見出し画像

【KYOTOGRAPHIE振り返り】同じものを撮り続けること【潮田登久子編】

KYOTOGRAPHIEの振り返り、4回目は潮田登久子さんです。

KYOTOGRAPHIEに行った人にも、行けなかった人にも楽しんでもらえたらと思います。

見た展示はシリーズ化して全部書くつもりなので、もしよければフォローしてください!
そして是非コメントやXでのDMでも良いので語りましょう。

人物などの概要

写真家に教えを受け、写真家の夫と結婚した写真と共にある人生を歩んでこられたようです。

冷蔵庫や本、帽子など、一定のものを6×6のフォーマットかつ白黒で撮ることが特徴のように感じます。
(もちろん35mmフィルムなどでも作品を発表することはあります)

展示の特徴

今回は川内倫子さんと共同での出展ということでした。

代表作である「冷蔵庫」の、冷蔵庫の閉じた写真/開いている写真をセットとして撮り続けた作品が多く展示され、
私写真に分類される「マイハズバンド」からも20点ほど展示がありました。

特に冷蔵庫の数はすごかったです。
「マイハズバンド」はプライベートっぽい写真なので川内倫子さんとの共通点がありつつ、
冷蔵庫は潮田登久子さんの世界観でした。

展示方法による意味付け

冷蔵庫の写真は

- 撮り方もフォーマットも全く同じで余分な情報がない
- 扉を閉めた状態・開けた状態で1セット
- モノクロによって写真に強弱がない

ので真似しようと思ったら誰でも真似できる写真です。
これを3セットとか4セットだけ見せられてもよくわからないでしょうし、
写真集でももしかしたら「同じ写真の繰り返しだな」と思って読み飛ばしてしまう人もいるかもしれません。
(僕は奥山由之さんの写真集「windows」を最後飛ばして見ちゃいました…)

ただ展示となると「展示の場所」「写真の大きさ」といったアナログな情報が付加されます。

展示で写真によって大きさが違うのは良くあるので今までそこについて考えたこともなかったのですが、
かぎりなく等価値の写真だからこそ違いに気づく、という発見でした(ジェームス・モリソンの展示でも思ったことですね)

冷蔵庫の写真達は冷蔵庫や中身の微妙な差異しかない(そこの違いを捉えることが目的なので伝え方としては正しい)のですが、
大きさや展示の場所による違いに気づいた時、また違った観点で考えさせられます。

「お気に入りの冷蔵庫なのか?」「実家の冷蔵庫は大きく展示してる?」とか想像しましたが、真相はわかりません。

撮り続ける凄さ

最初、KYOTOGRAPHIE全体としてスケールの大きい作品が多かったのでそういう人を集めたのかな、と思ったのですが、
潮田登久子さんの展示は最初はそういったものとは違ったように感じました。

KYOTOGRAPHIEの人ではなく川内倫子さんが潮田登久子さんに一緒に展示をしようと声をかけたらしく、
だからこそ少し基準が違うと感じたのかもしれません。

そういうこともあり最初は冷蔵庫の写真もちょっと咀嚼するのが難しかったのですが、
無料で配られていたインタビューを見て「すげえな」と思いました。

潮田登久子さんは「冷蔵庫」や「本の景色」といった作品を、なんと30年くらい撮り続けて完成させています
その年月の長さに、スケールの大きさを感じました。

毎回状況が違うスナップを30年撮り続けるのとも違う、
変化が少なく「これくらいでいいかな」と思ってそこそこの数で辞めてしまいそうなものを撮り続けるというのは、
僕には今までできなかったことです。

ちなみに「マイハズバンド」は撮ってから40年後に作品として発表しています。
年季が違いすぎる…!

自分に取り入れるとしたら

30年後に発表する写真集、というのはとても面白そうで、
僕も何かを撮り続けてやってみたいなと思いました。

個人的には道に落ちているものが好きなのでそれを撮り続けたいかも。

その他の記事


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?