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「女子大生」と「正義」


ある夕方のこと。

私は近所の本屋さんにねちっこくも2時間ほど滞在していたと思う。

その日はただただ、暗いだけのミステリー小説が読みたかった。そんな気分だった。

しかしさすがは近所の本屋さんだけあって、品ぞろえが最悪。作者名もばらばらだし、なにより頼りにしていた有名作家さんの作品が劇的に少ない。


何を読もうか、小説コーナーを何往復も歩いた。

ふと、目についただけの本だった。なんだか見たことのある文字の配列だが作者は全く記憶にない人物。


その本は、「真実は、奇なり」という特集の中の一冊だった、

「桶川ストーカー殺人事件 ー遺言ー」だった。

私は家に帰って読み始めるまでそれがフィクションの小説だと思っていた。


すぐにこれが実話であり、記者の方が書かれたのだと分かった。まさに「真実は小説より奇なり」であった。


「桶川ストーカー殺人事件」


これは私が生まれた1999年に、今年私が迎える21歳と同じ年齢の女性が殺害された事件である。


桶川ストーカー殺人事件


事件の概要はこうだ。



などと要約が苦手な私が得意げにいえることではないが、事件の概要は、こうだ。


1999年10月26日、ある女子大生が昼間に駅の目の前で何者かに殺害された。警察は当初通り魔の殺害としていたがその女子大生には前々からストーカーの存在があった。

警察は捜査を進め、すぐにストーカー犯を突き止めたが既に逃走しておりなかなか捕まえることができなかった。

しかし2か月後、実行犯の男は発見され、ストーキングをしていた数人と殺人を指示した首謀者とされる男も捕まった。

一方、ストーカー本人であるA氏は名誉棄損の容疑で指名手配が掛けられたが数日後札幌で死体となって発見された。


何の変哲もないただのストーカー殺人事件(すべて変哲はあるのだが)と思うかもしれないが、これは「警察」の捜査であって、真実ではない。と本書は伝えてくれる。


ストーカー犯のA氏は被害者女性と短期間であるが交際していた。しかし、女性が別れを切り出したころから態度が一変していく。

一日中監視を付けられ、友達を買収し情報を得る。彼女本人には暴力まがいのことをいくつもし、近所中にばらまかれる嘘のビラと偽造された彼女のヘルスのようなカード、いくつもの嫌がらせが続き、ついには父親の会社へもビラが配られる。被害者家族は何か月もの間加害者からの嫌がらせを受け続けた。

生前、彼女は友人たちに「私が殺されたら犯人はA」と何度も言い、当時の以後とを友人に事細かに伝え記録してもらっていたという。

一方でストーカー被害で警察に行っても取り合ってくれず、めんどくさがられ、笑われ、味方などしてくれなかった。

そんな中で起きた事件。


首謀者は明らかにAだった。


しかしAは最終的には捕まらず、Aの兄が首謀者として捕らえられたのだ。


警察はこの「ストーカー事件」の職務怠慢と、ストーカー被害で生前被害者が告訴していたにもかかわらず、勝手に改ざんしたとする汚職を隠すためにわざと、犯人の発見を遅らせ、A氏を逮捕しないようにしたという。

しかも驚くのは被害者への対応である。


警察側の怠慢・汚職を告訴した被害者の両親にしらを切り続け、このストーカー殺人事件の被害者の落ち度を勝手に作り上げ印象操作を働こうとした。しかもそれを被害者遺族が「菓子折り」を受け取ったから、同意したということである、となんともおかしい言い分を固めるのである。



この事件をきっかけに「ストーカー規制法」が制定され、同時にこの事件は警察の最大の汚点ともいわれている。



1999年、21歳、女子大生


この共通点になんとも運命を感じざるを得ないのが私、運命主義である。


この事件の犯人はこのストーカー犯だったのか、決定的な事実がありながら無視し続けた警察か。


普段批判というものとは程遠い私でさえ警察を批判したくなるような事件であることは間違いなかった。



ストーカーの時点で決定的な証拠があるにもかかわらずそれを軽くあしらい、被害者の告訴を勝手に改ざんした、事件発生後のふざけた会見、明らかに全力とは言えない捜査状況、マスコミに対する情報操作、裁判でのでたらめな供述、ばれたらトカゲのしっぽきり。

ここに何人の警察官が関わっているかは想像できないが、この事実を記者である著者が暴くまで誰も口外しなかったなんて。





「正義」とはいったい、どこにあるのか。






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