていてほしい話をピックアップしてお届けします。今日は第1章「学校は可能性をつぶす場所になるかもしれないということを知っておく」です。

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勉強嫌いになって出てくる!? 学校はブラックボックス

「学校はブラックボックス」これは知人の小学校教諭が使った言葉。入学する時には「勉強が楽しみ!」と期待に胸を膨らませていた子どもたちが、卒業するころには、「勉強が嫌い」「これからも勉強が続くかと思うとつらい」という状態になっているということを比喩したもの。いったいなぜ、小学校というブラックボックスから出てきた子どもたちが、こんなにも勉強嫌いになっているのか。

でも、ここで立ち止まって考えてほしいんですが、そもそもこの世の中で、何か完璧な機関ってありますかね。私は、親の学校に対する期待が大きすぎなんだと思うんです。学校に理想を押し付けている。学校とはこうあるべき、教師とはこういう人間であるべき、クラスはこうあるべき、このような幻想を描いていませんか? 学校は結構、不完全で、時代遅れで、融通のきかない場所です。もちろん、中には素晴らしい学校もあるでしょうが、最高の環境、最高の教師、最高のクラスメートを求めすぎている気持ち自体を変えた方がいいのです。

私立はともかく、公立なんて税金でやってる行政サービスです。期待して何かあった時にクレームを付けていくより、むしろ一緒に作り上げていくところに、学校という価値があるんじゃないでしょうか。学校も学校です。もっと、家庭や地域と一緒になって子育てや教育をしていったら良いと思います。「連携」なんて言葉を使って、いつまでも上から目線でいてはいけません。

リスク分散。第三の大人を探そう

仮に、学校に抜けや落ち度がなかったにしても、それでも、1つのシステムに子どもの人生をゆだねるのは、非常に危険です。保護者はリスクマネジメントをしなくては。リスク回避の基本は、分散です。いざという時に頼れる大人を複数人用意しておくのが親の役目だと思います。親と教師以外の「第三の大人」を作っておくことが大切。しかも複数人です。

学校では落ちこぼれだった人が、社会で活躍している例は枚挙にいとまがありません。それは学校以外にその人たちに居場所があったからでしょう。そして、学校以外で生きていく場所があることが、これからはもっともっと重要になっていきます。

今は学校教育法上学校として認められていないインターナショナルスクールやフリースクール、またはホームスクールからも、これからの時代、優秀な子が育つ可能性もあります。普通の学校に通う皆が「試験の為の試験勉強と試験」というテストと試験だらけの学校生活を繰り返すあいだに、その子たちは、自らの探究を突き進み、どんどん社会に貢献し、たくさん儲けるようになってくるような時代がきっと来ます。その世界には、学校というシステム以外で子どもを育てている第三の大人の存在があるのです。

地域や放課後の活動の中で、第三の大人を見つけることも可能。子供会やボランティアグループ、スポーツチームや習いごとでも、信頼できる大人がいることが、お子さんにとっても保護者にとっても、そして学校にとっても心強いこととなるのです。

本来、学ぶことは楽しいもの

ブラックボックスに話を戻しますね。学校に通うことで勉強が嫌いになるという現象。学校というブラックボックスの中では、「学び」に対する夢と希望がそぎ落とされる「何か」が執り行われているに違いありません。

しかし、もともと「学び」というものは楽しくてしかたがないものです。評価にからめさえしなければ、たとえ親が止めてたとしても、自分が知りたいことについて、子どもたちは学びを止めないでしょう。音楽やアートが好きな子なら、好きなアーティストのみならず、そのアーティストが影響を受けたアーティストについて調べる、それらの作品を真似てみるなどの行動は、興奮が収まらない感じで続けられるでしょう。星が好きな子どもだったら、宇宙についてもっと調べたいと思うのが自然ですよね。電車小僧、鉄分の多い子も然りです。算数は分からなくても時刻表を読める子、習っていない漢字で構成される駅名を読める子は大勢います。

「星はまあ、理科だからいいけど、アーティストのルーツを調べるとか、それって勉強なの?」と思った人、あなたは「『教科』以外は勉強ではない」という考えに洗脳されています。国語、算数、理科、社会……どこかに属していないものは「勉強ではない」と思っていませんか?

この教科という枠にとらわれない、子どもの探究心の方にこそ、教科の方を寄り添わせる必要があるのです。算数を勉強するために算数があるのではなく、自分の探究心や好奇心を満たすための1つの道具が算数であるのです。

学びに必要な2アイテム「学び方」と「自由を許す環境」

現代人が何かを学ぶ時や探究する時に必要なのは「学び方」と「自由を許す環境」、この2つなのではと思います。

学び方については 探究学習などを通じ、学校で教えることも多くなってきました。しかし、自由を許す環境の方は、学校ではシステム上なかなかできないと思います。学校では、ひとりひとりに合わせた学習方法で、しかも自由にその探求を進めるということが不可能な形になっているからです。

まず大きな原因は、担当児童の多さにあります。そうですね、もし、私が公立小学校で、一人一人をしっかり見ながら、ひとりひとりに合わせた指導方法をするというなら、1クラスは6人まででお願いしたいですね。そして、地域の人たちの協力も得ながら、それくらいの人数で、時間差をつけ、何組も担当するのは、可能だと思います。ただ、とにかく、一度に何十人もの児童がいる状態で、このような環境作りは、学校では難しいと思います。

学校以外で「学び方」を指導する場所として学習塾を思い浮かべる人もいるでしょう。しかし、中学受験の問題を解くのに必要なのは「早く」「正しく」答えにたどり着くスキルです。学習塾のこういった「学び方」は、私が言うところの「学び方」とはかなり異なります。

子どもの探究心がどこを向いているか、しっかり親が見極めて、本当にわが子に必要な「第三の大人」を見つけることが大切ですね。

いかがだったでしょうか。この章では「学校は、うちの子の可能性をつぶすかもしれない」について語りました。第1章は、あと3つ項目がありますが、ここから先は有料記事。次の3つの内容です。

「国語の先生が、調べごとはもうスマホですれば良いんじゃないかと思うワケ」
「まるで軍隊? 集団行動を学ぶためというこじつけ」
「学校生活に合わない子を、社会にも合わなくさせている」

上記と同じように簡易版です。全文をしっかり読みたい人は、是非、本を読んでくださいね。その方が安いかも(笑)この章を含め、全7章あります。

私の小学生コースでは、実は年長さんから教えています。オンライン保護者会もあります。どんなことをしているか、覗いてみてくださいね。

ではでは!


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