花ではなく、花を育ててる人を想像して撮る
今日は僕が撮りたい写真の話をします。
写真は世界のごく一部を切り取り、何かを伝えるメディアです。
裏を返すと写っていないことの方が圧倒的に多いわけです。
写っているものを伝えるだけでは情報不足で物足りなさを感じます。
また、写しすぎない方が良く見えるとも思います。
例えば、ソールライターで有名な雨に濡れたガラスを撮ってその向こうを想像させる方法だったり
モノクロでほぼシャドウで潰してしまう方がかっこよく見えたり。
見えないことで人間は想像を働かせ、特に良い想像で補完するようにできています。
マスク美人も同じ理屈です。
ただ僕はそういったテクニック面以上に、
特に写真の外側にあること、その時ではない瞬間、などを伝えることに興味が強いのかもしれません。
そこで意識しているのが、
「花ではなく、花を育ててる人を想像して撮る」
ことです。
例えば花の写真では花をどう魅力的に撮るか、どう面白く撮るか、ということを昔は意識してました。
でも最近は、
その花が愛情をかけて育てられているか、
どんな人がどうやって育てているか、
どんなところに愛情を感じるか、
というような背景を撮りたいと思っています。
あったかいストーリーだけじゃなく、寂しい背景も想像して撮るようにしてます。
濱田英明さんは「時間を写真にする」と言っていましたが、
もしかしたらこういうことなのかもしれません。
(全然違うかもしれんけど)
人の営みを感じられるのて、住宅街ばかり撮ってます。
次の写真は最近のお気に入りです。
かつて犬がいたこと、今はもういないことが写っていて、心に感じるものがあります。
こういう写真をもっと撮っていきたいです。
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