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リアルって、一体どの時点? : 新しい家族の形 社会の形



病院の待合室で、少年が黒地に白地のキャラクターの入ったバックを肩から外した。
バックを開くと、バックの中身はキャラクターの財布やマルチポーチでこれまた可愛いが沢山詰まっていた。
二人で並んで、少年がマルチポーチを開くのを見ていた。
少年は赤いセルロイドを取り出すと、それは障害者手帳だった。


「これを開くと急にリアルになる。」

と、少年は言った。


赤いセルロイドはポーチから取り出した途端、とても重たい空気を発していて、
少年の『リアル』と言う一言に、色んな現実が詰まっていて、重力は百倍になった。
『リアル』
これ程、現状を言い得ている言葉があるだろうか?
私は重力で押し潰されてぺったんこになりそうな気分になった。

リアルって、なんだろう?

少年にとって、リアルとはこの耐えきれない重力なのかもしれない。

…そう思うほど、重力は倍増する。

こう言う時。
いつも私は、強力な重力から少年を引っ張り上げたくなる。


「昼間眠くなって、夜も眠れるの?」

「…。眠れる。昼間眠いって言うより、眠くなるのは現実逃避。」

少年のリアルって、一体どこに存在するのか?
現実逃避する世界が少年のリアル?
この世界の怖い所って、逃避した場所が現実になる所だよね。


少年はADHDって病名が付いているけど、普通の家庭に育っていたら、そんな病名は付いていない気がする。
兄弟の面倒を朝から晩までみて、食事、洗濯、掃除の家事をこなし学校に行く。

そりゃあ、眠くもなるでしょ…と、私は思ってしまう。

親は学校に行かせることはそんなに関心がない。進学しないで働いてもらって、家事をしてもらって…それでいいらしい。
私も学校に行く事自体は、どうでもいいと思うところがあるけれど、それは、自分で学習出来る子供の場合だ。
学校なんて社会のヒエラルキーの第一段階としか思っていない所もあるから。
ただ、学習出来ないのは困る。簡単に誰かに騙されるようでは困るから。
…そう思うと、学校って一体何な訳?みたいな事も言いたくなるんだけど。

そんな事を考えていると、社会の仕組み自体を全部ぶっ壊したくなる。
障害者手帳も学校も本当に彼に何をしてくれるって言うんだろう。
…暴力的?
…確かに。
…少年に、「うち来る?」と言ってしまいたい衝動をいつも押さえている。
だけど、こう言う子供たちは彼一人ではないんだ。
「うち来る?」
そんな解決策が役に立つだろうか?


少年の家に行き、料理を二品作る。
材料も限られているため、味付けは違うけど2回続けて野菜炒めを作ってしまった。

「こいつ来るたび、野菜炒め作って…て、言われちゃうよね。」
と、自虐的に言うと、
「そんな事ない。作って貰うだけでありがたい。」
と、私が慰められてしまう。
本当は
「また野菜炒め〜。」
って、言って良いんだよ。言えるべきだよ。
ありがたい…なんて言葉、私が知ったのはおばさんになってからだ。
子供の時にありがたいなんて言葉、知らなかった。
子供が感じる言葉じゃないよ。


私はやっぱり、思うんだ。
大人がみんなで子供を育てられる村が作りたい。
寂しいと感じることのない村が作りたい。
社会をぶっ壊したいなんて、暴力的な事を思う必要のない村が作りたい。
悟空なら
「オラにまかしとけ。」
って言うだろう。
だけど、ベジータと戦って欲しい訳じゃない。
それでも、
「オラにまかしとけ。」
って言葉がどれだけ心強いか。

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