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サンタクロースは、何歳まで信じててもいいのか?

誰でも一度は、サンタクロースを信じたことがあると思う。じゃあ、人がサンタクロースを信じなくなるのは、いつからだろう。
このnoteを書いたら、私はちょっと考えすぎと思われるかもしれない。でも仕方ない、それが自分なのだから。人生いろいろ、クリスマスもいろいろだ。開き直っていこう。

中1までサンタさんを信じていた私

子どものころ、私の家には毎年、クリスマスにはサンタクロースが来ていた。もちろん、実物のサンタクロースを見たわけではない。多くの家庭で行われているように、私の家でもクリスマスの朝目を覚ますと、枕元にプレゼントが置かれていた。私も3つ下の妹も、「サンタさん」の存在をごく自然に信じていた。
当時、私の家はあまり裕福ではなかった。というよりけっこう貧しかった。私の父は母方の祖父が経営する会社で働いていたが、親族だからといって給料が優遇されているわけではなかった。むしろ祖父は自分の娘と一緒になった父をおもしろく思ってなかったらしく、孫の私や妹には優しい祖父が、何かにつけて父には冷たいのを子ども心に感じていた。
いま思うと、なかなかに厳しい生活をしていた。朝食はひとつの納豆を家族4人で分けるのが当たり前だったし、着るものは滅多に買ってもらえず、基本は親戚や知り合いからのおさがりで、それ以外は、洋裁学校を出た母が父の古いワイシャツをほどいて私の肌着(昭和でいうところの「シミーズ」)に作り直したり(ゴワゴワしたし、体育の着替えのときには友だちに笑われた)、何かの残り布でスカートを作ってくれる(残り布なので柄が全然かわいくない)という感じだった。母が若い頃履いていたレトロなスカートを丈詰めして着ることもあった。
そんな具合だから、おもちゃや流行のモノなど、買ってもらえるわけがない。小3のときにルービックキューブが一大ブームとなりクラスのほぼ全員が持っていたが、私の家にはなかった。おもちゃだけではない。学校の授業で三角定規やコンパスなどの学用品が必要になると、母は自分が子どものころに使っていたものをどこかから出してきて、私に持たせた。三角定規はプラスチックの透明感がとっくに失われて雨が降った後に乾いた窓ガラスみたいに濁っていたし、コンパスは針や脚の部分が所々錆びていた(あまりに恥ずかしくてその後泣きついて買ってもらったが)。
そこまで生活が苦しい理由は、たんに父が冷遇されていたからだけでなく、父が田舎の両親に仕送りをしていたから、ということは、子どもの私が知る由もなかった。
けれども苦しいわりに習い事はさせてくれたので、上手にやりくりしていた母には感謝しないといけない。
何しろあらゆるモノに関して、買うという選択肢はほとんどなかった。私も妹も、いろいろと我慢を強いられていた。
そんな家庭で育つ子どもにとって、クリスマスはほしいものが手に入る数少ない機会だった。毎年クリスマスの朝、枕元を振り返るワクワクといったらない。ローラースケートやキキララの小物入れ、陶器の人形の貯金箱…。プレゼントの包みは、複数あることが多かった。
プレゼントの贈り主はもちろん両親だが、私は本気でサンタさんがくれたものだと信じて疑わなかった。
プレゼント選びは家計を握る母の役割だったと思われるが、多分母は「ゼロか100な人」なのだと思う。普段の生活では質素に徹するけれども、ここぞというときには思いきり奮発する。子どもからすると、クリスマスの日はもっと控えめでもいいのでそれ以外の364日にもう少し買ってくれてもよかった気がする。

***

小6になったあるとき、仲良しのまあちゃんと「サンタさんはいるのかいないのか」という話になった。常日頃から何かと教えてくれるまあちゃんは言った。
「ユカちゃん、まだサンタクロース信じてるの? サンタさんなんていないんだよ。どこのうちも、子どもが寝たら親が枕元にプレゼントを置いてるだけなんだよ?」
まあちゃんはわかっていた。現実を知っていた。それはそうだ、もう6年生なのだから。一方私はまったくもって幼かった。まあちゃんの言うことをすんなり受け入れる気になれない。
それに仮にサンタさんが親だと思おうとしたところで、わが家の日々の雰囲気からしてプレゼントなど買う余裕があるように見えない。うちの親がサンタさんになれるはずがない。
「でもうちのお母さんはそんなこと言ってないよ?」
「親がそんなこと言うはずないでしょ。しょうがないなあユカちゃんは」
まあちゃんは、私には何を言っても無駄だな、という顔をしていた。

その年のクリスマスが近づいてきたある日のこと。妹が遊びに行って不在のとき、居間で母とおやつを食べていたら、唐突に母が言った。
「今年はユカちゃんにはサンタさん、来ないかもよ」
予期せぬタイミングで母から突き放されたことに、私は戸惑った。モグモグしていた口が止まった。なぜそんな冷たいことを言うんだろう。
私は思った。母は、もしかしてサンタさんと連絡を取っているのではないか? サンタさんから、今年はユカちゃんにはプレゼントはナシにするとか、そういう話を聞いているのではないか?
サンタさんを信じているばかりか、あらぬ方向に勘違いしだした。我ながらずれまくりもいいところだが、私は心の中で大真面目に心配していた。
けれども、自分がひるんだことを母に察知されてはいけない。
「でも小学生だから、まだ来るんじゃないかな?」
と平静を装って答えた。
サンタさんが「子どもにプレゼントを贈る人」ならば、せめて小学校いっぱいは来てほしい。切にそう願っていた。

