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願いごとが叶うために

 ある人にあることをお願いしています。特に秘密にしているわけではないのですが、今は佳境ですのでとりあえず内容は伏せておきます。
 願いごとって難しいですね。願いとはとても自分勝手なものです。自分の思い通りになるように念願しているわけですから。全体的なことを考えて、私の思い通りになることが本当にいいことなのかどうかわからないのですが、叶うならば叶ってほしいし、叶わないのならば「今は【その時】ではないのだ」と自分に言い聞かせるよりほかありません。
 毎日なにかとつらいことが起こるのですが、自分の思い通りに解決してほしいと考えるのが人情というものです。しかし大抵のトラブルには一人もしくは複数人の相手が存在します。自分だけでは解決できないのがトラブルなので、そのトラブルに関わったすべての人が納得して終結するよう努力しなければなりません。現在進行形で抱えている問題も、できれば多くの人が「そうだね」と言ってくれた状態で叶うといいのにと願ってやみません。
 こんなときに思い出すのは神学者ラインホールド・ニーバーの祈り。

神よ、
変えられないものを受け入れる平穏さを
変えるべきものを変える勇気を
それらを識別する知恵を
お与えください。
アーメン

 本当にニーバーがこう祈ったかは知らないのですが(諸説あるらしい)、そのように伝えられています。実に的確な祈りですべての悩む人へ勇気と冷静さを与えてくれる言葉です。
 確かに変えられないものはあるのです。私が変わりたいと願い求めている現在の立ち位置も、許可されず変えられないで終わる可能性もないわけではない。そのときに私はどう対応すべきなのか。変えられないものをきちんと受け入れる心が必要なのです。なぜ変えられないのか、恐らくそれは「今はそのタイミングではない」ということなのだと私は考えます。何事にも【時】(タイミング)というものがあり、【時】にかなっているのならば事柄は嬉しく動き状況が好転します。
 一方で今回の願いごとは私自身が「現況を変えねばならない」と思い至って出した結論でした。変える行動をするには非常に勇気が要りました。しかし「これはやらねばならない」と考えに考えて行動しました。やるべきことはやりました。あとは静かに待ち、結果を落ち着いて受け入れる(場合によっては再びの機会を狙う)。叶うのならば「今が【その時】だった」だろうし、叶わないのならば「今は【その時】ではなかった」ということでしょう。
 まずはやるべきことをする、努力をする。あとは結果を待つ。そして受け入れたり改善したりする。人生はこのようなことの連続なのだと感じます。人事を尽くして天命を待つ、といいますが、まさにその通りです。勉強も仕事も生活も人間関係もみな同じです。
 なんらかの問題が起こるとき、私は「漫然と生きていた自分自身」に気づきます。意外とぼんやり生きている。意外と惰性で話している。これではいけません。人生はなにが起こるかわからないので常に落ち着いて対処できるようにしておきたいものです。いつも緊張していることはできませんが、やるべきときはきちんと対応できるよう目を覚ましていたい。
 願いごとが叶いますように。単に私の思い通りに、ではなく、私の人生にとって最も益となる道が示されますように。どのような結果であっても落ち着いて受け入れ、落ち着いて立ち直ることができますように。