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日本は被災者を難民にしている

何も悪いことをしていない人たちが、被災する。地震、台風、大雨……。残念ながら自然災害の多い日本ではよくある光景になってしまっている。そして、住む家を失った被災者は、大抵、体育館などに避難し、その後は仮設住宅に移り、元通りとは言えない生活に戻っていく。元の生活に戻れないまま一生そこで終える人もいるほどだ。

また、直接の被害ではなく、車中泊でエコノミー症候群になって亡くなっただとか、高齢者が冷たい体育館で体調を悪化させ肺炎になって死亡しただとか、震災関連死も発生する。

私は、阪神淡路大震災の時も、東日本大震災の時も、熊本豪雨の時も、テレビなどで、体育館に避難している人を見て、いつも何とかならないものかと歯がゆい思いをしている。ただでさえ家族を失い住む家を失った人たちが、あんな冷たい体育館の床にダンボールと毛布をひいて雑魚寝をするなんて。支援物資が届かないだとか、久しぶりの温かい汁物に涙を流すだとか、10日ぶりのお風呂に感激するだとか、毎回毎回既視感が半端ない。

自然災害は止められないにしても、これは本当に、先進国の風景なんだろうか

そんな時、お昼のワイドショーで、山村武彦氏の発言を耳にした。
山村武彦氏は、日本の防災・危機管理アドバイザー、コメンテーター、ジャーナリスト。防災システム研究所所長。

今回の被災地に海外メディアが取材に来た。その人たちの感想だ。

日本の避難所は難民キャンプと一緒ですね
難民の国際基準す満たしてらいない

想定外の災害に見舞われた人たちに対して、私たちは毎回毎回、自分にできることはないかと考え、支援物資を送ったり、寄付を送ったりする。私も今回の震災では、その両方をしている。しかしそのたびに支援物資はきちんと届くのか、送ったお金は適切に早く使われるのか、不安になる。
私たちは、震災が起きるたびに、正しい物資の送り方も学習しているし、義援金詐欺にお金を騙し取られないようにするための方法も学習している。

しかし、毎回毎回、私たちを不安な気持ちにさせるのは、震災そのもというより、むしろ、国の対応のような気がする。国の方は、学習しているのだろうかと、不安になる。
もちろん日本の震災に対する対応で、実際に現場で精一杯働く人たちのことを言っているのではない。被災者を支援するシステムそのもののこと。

もちろん、災害のたびに法律も変わってきたのだろうが、そもそものこの難民の国際基準すら満たしていないと言われる日本の体育館の避難所。これは何とかならないのだろうか。

実は私も、地元の避難所運営チームに関わっているが、基本的に体育館と校庭をどう区分けするかという話になっている。

そのお昼のワイドショー番組は、そもそも避難所にプライバシーがないという主旨で話が運ばれていた。確かに外国人にとっては、仕切りもなく知らない人と一緒の空間で生活していることが、そもそも信じられないという話も分かる。何よりもプライバシーが大切だということは、日本人、特に地方の高齢者とは少し違うのかもしれないけれど。
被災地ではようやくプライベートな空間ができつつある。これまた、私の所属する避難所運営チームでも、パーテーションの話は出ているくらいだし、私は、毎回、被災地に真っ先に入り活動を続けている、坂茂先生チームを、本当に尊敬している。

それでも、私は、違和感を覚える。それは、そもそも体育館にプライバシー空間を頑張って作ることが、国の精一杯の仕事なのか?という点だ。根本的に何かが間違っていないか?と思うのだ。

そして、この「難民の基準も満たされていない」という発言は、実際に避難している人たちにとってショックだったかもしれない。でもそのショックは、この震災大国日本では、いつかは自分の番になるのかもしれない。

被災した人たちが、例えば、しばらくは地震が起きないような少し離れた都道府県で暮らせるようにする。難民キャンプのような体育館ではなく、温かで安全な場所。そこで三食きちんと食べられて、温かな入浴もできて、必要な医療や治療を受けられる。そうなってから、やっと、悲しみに向き合い、その後、将来のことも思えるようになっていくのではないだろうか。

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