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<映画評>「タンポポ」と伊丹十三の映画文法

 伊丹十三の作品を全て観たわけではないが、最上のものは「タンポポ」だと思っている。なぜなら、映画の基本文法であるモンタージュ(簡単に言えば、「場面と場面のつなぎ」)を屈指した映像と、さらに映画自体に対するオマージュが込められているからだ。

 つまり、「シェーン」を換骨奪胎した内容や、当時は安い庶民の食べ物としてあまり注目されていなかった(高級レストランや老舗飲食店でのグルメが、大衆やメディアにもてはやされていた時代だった)ラーメンに注目したことではないのだ。

 例えば、フランス映画「禁じられた遊び」がそうだ。反戦映画、子供の純真な心、ナルシソ・イエペスの有名なギター、主役のブリジット・フォッセーの愛らしさ、それらが素晴らしいのではない。監督ルネ・クレマンによるモンタージュ、そして映画手法としての白黒画面の作り方が素晴らしいのだ。つまり、「何を書いたかではなく、どう書いたか(内容ではなく、形式)」なのだ。

 伊丹十三の映画文法へのオマージュは他の作品でもある。例えば「あげまん」は、世間では芸者の世界を描いた作品とした話題になったが、映画的には、芸者の世界とかそれに関係した政治家の生臭い争いなどはどうでも良いのだ。これらは、単に映画を作るためのネタ、もっといえば木工細工の木片でしかない(木工細工の評価について、「この作品は良い木材を使ってますね」という人はいないだろう。評価の対象は完成された作品だけである)。

 「あげまん」で最も注目すべき映画文法とは、まるでサイレントムービー(無声映画)のような字幕を多用していることだ。それも、セリフに代えた映像に対する単純な説明ではなく、シークエンスをつなぐ役割(シンプルなモンタージュ)、時間の経過、そして物語の背景を説明していることだ。これは、サイレントムービーにおける字幕の使用を乗り越えた、ギリシア悲劇のコロス(コーラスの語源。一般的な邦訳は悲劇合唱団)の役割を再現しようとしたと見なせる。

 古今東西、映画を含む演劇の世界で人類史上最高の作品がギリシア悲劇であるのは、誰もが認めるものだが、この人類が創造した最上の芸術は、その後ラシーヌ、コルネイユ、シェイクスピアを経ることで、残念ながら衰退してしまった。また、オペラという形体に変化したともみなせるが、これはギリシア悲劇とはもって非なるものでしかなかった。何よりもコロスが無くなってしまったのがその理由だ。そのため、ワーグナーは楽劇において、コロスの再現となる素晴らしい合唱曲(「さまよえるオランダ人」の巡礼の合唱、「ローエングリン」の婚礼の合唱等々)を創作したが、ワーグナーの天才をもってしても、これが限界だった。

 では、映画の世界でそれが再現できたかと言えば、オペラの大衆向け発展形としてのミュージカルを映画化しただけであり、悲劇の重要な要素であるコロスを再現するのではなく、その代わりとなるナレーションという手法を使っただけであった。そのためミュージカルには、ギリシア悲劇のコロスが持っていた「神の声」に似た響きはみじんもなく、単純に表舞台に出ない俳優がセリフを述べるだけに留まるものでしかなかった。

 そうした中で、伊丹十三が「あげまん」で試みたトーキーでの意図的な字幕は、コロスの再現という勇敢な演劇的映画的な冒険を含んでいたと思う。しかし、それは成功しなかった。むしろ「タンポポ」のように、脇役の物語とは一見無関係な移動によってシークエンスを切り替えた方が、現実的なコロスはそこにはないものの、映画としては最適な方法であった。

 そもそも、映画はセリフを聞かせたり、字幕を読ませたりするものではない。「目は口ほどにものを言う」の例えどおりに、映画は映像ですべてを表現し、観客に伝える芸術である。観客が、映像を観ただけで全てを理解できなければならない。映像表現の不足を、俳優のセリフやナレーションで補っている作品は、所詮二流でしかない(そして、そうした作品が日々粗製乱造されている!)。

 そうした観点から改めてみれば、「タンポポ」は、伊丹十三の映画文法(モンタージュ)がいかんなく発揮された極上の作品だったと言える。なお、「あげまん」同様にヒットした「・・・の女」シリーズは、映画文法としての形式よりも、内容を中心に据えた作品であるため、私は評価対象から外している。しかも、題材(内容)が異なるだけで、作り方(形式)が同音異曲である作品なので、感想を述べることは控えている、というよりは、そこに取り上げるべき映画文法がないので、感想を述べようがないのだ。

 なお、「映画は映像で表現する」と述べたが、「タンポポ」で使用したグスタフ・マーラーの交響曲第5番の使い方(特に第4楽章のアダージェット)は、同じ曲という点では、ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」、クラシック音楽の使い方という点では、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」及び「時計仕掛けのオレンジ」に、それぞれ比肩する優れたものであったと思う。


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