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俺にとっての長髪と髭

今日、これから新しい仕事を始めるにあたって髭を剃るように勧められた。
簡単に説明すると、今までは言われた通り手を動かす仕事しかしていなかったが、先日知り合った人の下で働くにあたって営業じみた仕事も必要になってくるからだ。
身だしなみを整えると成約率が上がるらしい。まあそれは確かにそうだ。

ただ、言われた直後はかなり落ち込んだ。
たかが髭だろと思うかもしれない。でも自分にとっては、自分で思っていた以上に大事なものだったようだ。

髭を生やし始めたのは2022年の夏。

静岡旅行に行く前の写真、かっこいいだろ?

エストニアでも5月末に帰ってきてからも一回も剃らなかった。さすがに整えることは何回かはあったけど。

ロン毛にこの髭面なので、自分と言えばこのビジュアルとして覚えられていた節もある。いわば、長髪と髭は自分にとってアイデンティティだった。

髭を剃るよう勧められた後、すずかの家で『キャスト・アウェイ』を見た。
こういう日は映画だと思って、しばらく考えたのち、『キャスト・アウェイ』が見たくなったのだ。

国際的な超大型運送会社FedExに努める主人公は常に時間に追われる。
「人間は”時間”からは逃れられない」「”時間”に背を向けることは大罪だ」と語る。
だが、人がどんな力を持とうと、どんなに大きな岩が転がっていようと、時間が経てば、人は死んで力を失い、岩も砕けてやがては砂になる。

この世界に物質として存在する限り、時間には逆らえない。

自分は、わが身を周りの流れに任せよう、という哲学を抱いている。
これは今までずっと持ってきた俺流の処世術だ。

どんなにあがいても、ふとした理由で人生の道は路線変更を余儀なくされる。そんなことならいっそ、この広い時間の大海原の波に身を任せ、気の向くままにどこかに流されたい。そんなような考えだ。
そうはいっても、全く道を決めないわけでもない。選択を迫られたときに目印にしているおぼろげな目標があって、そっちに近い方を自分で選ぶときもある。

俺は、かっこいい男になりたい。
単純な目標だろ?でもいい。これで満足。

長髪と髭は、俺をかっこよく見せてくれた。自分でもかなり気に入っていた。この見た目に惚れた女の子だっている。
髪と髭が自分にとっては大きな意味を持つアイテムなんだと実感した。

だが、この映画を観て、少し考えが変わった。気がする。
「成長した」「気付かされた」なんて表現があってるのかもしれない。

どんなに大切なものも、どんなに大切な人も、どんなに大切な瞬間でさえも、必ずいつかは時の流れに消えていく。
時間とは時に残酷で、前触れもなく突然私たちから何かを奪い去っていく。
それまでに自分が何をしてきたかなんて主観的なことは、時間というこの世界全体を支配する大きな理からしてみれば無意味だ。

物語において主人公が成長を遂げるには、大切なものを失って前に進むことが必須である。

だからチャックが救助される直前、ウィルソンはチャックの傍を離れていった。
この物語において、ただのバレーボールのはずのウィルソンはいかにも人格を持っているかのような描き方をされる。
チャックの成長を見届けて、ウィルソンが離れていったのか、はたまた時間がウィルソンをチャックから取り上げたのか。。。

自分にも自分の大切なアイテムを手放して、成長するときが来たのかもしれない。

傍から見ればただの長髪と髭。
でも自分にとっては大事な物。
これは自分の人生の大きな分岐点なのかもしれない。
し、そうじゃないかもしれない。

この道を選んで、時間の流れが次に自分をどこへ連れて行ってくれるかは分からないけど、次はどんな地点に連れて行ってくれるのか楽しみになった。


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