見出し画像

新しい家族のカタチ Ⅳ


ある日、
ある女性の家を訪ねると、玄関を開けた途端、その女性は意識がなく倒れ込んだ。

呼吸も脈もしっかりしている。

救急車を呼んで、その女性をお願いした。

さて。
家の鍵はどうしよう。
その女性に身寄りはなく、連絡する先がない。
マンションの管理人にお願いしようと話をすると、お断りされた。
お断りされても、私がどうこう出来ることではなく困り果て、結局は、女性の連絡先もないことから、何とかお願いする事が出来た。

しかし、
数日後、その女性から、
「迷惑はかけないから、どうか身元保証人になってほしい。」
と、お願いされた。

実はそれは社会問題になっている事だった。

身寄りのない高齢者が増えていて、
身元保証人がいないと入院も、
施設入所も出来ないため、
保証人代行業が都会にはあるけれど、
田舎にはそんな代行をしてくれる会社はなく、
市役所にお願いするしかないのだが、
対応は冷たい。

しかも、
お願いされたとしても、
私が女性を訪ねるのは契約関係、
いわゆる仕事で伺っているわけで、
会社の規約で保証人になることも、
訪問予定以外で尋ねることも、
電話番号を交換することも禁止されている。
当たり前と言えば当たり前だ。
トラブルの元になる事を分かっていながら許可するわけもないし、自分の身を守るためもある。

凄く冷酷な表現をすれば、

「お金の関係」

なのだ。

どんなに普段ニコニコと話そうと、
それはお金が発生するからこそ。

お金が発生しなければ、
無関係となる。

そう思うと、
「現代
人間はお金だけで繋がっている」
…と言えるんじゃないだろうか。

仕方ないので分かっていながら、
「申し訳ないけど、市役所に相談してもらえませんか?」
と、返事した。

そして返事は、
「市役所は…。」
と言う返事だった。

女性の悲しそうで、不安で、拠り所のない表情を、目を逸らさず見つめて思ったのは、

お金の繋がりではない人間関係を作りたい
…だった。

お金を介さなくても、
保証人などいらない、
困った時は助け合える、
そんな村を作りたい。

そもそも、
保証人が必要なのは、
『お金を払えなかったら困る』
なのだ。

それ以外の何者でもない。

細かく切り刻まれた人間関係が、
お金だけで繋がれた社会。

そんなの安心して生きられる世界なわけがない。


ある老人がいる。

お正月には誰も尋ねてこない。
私たちの様に、お金で繋がった人たちはお正月に尋ねてくる事はないから。
一人ぽっちで家に篭るしかなかった老人は、
「俺はもう死んでもいいんだ。」
と、悲しそうに話した。
老人が「寂しかった。」と、口にしなくても、そうであった事がわかる。

この世界で、お正月が寂しさを浮き彫りにする行事だと感じている人がどれほど多いか。


それなら、
一つ村を作り、
村全員が家族として生きられれば
どれほど安心して暮らせるだろう。

核家族化よりさらに、
単身世帯が増え、
老老介護で暮らし、
子供の虐待は家の中でひっそり存在し、
安心して暮らせる場所は無くなった様に見える。

村が家族なら、
一人で暮らそうと外に出れば家族がいる。
子育てに悩もうと、預かってくれる人がいる。
料理が苦手でも、料理が得意な人は必ずいて、いつもお裾分けがもらえる。
お掃除が苦手でも、手伝ってくれる人がいる。
その代わり、自分が出来る事を手伝えばいい。


ユヴェル,ノア,ハラリは、
ホモ・サピエンスは、火を手に入れそこから進化を果たした…と言った。
まるで人は火の性質を身につけた気さえする。
全てのモノを燃やし尽くしても、それでも更に燃やし尽くそうとする。

そんな人間が作り出したお金も
火に似ている。

宮崎駿は、風の谷のナウシカで、「わしらも火はちょびっとは使う、でも多すぎる火は何も生まん。何もかも灰にしてしまう。わしらは風と水のほうがええ。」
と言った。

もしかしたら私は火から逃れたいのかもしれない。
水と風で育てた食物を食べ、自然と生きていけたら、みんなで幸せになれるんじゃないだろうか。


理想を語るのは簡単…と、思うかもしれない。
彼らと一緒に笑って暮らせるなら、少しくらい頑張って生きてみても良いなと思っている。

もちろん、
村構想も考えている。
しかし、私一人では立ち上げられない。
村を作るにはITも必要で、そこが私の弱点だ。
村が可能なのは、ITが確立したからこそとも言えるほど、重要だと思う。

出来れば、これを読み賛同者が現れるのを期待している。

あなたの、「新しい家族の形」は何ですか?





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?