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そろそろ本気で不倫の是非を考察するエッセイ~夫が聴く「二時間だけのバカンス」~

宇多田ヒカルは成層圏を飛ぶ渡り鳥。

先日、天才・宇多田ヒカルが、名曲「二時間だけのバカンス」を、TVにて初披露しましたね。

まだ未聴だというそこのあなた。

どんな曲かは↑にて聴いていただければと思いますが《Wi-Fi環境ないねん》という方の為に、一応↓に曲の解説も用意しておきますねん♪

「二時間だけのバカンス」は、60年代を感じさせるギターアルペジオと艶美なストリングスの音色が特徴的な楽曲。「椎名林檎的コード感の世界に宇多田ヒカルが敢えて踏み込んでみせている」という指摘もある。またボーカル面においては、柔和な宇多田と硬質な椎名の対比も指摘されている。

歌詞では、「日常と非日常の危うい関係」が歌われている。また、「不倫」や「同性愛」的な雰囲気を感じさせるとする解釈もある。

Wikipediaより抜粋

無論、隣で歌うは、稀代のカリスマ・椎名林檎。
 
ネットニュースやSNS等でも話題になっていたので、きっとリアルタイムで視た方も多いと思いますが、本日は、そのパフォーマンスの素晴らしさについて・・・ではなく、当の「二時間だけのバカンス」の歌詞の内容について、夫として、父親として、少し、想うところを論じてみたいと思います。

Photo by tibihime

宇多田ヒカル。

今更言うまでもなく、米津玄師と並び、邦楽の到達点ともいうべき才能の持ち主ですよね。
一応・・・筆者も青春時代はバンドマンでしたし、こうして今も細々と文章を紡いでいるわけですから、敢えて彼女と同じ「創作者」であると、かなり「強引に」仮定して、例えるならば・・・。

筆者が、街の電線の高さを飛ぶスズメだとしたら、彼女は、僅か8時間で、あのヒマラヤ山脈を飛び越えるという、インドガンなわけです。

つまりは、地面よりも成層圏の方が近いような、そんな遥かな高みを飛ぶ渡り鳥の見ている景色は、低空飛行しかできない留鳥には、想像もつかない、ということ。

そんなわけで、以降、筆者の宇多田作品に対しての考察が著しく的を外していたとしても、読者の皆さ様、何卒《筆者の愚鈍さに免じて》ご寛容とご容赦をお願い致します!


宇多田ヒカルの仕掛けるモザイク。

Photo by zuckinside

宇多田ヒカルの作風の特徴の1つとして、

《対象を曖昧にし聴き手の想像力に委ねる歌詞》

を挙げる方、結構多いのではないでしょうか? 

例えば、亡くなったお母様に捧げたのか、別れた最愛の男性への恋慕を歌ったのか、容易に判断がつきかねる箇所のある《真夏の通り雨》。

そして、当の《二時間だけのバカンス》です。

こちらも、男女の不倫の曲なのか、LGBTな関係を歌ったものなのか、はたまた、個人的に椎名林檎に捧げた曲なのか、かくも秀逸なモザイク具合。

凡百のソングライターであれば、ついつい決めたモチーフやテーマに固執してしまいそうなところを、そこはやはり天才、彼女の視点や視野は、天下無双と呼ばれた剣豪のソレに通ずるものがあるのかもしれません。

一枚の葉に とらわれては 木は見えん
一本の樹に とらわれては 森は見えん
どこにも心を留めず 見るともなく 全体を見る
それがどうやら・・・・「見る」ということだ

講談社 モーニング 井上雄彦 バガボンドより抜粋

これは、「スラムダンク」で有名な、井上雄彦氏の最高傑作「バガボンド」の作中、沢庵和尚(漬け物「たくあん」の原語になったといわれる人)が、若き日の宮本武蔵に贈った助言なのですが、宇多田ヒカルはきっともう、その境地にいるのでしょう。

完全に自由、どこにも心が捉われていない。

とはいえ、です。

聴き手の方はあくまで、

《究極の凡才》
《凡人の中の凡人》

と謳われる筆者ですからして、ここはあくまで、シンプルに《不倫の曲》として、話を前に進めたいと思いますwww


自分の人生なのになぜ脇役?

