見出し画像

年賀状を出すことと洗濯物を干すことをやめた

年賀状の長いタスク

生まれた時からの習慣って、当たり前すぎて変えようとすら思わない。せいぜい「もう少し要領よくできないかな」と思うだけ。

私にとって年賀状とは、12月の半ばから準備をして、住所録の整理をして、毎日何枚かずつ宛名を書き文面を書き、そして遅くともクリスマス頃までにはポストに投函するものだった。
そして元旦に届いた年賀状を見て、相手の今の様子を知り、それを楽しんだり、健康なことに安堵したりするものだった。
そして、こちらから出していない人から届いた場合は、慌てて予備の葉書から年賀状を作り、その日のうちにポストに入れる。そして、翌年忘れないよう、その方の住所を住所録に書き込む作業があった。
そして毎年お楽しみの、1月15日頃に発表される「お年玉くじ」の番号を新聞やネットで調べた。たいがい切手シートしか当たらないが(笑)

このように、年賀状タスクは、12月の半ばから1月の半ばぐらいまでの非常に長い期間続くのだ。

こんなに大変なタスクなのに、なぜ習慣化していたかというと、親がやっていたからだ。確かに時代の流れと共に、手書きの年賀状はなくなり、今はパソコンで結構綺麗な年賀状はできる。インク代のことを考えると、実は印刷屋さんにお願いした方が安いが(笑)何しろギリギリまで家でできるというのが自宅印刷の強み!とさえ思っていた。

つまり私が何を言いたいかと言うと、文明の利器に頼って、効率は良くなっただけだということ。そしてそのことになかなか気がつかないということだ。人間、効率さえ良くなればいいと思っている節がある。思考が麻痺して、もっと根本的なところを疑っていない。

川で洗う時代より便利になった洗濯

生まれた時からの習慣って、当たり前すぎて変えようとすら思わない。せいぜい「もう少し要領よくできないかな」と思うだけ。

私にとって洗濯とは、天気予報とにらめっこをしながら、洗濯する日を決め、水がグワングワン流れる洗濯機でジャバジャバ洗って、脱水してもらって、それを干すこと。干すのが一番大変で、最短でも5分はかかる。洗濯物が多い時は短くて10分はかかる。また、干すときはそれが何者なのかによって干し方が変わる。シーツなら広げなくてはいけないし、洋服ならハンガーにかけなくてはいけないし、下着類なら洗濯バサミで……という具合だ。「そんなの普通に見分けがつくでしょ」と思ったそこのあなた。もう思考停止状態。そんな話ではないのだ。
もちろん天気の悪い日や「午後からどうなるかわからない~」なんて日には、部屋干しになる。そして料理をするとその匂いが移ってしまうし、生乾きなども、「生乾き臭」という言葉ができるぐらい有名な話だ。

洗濯は実働時間が非常に長い。
こんなに大変なタスクなのに、なぜ習慣化していたかというと、親がやっていたからだ。確かに、昔の人が川で洗濯をしていたことを思うと、かなり時間短縮にはなっていると思うが、一時機械に任せることはあっても、結局干す作業は人力だ。

SNSや雑誌では「干すときにどのような形に干すと乾きが早いか」とか「洗剤はどこのが生乾きの匂いがしない」だとか、そういう話もよく見受けられる。また私が乾燥機を使っていることを話すと「いや、お日様に干すといい匂いがするよ」とか「日光消毒ってすごいんだよ」とかそういう話が返って来る。私だってその二つは信じている。その二つを味わいたい時はそうしてるよ。でも、そういう話じゃないんだよね。

つまり私が何を言いたいかと言うと、文明の利器に頼って、効率は良くなっただけだということ。そしてそのことになかなか気がつかないということだ。人間、効率さえ良くなればいいと思っている節がある。思考が麻痺して、もっと根本的なところを疑っていない。

もっと速い馬がほしい~自動車以前の世界~

私の友人には、一歩先に年賀状を出すのをやめた人と、一歩先に洗濯物を干すのやめた人たちがいて「いいからこっちの世界に来なよ」と誘ってくれた。10年ほど前、そこに行ってみたらそこは、手書きの年賀状をプリンターでする、川で洗濯するのを洗濯機でするという変化を遂げた人ではなく、何か根本的に違う世界だった。例えるなら馬の世界と車の世界の差だ。

世界に自動車を普及させた、ヘンリー・フォード氏の言葉で、次のようなものがある。

もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは「もっと速い馬が欲しい」と答えていただろう。

ヘンリー・フォード

主な交通手段が馬車だった時代「より早く移動するために何が欲しいか」と聞いた時、自動車を知らない人々は、より早い馬を求めたというたとえ話。まあ、この場合は、顧客に望むものを聞いちゃいけないっていうビジネスの話になることがほとんどだけど、私の中でこの話は、年賀状や洗濯機の話につながる。

年賀状にかかる膨大な時間をなくすためには、より便利なアプリやより早いプリンターを求めるのではなく、年賀状そのものをなくそうって話。

洗濯にかかる膨大な時間を減らすためには、乾きやすい干し方や外しやすい洗濯バサミを求めるのではなく、物干し竿やハンガーや洗濯バサミを使わない洗濯方法を選択しようって話。

もちろんデメリットはあるかもしれないよ。でも、何がデメリットなのか想像するだけになっていないかなってこと。以前の私も、例に漏れず、デメリット頭の中で暴走させてた。

年賀状を出さなくなったら、友達が減ってしまうかもしれない。親戚に失礼かもしれない。
洗濯物を外に干さなくなったら、ベランダがもったいないかもしれない。洗濯物からお日様の匂いがしないかもしれない。

でもやってみてわかった。年賀状を出さなくなっても、友達は減らないし、親戚に失礼もない。なぜかと言うと、年賀状だけの付き合いをやめたからだ。東日本大震災以降、私は会いたい人に会いに行くようになったし、年賀状でしか生存確認できなかった親戚にもリアルに会いに行くようになった。Facebookなども利用してお互いの様子も分かるようになったしね。

洗濯物を外に干さなくなったら、確かにベランダを毎日使わなくなったけど、毎日使っていたと胸を張って言える使い方じゃなかった。洗濯物を干すだけなんだもの(笑)
でも、お布団は干すし、気持ちのいい夜は、そこでお月見をすることもあるよ。
確かに洗濯物からはお日様の匂いを感じることはなくなったけど、そうしたきゃ外に干す選択肢が、私にはある。以前は、つい帰りが遅くなって、冷たくなってしまった洗濯物を取り込むことが月に1回はあったけど、ドラム式洗濯機をセットして、出かけて戻ってきたらふかふかに仕上がっているということは、その何倍もハッピーだよ。

自動車はいらない。より速い馬が欲しいというのと同じで、何か思い切った思考の変換が必要。でも、分からないんだよ。習慣の力って恐ろしいほど、思考を固定するから。だから、メリットを何回も何十回も語るの。嫌味みたいに(笑)

雨が降っても、洗濯物は、ほかほかでふわふわ♪

とか(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?