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生理痛を我慢しなかった私のはなし

 若い頃、生理痛がとてもひどかったことが今でも忘れられません。

 初潮があったのは中学1年生のとき。初潮寸前、お腹が痛くて痛くて泣いていました。生理というものに慣れてきてからも毎月痛くて苦しみました。生理前、PMSの時期に便秘の痛みで苦しいのだと勘違いして市販の下剤を飲んでしまい、その直後に生理がやってきて生理痛。「下剤服用による自業自得の苦しい下痢&生理による下腹部の痛み」のダブルパンチを体験したこともあります。大学生になっても生理痛はやむことなく、講義の最中に中座して廊下で苦しんでいたりしたことも。

 社会人になり23歳の頃、あまりに生理痛がひどいので我慢の限界を超えてしまい、ついに婦人科へ行きました。行ったはいいのですが、基礎体温表を用意していなかったことから「最低二週間は表をつけてから出直してこい」と言われ、仕方なく基礎体温計を購入。毎日仕事で忙しいというのに朝15分ほど早起きし、一生懸命舌の裏で基礎体温を測る日々。グラフにつけるのは面倒で面倒でたまらなかったのですが、医者に命じられたことなのでがんばって実践しました。
 無事に数週間が経過し、再度婦人科を受診。受付で採尿を求められましたが、妊娠検査の必要はなかったので断って診察室へ。基礎体温表を一目見た医者は、こんな風に言いました。

「ああ、無排卵月経だね」

 そこでホルモンがどうのエストロゲンがどうのとご講義が始まりましたが、私は一切記憶していません。そんな難しいことを言われてもわからないのでした。ただ怖い病気ではないらしいと、ほっとしました。

 治療はホルモン注射でした。3日に一度くらいの頻度で婦人科を訪れ、臀部に注射をしてもらうのです。その注射をすれば無排卵月経はよくなると言われたのでやってもらった気がします。
 しかし数週間が経過した頃、なぜか顔がむくんできたような気がする。むくんだというか、太った気がする。体重を測ることまではしませんでしたが、どうも太ってきた気がするのです。私はそれを医者に言いました。
「ホルモン注射は太るよ」
 医者はあっけらかんと言いました。23歳、まだまだ女の子だった私には、太ってしまう治療は受け入れられませんでした。生理痛と体重増加を天秤にかけて、太らないほうを選んだのです。これで私は永遠に生理痛に悩まされるのだ。そう覚悟したのですが、医者は後ろから山のような粉薬らしきものを出してきました。

「注射が嫌なら漢方を飲むしか方法がないんだよね」

 その漢方薬はツムラの23番。当帰芍薬散(トウキシャクヤクサン)というお薬で、婦人科によく効くのだそうです。
 私は毎日その「23番」とやらを食前に飲む生活習慣を身につけました。そして慣れてきていた基礎体温も測り続けました。そんな生活を続けて数ヶ月が経ち、基礎体温表を持ってまた婦人科へ行ったのです。
「無排卵月経、治ってるね。そのまま23番続けてね」
 そう言われ、私はなんとなく安心しました。肝心の生理痛はあまり治ってはいなかったのですが、問題ある部分が治ったらしいということで満足してしまいました。

 その後かなりの長期間、主治医が変わっても、私は23番を飲み続けました。生理痛はひどいままでしたが、遠慮なく鎮痛剤を処方してもらって仕事をしたり生活をしたりしていました。生理痛はもはや私の人生の友となってしまいました。鎮痛剤さえ早めに飲めばどうにかなるのです。その程度だった生理痛なので、もっともっとひどい人に比べれば大したことはなかったのかもしれません。まだ1990年代、職場での生理休暇などなかった時代でしたが、理解ある上司だったので休むことに躊躇わなくてよかったのも幸いしました。
 30代になり、40代になり、50歳が近づき、少しずつ生理痛は形を変えていきました。昔のような鋭い痛みは緩和され、出血の量が減ったり増えたりしながら、生理周期が徐々に遠のいていきました。鎮痛剤は痛むたびに飲んでいましたが、飲まなくても我慢できる期間も増えていきました。その頃には23番を飲むことも忘れるようになり、医者からも処方してもらうのをやめました。
 50代に入り、私の生理は無事に終わりました。妊娠、出産を体験することのなかった身体でしたが、生理痛には散々悩まされた「女の道」でした。ついにあの煩わしい一週間と痛みから解放されたのです。もちろん更年期障害には困りましたが、幸い重症ではなく済んだのではないかと自覚しています。

 今にして思えば、23番を飲んでいたことはとてもよかったのではないかと感じるです。飲んでいなければもっと苦しい身体だったかもしれないけれど、あのお薬のおかげでわずかでも体調が整っていたのではないかと想像できることが多いのです。例えば生理周期が正確だったこととか、生理期間がほぼぴったり一週間弱だったこととか、経血の分量もほぼ一定だったこととか。更年期の症状がそれほどひどくなかったことも。自分でそれが実感できていたのは、QOLの向上にずいぶんと役立ったと考えられます。
 これは若い頃に生理痛を我慢せずに婦人科へ行ったから開かれた道でした。あのとき医者が23番を勧めてくれなければ、もしかするともっともっとひどい痛みで苦しんでいたかもしれません。もちろん23番を飲んでいなくても同じだったかもしれないのですが、なにかしらのいい影響はあったのではないかと思わずにいられないのです。
 その後、私はさまざまな漢方薬を試してきました。わざわざ北里病院の漢方科へ出向いて、お世辞にもおいしくない漢方薬を煎じて飲んでいた時期もあります。煎じ薬は長続きしませんでしたが、23番だけは口に合うこともあって好んで長年愛用しました。だからといって婦人科知らずではありませんが、先ごろ受診した際は問題のない身体だったようなので、とりあえずはよかったと胸をなでおろしています。

 身心に不安があったら私はできるだけ早く専門家に診てもらうようにしています。持病もあるので医者の存在は欠かせません。外出先の電車やバスでも優先席に座れるように、ヘルプマークを使っています。生きづらい身心を抱えていますが、実はあまり我慢しません。もっと若い頃は我慢に我慢を重ねましたが、そんなことをしても自分を痛めつけるだけなのですから、今となっては多くのことに遠慮しなくなりました。言ってみればオバサンになっただけなのかもしれませんね。
 自分自身の生理痛の歴史を振り返るとき印象に残るものはツムラの23番。あのとき生理痛を我慢せず、婦人科へ行ってよかったと懐かしく思い起こすのです。
 我慢をしなくなった私は、今もきちんと医者に通って薬を飲み、決まったセラピストの世話になって話を聴いてもらうことを怠りません。毎食前に23番を飲むかのごとく、いつの間にか身についた「専門家に頼る」という習慣が、現在の「ほどほどに元気かもしれない私」をかたちづくってくれています。