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プレイバック30代

私事で恐縮ではあるが(てかこういうブログ的なものって基本私事だよね、というツッコミは置いといて)、もうすぐ40歳になる。
30代があと数日で終わってしまう。なんということだ。

30代の10年間は、なんかいろいろと激動の10年間だった。というか10年間もあればいろいろあって当たり前なのだが、特に濃かった気がする。

普段は誕生日であることを自分から言い出すことはあまり無いんだけれど、節目ということで、この10年間を振り返ってみようと思う。

【30歳・主に2014年】
・主催イベント後の打ち上げで30歳を迎える(ウィスキーをショットで2杯カマされる)
・吉岡未来くんのワンマンライブに初めて「シークレットゲスト」という形で参加(ただこういうのって有名な人がやることじゃない?とステージに上がる寸前まで考えていた)
・入籍する(つまり今年錫婚式)
・結婚式を挙げる(2015年の3月なのでまだ30歳)
・2006年から毎月出演していたFM KITAQのラジオ番組が終了(一応体裁上は4月で終了したが、なぜか5月も出演した。ギリギリ誕生日前)

ちなむとこの結婚式の日、僕の中学時代の同級生も結婚式だったようで、
中学の同級生組は自分の式と向こうの式の二手に分かれて行ったという話を聞いた。
有り難かったのと同時に、仲間内でそういう打ち合わせがなされていると思うと少し面白かった。

【31歳・主に2015年】
・このあたりからレコーディング業、アレンジ業の仕事が増える(あかたろ。ちゃんと鶴田大地くんのCDがメイン)
・主催イベントもなんとか1クール1回のペースを保ちながら続行(2016年4月の段階で9回やった)
・この年は東京でのライブサポートも多く、SPIRITや鶴田大地くんのライブ、また別件での仕事もあり2週連続で東京なんてこともあった。
・新婚旅行でハワイに行く(アウラニディズニーは今だに色んな人に羨ましがられる)
・レッスンと並行する形でオフィスワークを始める(テレビショッピングの受注)
・実家のピアノ教室のコンサートで司会の女の子と共演するために新曲を書く(「てのひら」という曲で、披露したのは3回のみ)

ほぼ毎月東京に行ってたのがこの1年。渋谷駅からNHKまでの道をナビ無しで歩けるようになるとは思わなかった。


【32歳・主に2016年】
・7月のワンマンをもって主催イベント終了(10回も続けれたのは奇跡だと思う)
・第一子誕生(現在小学2年)
・福岡市から春日市に引っ越す(トータルすると福岡市には13年住んだ)
・この年に出演したブッキングライブをもって、ソロライブも一旦終了、半引退状態になる

ソロライブもだけど、音楽活動自体セーブし始めるのもこの時期から。特に子どもが産まれて以降サポートの仕事もめちゃくちゃ断ったので、執拗に誘ってくれた方々には申し訳ないなと今も思う。


【33歳・主に2017年】
・年間のライブ数が1ケタに留まる(多分福岡に来て初めてのこと)
・第二子誕生(2018年の4月。来年小学生)

ライブの数は減ったけど、その分1本1本を丁寧に取り組むことが出来た気もする。

【34歳・主に2018年】
・掛け持ちの仕事を変える(採用事務職。これもテレオペの仕事)
・令和の瞬間は正座して迎える(2019年5月、ギリギリ誕生日前)
・確かこの年からピアノコンサートに出演しなくなる(なんだかんだ20年近く出演してた)

掛け持ちの新しい仕事は入社してわずか3ヶ月でSV(スーパーバイザー)に任命された。これは優秀とかじゃなくて単に人がいなかったからだと今でも思っている。


【35歳・主に2019年】
第三子誕生(12月。来年年長組になる)
・2020年4月、コロナが流行りだしレッスンは休講、掛け持ちの仕事もフルリモートとなり、保育園も休園のため緊急事態宣言中は大村市の妻の実家にお世話になる。

あと、この年にTHE REMAINに提供した「手紙」がいろんなところで高評価を受ける。ソングライターとしてとても嬉しい瞬間だった。


【36歳・主に2020年】
・EXPG福岡校のボーカルインストラクターを退職、掛け持ちのコールセンターも退職し、福岡を離れて大村市に移住(トータルすると地元とほぼ同じ時間を福岡で過ごした)
・おおむらケーブルテレビに入社、制作部として番組作りの仕事を始める(2021年1月)
・福岡に来て最初に組んだフォークデュオ「you's」の相方の結婚式で10年振りに二人で歌う(当日リハーサルだけで乗り切る)

このあたりで今の生活の基盤が出来始めてきたなと感じる。ちなみに引っ越しの際、ずっと使っていたNordの電子ピアノはしばらくミズケンに預けていたので、彼が福岡でのライブでいつも使ってくれていた。


【37歳・主に2021年】
・ひたすらケーブルテレビで番組作りに勤しむ(生中継の司会などもやった)
・的野祥子ちゃんの10周年アルバムに「22時のラブソング」を提供(この年作った曲は多分これだけ)

ケーブルの番組内で音楽番組もさせてもらっているおかげで、なんだかんだ音楽活動は継続できている不思議な状況が生まれている。
高校の吹奏楽部と一緒に演奏するなんて、テレビの力がないと実現できなかったと考えると、この仕事でつくづくいい経験をさせてもらってるなと感じる。


【38歳・主に2022年】
・誕生日当日に西九州新幹線の試験走行の取材に行く(これも報道の仕事をしてたからできたこと)
・初めて高校野球の実況に挑戦する(しかしグダグダで終わる)
・初めてコロナに罹る(隔離施設で1週間熱との戦い)
・新居が完成する(西九州新幹線開業の翌日)
・ミズケンからキーボードを返してもらい、自宅での音源制作もちょっとずつ再開

インスタ等で「制作活動再開します」と言ってすぐにピアノ録音や作曲の依頼をいただいたりして、
皆さんのおかげで音楽活動を続けさせてもらえているのが有難い。
多分福岡の最後の何年間よりも、大村に来てこの1年間の方が曲を作っている気がする。

【39歳・主に2023年】
・2年目の高校野球実況に挑戦(全8試合を担当)
・ケーブルテレビのご縁もあり、8年ぶりにソロでライブに出演(2024年4月)
・第四子誕生(初めての女の子)

子どもが産まれたり、久しぶりに客前演奏をしたりと、30代最後にいろんな状況変化が起きた1年となった。


ということで、30代の10年を振り返ってきました。まだあと数日残ってはいますが、この10年間も皆さんに支えていただいたおかげで過ごすことができました。ありがとうございます。
40代はどんな人生になるのか、50歳を迎える直前、10年を振り返ってどんなことを想うのか。
大変なことも多いと思いますが、気を引き締めて過ごしていきたいと思います。

なかなかの長尺だったな・・・しばらく書かなくていいまである。
40代もよろしくお願いします。ではまた。


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