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なにげなく通ったフェスの話

カラフルな装飾をまとった人々が虹色の旗を掲げながら代々木公園を練り歩いていた。やたら多い外国人、スカートを履いたおじさん、義足の犬、色々な人種が歩いていた。
私はなにかしらフェスがあることは知っていつつもそれがなんなのか、見当つかないまま旧友と代々木公園に来た。
どうやらそれはLGBTQsのフェスだった。
プライドパレードというパレードがやっていた。
そこで目にしたのは色々なカタカナ用語。
今までずっと生きづらさを感じてきた「何か」がきちんと名前をつけられカテゴライズされることは、その人が自分を受け入れられ、生きてくのに必要な道しるべになる。
例えば、発達障害も似たようなところがある。
名前をつけてカテゴライズされ、自分はこうかもしれない、こうだ、と自他ともに認められると自分を受け入れられるようになり、より前向きに物事を進められることが多い。
デリケートな問題みたいに取り扱われるけど、それ自体、古くさい。
もっと気軽に、「あぁ、アタシねバイだからさ」と言える世の中になってほしい。
実際、誰かに打ち明けることをカミングアウトと言うらしい。その名のとおり。
カミングアウトっておおげさな。と思うけどそう感じさせているのはマジョリティが普通、みたいな考え方が染み付いているから。
マジョリティマイノリティって言葉、無ければいいのにね。
アフリカの少数民族は自分達を唯一の人種だと誇り高く感じているらしい。
ちがって当たり前、それが普通って認識しているからこその思考だよね。そこにはマジョリティマイノリティって概念が無さそう。
そんで、わたし自身、惹かれる言葉があった。
デミロマンティックとクワロマンティック。
デミは、特定の強い絆を感じる人や信頼関係が築かれている人に恋愛感情を持つこと。
クワは、友情か恋愛か区別がつきにくいこと。
こんなことも言葉になってるんだという驚きとともに、自分にもなんかわかる、と思った。
私の場合は、男女関係なく心のつながりや絆は持ちたい。例えば深夜集まって温かいコーヒーを飲んだりしたい。ただ飲んで話をする、それだけ。
女友達なら出来るかもだけど、異性となるとそうすんなりいくだろうか?
もしかすると自分が異性に対しレッテルを貼りすぎているかもしれない。それもハラスメントと言われたりするのかしらな。
まぁ、結論
仲良くしたい人とすればいい。大人は面倒なこと多くなるけどね。
人間関係で言葉にできない感情、関係ってたくさんある。それでどれが間違いとか正解とかないんだよね。
自分自身でわかっとけば、パートナーや相手と揉めても一緒に解決できるかもしれないし。
目標、
全人類にレッテルを貼らない。
嫌なことは嫌と言う。以上

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