咲比ユイ

北海道で生まれた旅人。あんこを広めるべくヨーロッパへ旅立つ。

咲比ユイ

北海道で生まれた旅人。あんこを広めるべくヨーロッパへ旅立つ。

最近の記事

しあわせですか。

オランダ生活も残すところあと10日ほどなんだけれど、この1ヶ月で気づいたことがあって。そしてこれ、みんなで考えてみたいんだよね。一緒に考えてくれるよね、ありがとう。 しあわせって、ふしあわせって何かっていう永遠の問いに対し、私はこのオランダ生活で、なんと暫定のアンサーを出したのだよ。それはね、「自分の中の足並み揃ってますか!?」ってこと。 意味伝わるかな。ごめん私英語でさえ勉強中なのに日本語能力も欠如してるんだ。 説明します。まず大事なものとか好きなものとか、自分が生き

    • 旅とアート

      2017年、ゴッホ展に行った。高校生だった。2022年、フェルメール展に行った。メキシコに行く前の日だった。どちらも札幌の近代美術館だ。 フェルメールの作品はただただ光が美しかった。ゴッホの絵は迫ってくるようでちょっと怖かった。どちらも感動したけれど、異国の芸術だった。距離を感じた。素敵だけれど、遠かった。 あの頃は想像もしなかったが、私はいま彼ら縁の地、オランダにいる。初めて訪れたのは去年の秋だった。5日ほどの滞在でいちばん心躍った瞬間がある。電車に揺られ外を眺めている

      • ママとパパへ

        ママとパパに伝えたいことを書く。万人受けしないのであまり読まないでほしい。人前で裸を晒すような気分だ。なら晒さなければいいのだけれど、やっぱりちょっと知ってほしい。露出狂みたいなものだ。 わたしはどうも愛嬌がない。説教中に発言すると大抵火に油を注ぐし、家族との話し合いも論理的に進めようとしてしまう。悪気はない。愛嬌がないとか可愛げないとか、何回言われたかわからない。 友人は似た者同士も多いのでまだいい。一方で、話が合うから仲がいいとか、そういう次元じゃなく大切にしたい家族

        • 世界にあんこを広めたい話

          3日後、私は上海経由オランダ行きの飛行機に乗る。いつもふらふらしているけれど、今回はただの旅ではない。あんこを広める旅だ。どうやら突拍子もない話らしいが、私の中では突拍子もない話ではないので、ここに至るまでの話をしよう。 あんこは好きじゃなかった。就職して、摂食障害になって、なんでもいいから胃に放り込みたくなる期間があって、食べ物に見境なくなった。甘いものならなんでもよくて、あんこも食べた。味とか、そんなものはどうでもよかった。ただただ、そのときを何かで埋めたくて、食べた。

        しあわせですか。

          桜が咲いた朝に

          図らずも、桜前線とともに北上している今年。 これから桜が見られない年が増えることを見越した、運命の粋な計らいか。そんなことを思いながら、今日もまたはっと息を呑む桜に出会うam7:00の佐渡島。 島に到着したときには蕾しか持たなかった彼らは、私がご飯を食べて、仕事をして、お酒を飲んで、寝て、起きて、食べて、仕事をして、サウナに入って、また寝ているうちに、すっかり美しい花を咲かせた。 私が数日生きている間に、彼らはじっと蕾をこしらえ、そっと咲いたんだ。 花が咲いて、それか

          桜が咲いた朝に

          おでん屋で愛を叫ぶ

          一人旅に夜のぶらり飲み歩きは欠かせない。高山のでこなる横丁には、素敵なローカル酒場が軒を連ねる。 実は2年前にも、一度高山を訪れている。そのときに入った店はどこだったか。ふと、小さなおでん屋の中から、人の良さそうなママと常連風なおっちゃんがこちらに手を振っている。手招きまでしだした。ここまでされて入らないのは武士じゃない。腹を決めてガラガラと戸を開ける。 カウンターのみの小さな店。既視感。もしかしてコレ、前来たとこじゃないの。2年前に一度来ただけだし、あのときは地元のおっ

          おでん屋で愛を叫ぶ

          スピらざるを得ない

          座禅をしてきた。まだ少し寒い、3月末の飛騨高山。盆地をゆるく流れる空気はあまりにも心地よい。 渡欧する前に日本でやっておきたいことのひとつが、座禅だった。まさにそんなタイミングで高山の善光寺を紹介してもらい、訪れることを決めた。 ここ数年は、偶然を超えて運命と言いたくなる出来事がよく起こる。だからスピらざるを得ない。 午前7時。朝のお勤めに参加する。住職のお話を聞く。お焼香をあげる。お経を唱える。平和を祈りながら。幸せを祈りながら。 午前8時。座禅がはじまる。一朝一夕