Photo by tyawonigosu

歌詞のコピペはJASRACさんが怖いので行いませんが、今回、当記事にて取り上げたいのは、当曲の冒頭部分、ほんの数秒のことでして・・・。

歌い出し、彼女(既婚者・妻であり母である)は、クローゼットにしまいこんだハイヒールやドレスとも最近縁がないわ、昔は物語のヒロインだったのに、脇役にまわって随分時間が流れたわね・・・なんて、アンニュイに独白を始めるわけです。

そして以降、当曲は、色気たっぷりの2人の声も相まって徐々に「艶」を帯びてゆき、夫ではない男性との密会、つまりは《不倫の逢瀬》について、既婚者である彼女、及び、浮気相手の男性、双方の目線での歌詞が綴られていきます。

自制心や、奥ゆかしさを残しながらも、ただの女に回帰したい彼女の渇望、そして解放感ーーー。

・・・あ、先に明記しておきますが、わたくし、エンタメに対して不謹慎だの不適切だの指摘するほど、野暮でも子供でもございません。

そりゃあ、男女の組み合わせについては、「一途」とか「一筋」が理想だとは思います。

でも現実、これほど倫理観や品行方正が求められる令和の世にも関わらず、その実、不倫に興じている既婚者は《社会全体が浮かれていた昭和や平成より》かなり多い印象さえあります。

それについては「煽り運転」なんかも同様ではないかな?

コンプラだの、ハラスメントだの、不謹慎だのというのは、結局のところ風潮だけの綺麗事で、大半の現代人の本質は、凄く浅はかで衝動的です。

少し、リアルな実例を挙げてみましょうか。


不倫は「需要」と「供給」である。

Photo by piccolotakamura

筆者は30代後半で1度、大手ハウスメーカーのリフォーム部署に転職をした経験があるのですが、新規事業部の立ち上げ求人に対して応募をした為、自分が配属された同エリア内に、一気に40人程の同期を持つに至りましてね。

そもそもリフォームというのは、キッチン等水回りの提案が多いものですから(男性も募集可能ながら)その時の募集のコンセプトは《女性が輝く職場》というものでした。

結果、同期中、男性は4人だけで、あとの36人は、大半が既婚の女性という状況。 
しかも男女共に全員、年齢は35歳以上がチョイスされるという、非常に偏った採用と相成りました。

そこで出会った男性の同期に、独身の木村(仮名)という男がおりましてね。

ソフトマッチョな体に褐色の肌、常に、爽やかな香水と高級腕時計をさりげなく身にまとう彼は清潔感に溢れており、当時、とても40歳には見えない若々しさで、4人いた男性陣の中では、ずば抜けて美意識が高かったわけです。

ただ、筆者は出会った当初から、彼の、いわゆる「胡散臭さ」を嗅ぎとりましてね。

結果、その嗅覚は当たり(詳細は長くなるので割愛)木村は学歴詐称、嘘八百の詐欺師まがいの男であることが数年後発覚するわけですが、その間に彼と不倫関係になった同僚、同期は、実に4名に及びました。

更には、顧客の奥さんにも2名、手を出す始末。

・・・そんなわけで、イケメンから誘惑されれば、簡単に体を許してしまう状況に置かれる主婦が、現実、それほどに多いということなんでしょうね。

つまりは、宇多田ヒカルの歌詞を借りれば、自分の人生(物語)を生きながら、《脇役》だと感じてしまうほどに、日常に《女性》である瞬間がない=夫が妻を、妻が夫を、異性としてして見ていない、扱っていない、ということーーー。

人間である以上、妻であろうが母親であろうが、肉欲のある「性」から逃れることはできないわけで、見かけ倒しの下半身男にも欲求不満の《はけ口》として、充分な存在意義や需要があるわけです。


夫婦が「レス」に陥るプロセス。

Photo by ai_gazou_free_7

「二時間だけのバカンス」の冒頭部の歌詞を、旦那として、父親として聴くと・・・。

自分自身も妻に対して、男女のコミュニケーションを欠いている自覚があるだけに、切ないよーな、切なくないよーな、微妙な気持ちになりますね。

要約すれば、この奧さんは、妻として母としての人生を頑張ってはいるけれど、独りの女性としては充足していないわけで・・・。

もう彼女の気分はヒロインではなく、その他大勢のサブキャスト。
でも実はそれはメチャメチャ妙な話で、本来、どれだけ状況や立場が変われど、自分の人生において、常に主人公は自分なわけです。

《女は死ぬまで女》なんて言葉がありますが、それほどまでに、女性にとって《女でいる》ことは大きなことなんでしょうね。

では、彼女をドレスやハイヒールから縁遠くしたのは、いや、彼女から《女》を奪ったのは、果たして何なんでしょうか?

