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音楽でひらめく私の創作魂

Twitterの有名人でF太さんというかたがいらっしゃいますが、ご存知のかたも多いと思います。
そのF太さんのツイートで、ちょっと気持ちを惹かれるものがありました。

連続ツイートなので、Twitterで読んでいただきたいものなのですが、私にとってはかなり興味深い問題でした。

少なくとも私はインプットなくしてアウトプットはあり得ない方です。

私の人生初の意識的なアウトプットは、小学生の頃に夏休みの宿題で何か作文を書かねばならず、『呪いのメリーゴーランド』というタイトルの怖い物語を書いて提出した……という少し恥ずかしいものだったのです。
なぜ『呪い』なのかというと、当時は怪奇マンガや怪奇小説に興味があり、それらを読むことによってなんとなくテーマを決めて、無理やりこの物語を書いた。書きたくて書いたというよりも夏休みの宿題だったから。
これが一番最初のアウトプット(創作)です。

ですが、この創作からさかのぼること約三年、私は既に頭の中に溢れ出る自分だけの物語を楽しんでいました。アウトプット(直に書くこと)をしていなかっただけで。
内容はよく覚えていませんが、小学3年生程度の年齢でしたが、私は自分の中でいろんな楽しいことや悲しいこと、心満たされることを、舌で飴玉を転がすように考え、感じ、満足していました。同時に、まだアウトプットしていないもどかしさも感じていました。

これらのきっかけは音楽です。
私は小学3年生頃からベートーヴェンの伝記マンガを読み、父のレコードでベートーヴェンの曲を聴き、頭の中はベートーヴェンの音楽で満ちていました。
まだ小さいのに一人でデパートへ行き、お小遣いで楽譜を買いました。家でレコードを聴きながら、楽譜を追いました。
ベートーヴェンの音楽は私の中で豊かに育ち、中高年のおばさんになった今でも、私自身を豊かにしてくれます。
でも、まだアウトプット(創作)をする段階まではいっていなくて、発展途上でした。

その後の『呪いのメリーゴーランド』は一つのご愛嬌でしたが、それ以来「何かを考えて書くことは面白い」、「自分で考えて書くことは楽しい」と思うようになりました。

だからといって、すぐに自分の考え出した創作へと進んだわけではないのです。私が次に進んだのは二次創作。これにはかなり長い期間を費やしました。中学生からあるバンドにハマり、高校生ではまた別のバンドにハマり、大学生ではもう飽きて、今度は就職したら推理小説の二次創作。これで30過ぎまで。かなり密度の濃い二次創作をやらかしていました。
そして本当のオリジナル小説を書き始めたのは、34歳頃だったでしょうか。

二次創作には議論もあるとは思いますが、それはとりあえずこっちへ置いといて。私は現在でもたまに二次創作を書くとこがありますので。プラクティスみたいなものですね。

でもこの二次創作も、年を重ねてからのオリジナル小説も、すべて根底に流れているのは音楽だったのです。

ベートーヴェンであっても、他のポップスであっても、古い言い方ですがニューミュージックであっても良い。私の中からインスピレーションを与えてくれるものならば何でも良いのです。音楽があれば、ひらめきをもらえます。音楽があれば、無限の妄想が楽しめます。それをアウトプットするだけです。
これが私の創作の源泉で、インプットとアウトプットの関係性なのです。
目から入ってくる美しいものよりも、耳から入ってくる美しいものの方が、私を揺り動かすらしい……そんな気がしています。

とは言え、単にひらめいて楽しく書けるかと言えばそんなことはなく、書き始めると意外と苦しいのです。思い浮かんだことがうまく繋がっていかなかったり、ストーリーがおかしかったり、途中で嫌になってしまったり。創作の痛みは様々です。創作することの痛みについては、F太さんの記事が「なるほどなぁ」と思わされたので、失礼して貼らせていただきます。

人それぞれ、いろんな痛みがあります。

自分の創作がインプットからか、アウトプットからか、どちらが先かというのは、私にとって非常に興味深いテーマで、「私はなぜこんなにも音楽でひらめくのか」ということを、誰かに教えてほしいくらいです。私にもわからないものなので。

……音楽だけではなく、他のものでもひらめくことはあります。でも音楽の力は群を抜いています。

この記事はちょっとした覚え書きです。最近では小説の連載が止まっていて(健康上の理由にて)、新作もなし。そう言えばあまり音楽を聴いていません。正直な脳内です。

願わくば「最大級のひらめきがもらえる音楽」に出会ってみたい。ベートーヴェン全集をもう一度おさらいして聴くべきかなとも考えています。