私が社会のことに触れた理由と今感じていること

※前回の直接の続きではありません。
※決してコロナや例の戦争がテーマの話ではありません(苦笑)

 タイ在住の方と少し話すことができました。

 日本の常識は世界の非常識、と言われています。
 海外にいると、報道の様子もまったく違うようです。

 コロナがインフルエンザと同じレベルになりました。
 日本の右傾化は当然でしょう。危険が迫っていて、右傾化しないほうがおかしいんです。

 私が書かなくても、情報はあちらこちらから拾うことができます。
 世界が狭くならないように、情報の取り方に気をつけて、と念を押されました。
 やはりロシアのメディアは独特らしく、できれば見ておいたほうがいいみたいです。

 本当に、そのとおりなんです。
 私はもともと、そんなにニュースなんて調べるほうではないんです。

 どちらかというと、ネガティヴな思考に染まらないことのほうが、私には重要だったんです。心の基盤が整わないまま大人になってしまい、障害か後遺症のようにいつまでも影響を与えてきている分、エネルギーを整えておくことが大切なんです。

 だれでも、ネガティヴな話ばかり聴くのは、嫌だと思うんですけど、精神的な基盤が軟弱だと、特に良くないんです。
 今はJ(ときどき登場しているドイツ人の彼)の存在に救われている面もあると思っています。いろいろ違う点が多く、生易しくない挑戦なのは事実ですが。

 高校生くらいのころ、私の関心の中心は、個人の幸福にありました。
 大学~院生のころは、主に青年期~壮年期の心の安定性と、子育て時における両親から子どもへの安定性の伝播という点に関心があったので、このあたりを中心に研究をしたかったんです。

 さんざしプロで活動をする中でも、やはり個人の幸福の重要性について考えています。
 平和について考えるうえでも、それぞれが幸せであり、他者の幸福を願える、という状態をつくることが、何より大切と考えます。

 もちろん、そのためには社会的な条件も不可欠で、そのための情報収集なんですが。(だから政治が目的ではない、とお伝えしているんです)

 本当に世界を平和にしようと思ったら、ベースにある宗教・思想から、個人の幸福、経済、資源・物資の問題、それぞれの文化・考え方の違いから何まで、すべて考慮しないといけません。

 何か一つでも要素が抜けたら、世界平和は本当の意味で完成しません。個別のアプローチだけでなく、総合的な視点が必要だと感じます。


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