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48.二元論から抜け出す

物事を考える際や議論をする際どちらが良いか悪いか、どちらを行いどちらかを辞めるかなど二元論を前提として話される事が多いように思う。

それと似たようなもので、MBTIや血液型占いなどのタイプ分けから〜法や〜式に至るまで、私たちはカテゴライズする事で頭を整理しようとする。

そういった場面をみていると人や世界というのは果たしてそんなに単純なのだろうか?と疑問が湧いてくる。

二元論は1700年から始まりデカルトの身心二元論から世に広まっていきました。
私たちの生活の中にも広く根付いており、エジプトでは魂が帰ってくる器としてミイラが存在していたり、輪廻転生などの話も二元論に基づくものです。

私たちの仕事として多く関わる痛みに関しても同じような事がみられます。
「この痛みは心の問題だ。」「身体に問題はないから気のせいだ。」
そんなふうに言われたことや思ったことはないでしょうか?

なぜこの二元論が幅広く受け入れられたのかというと情報が今ほど発達していない時代では、宗教的に単純かした考えの方が受け入れやすかったこと。

情報が少ないということは世界への認知が偏り比較が難しかったことがあげられます。

生物的な観点でいくと私たちの命はいかに生き延びるかを優先して機能しています。
それを踏まえると、カテゴライズしたりどちらかに決めつけるのは、脳のエネルギーを削減する意味合いもあるのだと思います。

脳の余白をつくることにより新しい情報や困難に対して受け入れられるようにしておくことで生命が脅かされるのを防ぎます。

しかし平均寿命が伸び続けている日本では命の危機が訪れるようなことはほとんどありません。
その中で余白ができ続けるとどうなるのでしょうか。

私は飽きや惰性に繋がり人生がつまらなくなってしまうと感じています。
「〇〇にはこれをしとけばいい」
「あの人はこういう人だ」

こういった短絡的な思考になり次第には「どうせやっても無駄だから」と意欲を自ら失くし生きていくようになってしまうのではないか。



この世界で単純な出来事とほとんどない。
毎日食べるご飯もそれを育てる農家さんがいて集荷する場所がありスーパーなどに卸され私達が購入し食卓に並ぶ
この過程のどこかに不具合があっても同じ現象は起こりません。
このように一見何気ないことでもその背景はカオスが広がっています。

複雑なものを複雑なまま理解する。

黒と白の間には無数の色が広がっています。
カオスに飛び込むともっと人生は楽しくなる。


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