          スピらざるを得ない

          猫好きの遺伝子

          またどっか行くのかお前。と睨む実家の愛猫を横目に荷造りを終え、ルーツを辿る旅に出た。 薩摩。私のルーツはここにあるらしい。薩摩藩主を代々務めた島津家の家系図、イエメンの竜血樹の如く幾重にも広がり枝分かれするその新芽の先に私がいるわけである。 気づけば大人と言われる年齢になった。それなりに酸っぱかったり苦かったりもするここ数年間が、何だかんだ私の生物としての厚みを1mmくらいは育ててくれたようで、少し前には感じられなかったものを感じられるようになった。 土地や人との相性。

          猫好きの遺伝子

          右脳が死んでいた

          絵を見るのが好きになった。 正直そんなに詳しくない。高校生くらいまでは絵画を見る楽しさなんて全くわからなかった。 21歳で心の健康を失ったとき、気づいた事がある。 不調の真っ只中のときは、負の感情しかなくて何も考えることができなかった。少し余裕が出てきて、幸せになりたいと思った。そのとき気づいたのは、ここ1年、というか恐らく3年くらいかけて徐々に、私は右脳を窒息させてきたんだということ。 簡単に言うと左脳は論理的思考、右脳は直感的思考を司っているらしい。右でも左でもど

          右脳が死んでいた

          ミラノの鳩ポッポ

          ミラノで最後の晩餐を見たついでに参加してみた街歩きツアー。スフォルツェスコ城で出会ったのがこの子。 思い返してみればこの日は散々で。 15分は余裕を持って乗ったはずのトラムが途中で急に動くのをやめた。動き出す様子もなく、みんな散り散りにトラムを降りていく。私もしゃあないUber呼ぶか、と思ったらなんとUberもいない。タクシーもいない。いや待てよ車がない。 というところで交通規制がかかっていることに気づく。そういえばゼッケンつけたじっちゃんばっちゃんがいっぱいいる。なる

          ミラノの鳩ポッポ

          辰年の女と愛と平和

          私、年女らしい。 2000年生の24歳、気づいたら干支を2周したようだ。 辰ってなんかかっこいい。干支で唯一の架空の動物でもある。辰年、気に入っている。 そんな訳で私が人生で初めて入れたタトゥーは実はタツノオトシゴである。 いや待て待て。と思ったそこのあなた。そう。辰は龍ではあれど決してタツノオトシゴではないし、タツノオトシゴは実在する生物である。辰年だからってタツノオトシゴを彫るのは、酉年だからってペンギンを彫るくらい意味がわからない。いやペンギンは鳥だからそっちのほうが

          辰年の女と愛と平和

          私たちはどう生きるか

          君たちはどう生きるか。去年友達と観にいったあとで、メモを残していたことを思い出した。つらつら思いのままに書かれた感想文の最後に想定外が待っていた。過去の私が「問い」というなんだかちょっと壮大な見出しをつけて残した言葉。 生まれた点と死んだ点。私は今、生まれたのに生きず、死んでいないのに死んだように、この点の間に浮遊していないか? だいぶ宮崎駿にやられてる感はあるけれど、そしてなぜこんなことを思ったのかは全く覚えていないけれど、この問いにはハッとした。私は忘れっぽいので、こ

          私たちはどう生きるか

          焼き栗

          焼き栗って日本のものだと思ってた。 和菓子によく使われているからだろうか。なぜか私はずっと焼き栗は日本のものだと思っていた。 10月のイタリア・ミラノ。街歩きをしているといたるところで焼き栗を焼いている露天商がいる。考えてみればパリの美術館近くにもたくさんいた。 そもそもそのへんに栗の木がたくさんあって、栗がゴロゴロ落ちている。彼らはその栗を拾って焼いて売っているわけだ。だからって訳でもないがなんとなく買う気にならなかった。 しかし、何を隠そう私は大の栗好きである。芋栗

          不知火の夜

          うちの母は不知火が好きだ。この季節にはメルカリで九州の訳あり不知火を大量に仕入れるので、実質不知火食べ放題の日々が訪れる。 私も柑橘は大好きでありがたい限りだ。今日も夜な夜な不知火を食す。隣に座る猫が鼻をくんくんとさせ、お前また酸っぱいもん食いやがってと迷惑そうに私から距離を取る。 甘酸っぱい。素晴らしく美味だ。酸っぱさできゅっと唾液腺がすぼまり、甘さでふっと頬がゆるみ、またまた酸っぱさで胃がキュッとする感じがなんともやめられない。 一瞬で食べ終わってふうっと一息つく。ま

          不知火の夜