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 毎日忙しく走り続ける現代の私たち。ふと思うことがあります。いったい、どこへ向かい、なんのために毎日急いでいるのか。人生100年時代。人生が長くなった現代なのに、なぜか私たちは常に何かにせかされているような、そんな感覚があるのはなぜなのだろうかと。

 最近はかけた時間に対しての効果、タイムパフォーマンス(タイパ)重視の傾向が顕著です。できるだけ時間をかけずに、目指したいゴールに到達し、成果が得られる方法こそ価値がある…。メッセージの最後の句点すら無駄、メール一往復主義のように、潤滑油的なメールは無駄、何でも、無駄!無駄!無駄!無駄なことは一切しないという風潮です。変化のスピードが速く、膨大な情報が流れる世の中で、タイパを意識した行動が求められるのは必然なのかもしれません。でも、すべてをタイパだけで考えていては、私たちは時間に囚われ、振り回されてしまうのではないでしょうか。

 子育てにタイパの概念はそぐわない、と私は思います。しばしば家事と子育ては混同されますが、別のもの。家事はタイパを意識することは多いでしょう。なぜなら、家事はあなたにしかできない、すべてをあなたがやらなければならないというわけではないので、やり方によっては時間を節約して、こなすことができます。タイパを意識することで、子どもと向き合う時間や自分がやりたいことをする時間を増やすことができるかもしれません。

  しかし、子育てはどうでしょうか。もちろん、子どもの世話という部分では、あなたでなくてもできる人はたくさんいます。しかし、子どもにとって、親はあなたしかいないのです。あなたが主体者となって、子どもと向き合い、寄り添っていく、それも長い間。子どもは、親とは別の人格をもった人間であり、予測不可能なことばかりです。月齢・年齢に応じた成長の道筋はありますが、我が子が必ずしもそのとおりに成長するわけではありません。また、どんなに計画を立てても、準備万端にしていても、思ったとおりにならないことはよくあること、当たり前のことです。そこにタイパの概念を持ち込むと、日々、何かに追われて、苦しいだけになってしまうのではないでしょうか。
 
 子育てに正解はありません。正解へ向けて最短ルートを進むことではなく、紆余曲折、あちこちまわり道をしながら歩んでいくこと。その歩んでいく道すべてが子どもと親の成長、そして豊かな人生へとつながっていくのです。そう考えると、保育園の帰り道、道端にいるアリを見つけてしゃがみこんで観察している子どものとなりで見守る時間や、「なぜ? どうして?」を永遠とくりかえす会話に付き合う時間が、かけがえのない時間に思えてくるのです。

 親による子どもの虐待、それもエスカレートして、幼い命が犠牲となっていく、そのような悲しいニュースが後を絶ちません。そんなニュースを娘と見ていると、「ごめんね。ママ、怒りまくっていたよね」「ほんとだよ~こわかったんだから~」という会話をすることがあります。真剣に取り組めば取り組むほど、追い詰められていく子育て。今は成人した子どもたちとは、おしゃべりしたり、一緒に旅行に行ったりと仲良くしていますが、この22年間、子どもを叱りながら親子で泣いてしまうというようなことが幾度となくあったこと、子どものことで一喜一憂したり、心の底から悩んだりといった日々を思い出します。

 一人の人間を大人に育てていくわけですから、楽なはずはありません。そして、子育ては思った通りにいかないものです。だからこそ、おもしろい。子どもと向き合える、一見ムダと思える時間こそ、価値のある時間なのではないでしょうか。

☆この記事は、2023年12月に発売した著書「キャリアと子育てを両立する!自分と家族の価値軸で築く幸せな生き方」の内容を一部抜粋、内容を加筆しています。


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