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人間は前進するためだけに生きているのではない。

みなさんにとって、2021年はどのような一年でしたでしょうか?

コロナ禍が続き、予想していたような日常が回復できないもどかしさ。鬱屈した毎日に、心や身体のバランスを崩した方もかなり大勢おられるかと思います。また、人との交流が遮断され、気軽にお酒を飲みながらおしゃべりすることもままならず、孤独感を感じた方も多いかも知れません。

そのようななかで、どうにか一年を終えて、新しい一年を迎える。それだけでもとても価値があることだと思います。人間の弱さ、社会の脆弱さを感じながらも、次のステージに向けてどうにか前進する。そのような一年になったのかもしれません。

私は、人間にとって前進すること、進歩することが不可欠だとも、必然だとも思っていません。体調を崩して後退することもあれば、今の自分が本当に正しいのかどうかを確かめるために立ち止まることも必要なのかも知れません。まずは、日々の生活を精一杯、悔いのないように、送り続けるだけでも十分立派なことだと思っています。

私自身は、2021年10月からイギリスのケンブリッジ大学に一年間、在外研究に行くことを勤務先からお認め頂き、多くの方々のご厚意とご海容に支えられながら、研究に専念する贅沢を頂きました。

サバティカルの時間を頂けたのも、2010年8月にパリから帰国してから11年ぶり。この10年間、本当に色々な貴重な経験をさせて頂きました。

11年前に帰国して、ちょうど私が40代に突入してから、私はその後十年間の目標を設定しました。その目標とは、生きて50代を迎えること。とりあえず、今は生きておりますので、目標を達成したことになります。

研究で前進するとか、何か賞を取るとか、国際的な評価を受けることだとか、そのようなことはまったく望んでおりません。40代で体調を崩す方、心のバランスを崩す方が多い中で、負担が増えて体力が衰える中で、日々の責任を全うしながらどうにか50歳を健康で迎えることが、重要な目標でした。健康で50歳を迎えるということは、おそらくはどうにか毎日の責任を最低限果たしている結果でもあるのだろうと、考えた次第です。

そして、2021年8月、無事に50歳の誕生日を迎えて、心身ともに健康な状況で50代を迎えることができるようになりました。

人間は心身ともに年齢とともに衰えるもの。若さだけが美徳ではないし、年を重ねて得られる余裕や視野の広さもあるはず。そのようなことを考えながら、年をとるのも悪くはないというのが、もともとの私の考えです。ですので、自分自身、50代になったことを密かに喜んでおります。

とはいえ、ふざけて冗談を言うときには小学生のような表情に戻っておりますし、また期日までに「宿題」を出さないだらしなさはこれまた小学生のときと変わりません。そのような意味でもまだまだ精進し、前進しなければなりませんが、なかなか気力や体力が言うことをきいてくれません。のんびり無理をせず、好きなことをしながら、心地よい時間を求めて、引き続き日々の生活を楽しんでいければと思っています。

50歳となり迎える元旦。2021年も残りわずか。

どうか皆さんにとっても素敵な一年となりますように。そして、コロナ禍が収束して、少しずつ皆さんが快適さや、喜びを回復できる時間が得られる新年となりますように。

そのようなことを願いながら、私自身、50歳の残りの8カ月を、自分の専門でもあるイギリスに滞在して、自らの専門の国際政治学やイギリス外交史の研究に専念して、研究者としての意義のある時間を過ごしたいと考えております。

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