結婚という制度?
妻という立場?
母親という立場?
主婦としての多忙な状況?
それとも、生活に追われる歳月?

否、恐らくは違うんじゃないかな。

だって結婚後も、妻を女で居させ続けられる旦那さんって、世の中には沢山いるわけですよね?

つまり、彼女を不倫に駆り立てた要因は、ストレートに言えば旦那とのセックスレス、あるいは超淡白な性生活、及び、《男女としての》物足りないコミュニケーションやスキンシップ等の可能性が高いんじゃないのかな、と。

家庭や、多忙な毎日の中で、以前は恋人だった2人はいつしか家族のパパ・ママになり、望まずも男女としての《艶》を失ってしまう。
もしくは、それ以外の要因《旦那の問題》で、旦那への恋心が消えてしまった、等。

・・・とまぁ、色々と仮定してみましたが、1つだけはっきりしていることがあるとすれば、この曲の彼女とご主人は、完全なる倦怠期なのでしょう。

もう彼女は、夫ではときめかないわけです。

妻として、母としての多忙を縫い、自身の《女》を思いださせてくれる不倫相手と密会することで、自分の人生においては自分がヒロインなんだ、という、当たり前の実感を保つ彼女。

《頭の奥が痺れるようなキス》

遂には曲中、そのような刺激的なワードも出て参りますが、もうそんなキスは、ご主人相手には絶対味わえないことでしょう。

浮気だからこそ、不倫だからこそ、妻や母を忘れているからこそ、そして、恋しい彼だからこそ。

「二時間だけ」でも、バカンスは成り立つのです。

男性の筆者でも何とな~くは想像できますが、きっと、主婦にとって浮気相手との逢瀬はさぞ、刺激的で甘美なものなのでしょうね。

さて、ではここからが、妻を寝取られた、夫側の視点と本音です。


悪気があったわけではないのです。

Photo by ohtsubo

彼女をずっと《女》で居させられなかったことについて、夫には、忸怩たる想いがあります。  
結婚式で誓った永遠の愛はどこへ行ったのか、いつしか彼は、男として、女である妻に、触れなくなりました。

ただ、彼女との、セックスを含むスキンシップを欠くようになった当初の理由は、決して、

《萎える》《冷めた》
《抱く気にならない》
《女として見れない》


などといった傲慢なものではなく、結婚生活の中でごく自然に、どうしようもなく、

《そうなってしまった》

としか、言いようがないのです。

毎日毎日、朝から晩までお互いに働き、父親として、母親としての責任から逃げることなく、2人は頑張ってきました。

様々なストレスに晒されながらも、ただただ家族を想い、会社員という立場の中で起きる、無数の理不尽や不条理に耐えてきた夫。

小遣い以外の給料を全て妻に渡し、ゴルフや釣りや麻雀やパチンコや競馬やタバコなども控え、お昼はワンコインの弁当を毎日毎日流し込み、週末は寝ていたいのを無理矢理起きて、家族サービスです。

妻は妻で、日夜家事と育児に追われ、その大変さは夫に勝るとも劣りません。

男女であることなどそっちのけ、戦争のように目まぐるしい毎日を子育てを最優先に奮闘し、お互いを《パパ》《ママ》と呼び合い続ける内に、不覚にも「親近感」が「近親感」に変わってしまった2人。

夫側の本音を言うなら、今更、妻に夜の生活を切り出すなんて、恥ずかしくて不可能です。

肉欲が消えたわけでは全くありませんが、妻がその対象なのか、妻とやりたいかと問われれば、正直、今となってはそれも微妙だし、それ以前に、妻が自分に男を求めているとも思えません。

もう何年も、レスの状態が当たり前に生きてきて、性欲はこっそり、1人で処理し続けてきました。

風俗にも数回、行ったことがありますし、最近はアダルト系のチャットで出会い、メールのやりとりをしている、同じ立場《倦怠期、レス》の女性に、心を惹かれています。

でもいまだ、実際に浮気をしたことはありません。

ただ今後、ずっと《チャンスがあれば》浮気をしないで生きていく自信はなく、できれば死ぬ前にもう1度、燃えるような恋や、刺激的なエッチがしたいという青くさい願望も、多少は残っております。

仮に妻が、自分に隠れて浮気をした(している)としても、、、。

きっと筆者はもう、嫉妬にかられることもなく、《仕方がない》と納得してしまうでしょう。 
それどころか、このまま妻をレスのまま、老いさせてしまうのは忍びない、申し訳ないとの想いから、安堵さえしてしまうかもしれません。 


経験しなければ分からないこともある。

Photo by subarasikiai

不倫や浮気をした芸能人が、メチャクチャに叩かれるのを見ていつも思うことは、

《夫婦間の問題を部外者が分かるわけがない》

ということ。
そりゃあ、私の元同僚のような、脳と下半身が直結しているようなヤカラも中にはおりますが、妻以外、夫以外の異性と浮気に至るプロセスは、既婚者なら、誰にとっても他人事ではないと思います。

独身で、精力絶倫な若者だったあの頃。

まさか自分がレス夫婦の夫になるなんて、1ミクロンも想像していませんでしたが、長き結婚生活を経てオジサンになった今では、多くの男女がレスに至る理由が、よく分かります。

夫婦で話し合って改善すれば良い、とか、カウンセリングを受ければ良い、等の解決策に至るのは、まだ《男女として終わる》という危機感が、残っている間のこと。

そこをとっくに過ぎた夫婦は、もはやレスの解決など、望まなくなるものです。

《旦那とH!?気持ち悪い!やめてよね!》
《嫁とH!?いやいや、オ◯ニーでOK!》

そういう状態の夫婦が世の中にはわんさか存在しており、そして、そういう夫婦にとっての不倫は、

《子供にバレずにやってくれたらOK》

くらいのものだと思います。
あとは、慰謝料ふんだくれる、とか、離婚のきっかけにできる、とか?

筆者の場合で言うと、子供が社会に出るのを見届けてのち、妻には「卒婚」を切り出す所存です。
老後を、男女の関係性が倦怠した妻と過ごすくらいなら、独りで好きなことをして、誰にも気兼ねせずに、気ままに生きてみたい。  

病気や介護はどうするかって?

それこそ、身体的に自活できなくなったら、施設に入るしかないでしょうね。

どのみち、妻は、老いた筆者の介護をかいがいしくするようなタイプではないですし、筆者も彼女の糞尿まで世話をする覚悟はありませんから。

無論、妻に対して、子供の母親として、家族としての情愛や感謝はありますが、血の繋がりも、異性としての繋がりもない僕らが、長きに渡るレスの時期を経て、またいつか、男女を始めるーーーというのは、残念ながらもう不可能です。

勿論、可能だった時期もあったとは思うのですが、もうそれは、遥か彼方に過ぎ去った過去になってしまいました。
いわゆる《覆水盆に返らず》というやつです。

もしくはレスのままでも、お互いに対しての恋心や独占欲、依存心が継続する、という組み合わせの男女も無数に存在するのでしょうが、それも、私たち夫婦には当てはまりません。

つまりは、私達夫婦は、男女としては終わっている、と、もうその一言に尽きますね。

そして、そんな夫婦は世の中に、ザラにいると思います。


「二時間だけのバカンス」が《不謹慎だ》と非難される世界線って、どう?

Photo by suzumuraxxxjun

というわけで、筆者なりに、不倫の是非について、〆てみますね。

名うてのプレイボーイだったI・J氏みたいに《不倫は文化だ》なんて、そんな正当化はしませんがw
あなただって聖人君子じゃないんだから、不倫に限らず、他人の過ちに対して、とやかく言わない方が良いと思います。

清潔と正論でガチガチに固める風潮がもっともっと進行したら、いずれ、「二時間だけのバカンス」のような名曲さえ、《不謹慎だ!》《誤解を与える》等と、発表できない世の中が来るかもしれない。

独身の方も、結婚して、親になったら分かると思いますが、セックスレスから不倫って・・・他人事ではないと思いますよ。

では最後に、筆者から《旦那目線で》「二時間だけのバカンス」の彼女に対して、一言、贈らせていただきます。

《君が女性を取り戻せて、皮肉じゃなく、本当に良かったと、正直少し、安堵さえしています》

以降は心おきなく、時折羽を伸ばして下さい。
私は私で、外で、男性としての充足感を埋めようと思います。

今後も変わらず、良い夫婦、そして、良きパパと良きママでいましょうね。

愛する子供が、色々な意味で両親を必要とする間は、少なくとも私の方は、離婚は考えません。

これからも、宜しくお願い致します。

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