クリスマスの朝。目を覚まして、バッとすばやく体を起こし、枕元を振り返る。そこにプレゼントはなかった。代わりに白い封筒が置かれていた。
おそるおそる封を開くと、手紙が入っていた。
「KOTOSHI  WA  MOU  6NENSEI  NANODE  X'MAS  NO  PUREZENTO   WA  ARIMASEN.  KOREKARA  GANBATTE  BENKYOU  SHITE  KUDASAI.」
なんとローマ字で書かれた、サンタさんからのメッセージだった。
「今年は6年生だから、プレゼントはありません。これからがんばって勉強してください」。私は、そのメッセージを何度も何度も読んだ。サンタさんは、やっぱりいたんだ! でも、いるとわかった瞬間、私から去ってしまった。一気に悲しみが押し寄せる。生まれて初めて、涙で文字がぼやけた。でも、もしいま母が私の部屋を開けたら、泣いているのを見られてしまう。私は涙をこらえた。
そして手紙以上に驚いたのは、手紙と一緒に、当時まだ流通していた「五百円札」が入っていたことだった。昭和世代なら記憶にあるはずの、あの濃紺のお札。私は後にも先にも、岩倉具視をあんなにまじまじと見つめたことはなかった。
そのとき自分には、「なんでいままでサンタさんはプレゼントにけっこうお金をかけてくれていたのに、お札になったら急に金額が下がったんだろう」みたいな疑問や不満はまったく湧かなかった。サンタさんは、最後の記念にお札をくれた。小学生にとってはお札というだけで大金だった。私は、本棚からサンタさんが以前くれた伝記『ナイチンゲール』を取り出すと、真ん中あたりのページを開き、岩倉具視をそっと挟んだ。
千円でも五千円でも、ましてや一万円でもなく、五百円札。わが家の家計は相当苦しかったに違いない。でも当時の私はサンタさんを信じるあまり、親との関連などまったく想像できず、感謝と感激の気持ちでいっぱいだった。

***

それから1年が過ぎた。私は中1、妹は小4のクリスマスが近づいていた。
サンタさんが自分に来ないのはもうわかっているので、サバサバした気持ちでいた。中学生は、もうサンタさんからプレゼントをもらう年齢ではない。そう割り切ると気がラクだった(ちなみに親からプレゼントをもらう習慣もないので、プレゼントは何もナシだった)。
けれども、この年のクリスマスは簡単には終わらなかった。
12月25日の朝。私がこたつに入って朝食を食べていたら、寝坊気味の妹がやって来た。妹とは寝室が別だったので、私はまだ妹がサンタさんに何をもらったか知らない。聞こうと思ったら、妹が表情のない顔で言った。
「サンタさん、来てなかった」
「えっ…?」
私は小さく叫んだ。まだ小学生の妹にまで、サンタさんが来なくなったというのか? それは私のせいなのか?私がプレゼントをもらえないのは仕方ないけど、妹まで道連れにするなんて、ひどいじゃないか。そんなことを1秒ぐらいで考えた。
すると母が不思議なことを言った。
「もしかしたらプレゼント、外にあるんじゃない?」
妹は、「え、外?」と言って、すぐに玄関へ向かった。しばらくすると妹は「あったあった! 自転車だった」と安堵した表情で戻ってきた。
私は、母の勘のよさに驚いた。すごいな。なんで外にプレゼントがあるってわかったんだろう。まあとにかく自転車を見てみよう。今度は母、妹、私の3人で玄関に向かう。
玄関のドアを開くと、階段の踊り場にピカピカの赤い自転車が置いてあった。母は「あらーいいわねえ!」とニコニコしている。
自転車かぁ…。サンタさん、大変だっただろうな。うちはビルの3階で、エレベーターはない。しかも階段がけっこう急だし、長い。自転車を3階まで、どうやって運んだんだろう。ていうか、私、そんな高いモノ、もらったことないよ。
初めての自転車に夢中の妹を残して私は居間に戻った。こたつに入り直して、妹はいいなあなどと考えていたら、母がなぜかムッとしたような顔をしながら、衝撃的な言葉を放った。
「ユカちゃん、知ってたんでしょ? サンタさん、いないって」
一瞬だけ、私はキョトンとしていたかもしれない。でも次の瞬間、ドーンと谷底へ突き落されたような気持ちになった。
知ってたんでしょ? サンタさん、いないって。知ってたんでしょ? サンタさん、いないって。知ってたんでしょ? サンタさん、いないって…!
母の言葉が頭の中でこだました。急に全身のチカラが抜けて、「あ…、うん…」と返事をするのが精一杯だった。なぜか「えー知らなかった。信じてたのにー」とか言ってはいけない気がしたし、言える余裕もなかった。私は下を向いてうなだれた。
サンタさんは、いない。まあちゃんが言っていたことは、ほんとうだったんだ。去年、サンタさんとのお別れを悲しみながらも、手紙と五百円札をもらって感激していた私はなんなんだ。あの手紙を書いたのは、母か父だったのか…? なぜ中1のいまのいままで、サンタさんを信じてしまったのだろう?ばかみたいじゃないか。それにしても、母はなんでムッとしているんだろう。冷たいじゃないか。
ショック、驚き、戸惑い、くやしさ、悲しさ…。いろんな感情が交錯して、私は混乱していた。
いまならわかる。母は私がサンタさんがいないことに気づいていると思って、そう言ったのだ。それに私は、自転車をもらった妹をうらやましそうに見ていたのかもしれない。母からすれば、サンタさんが誰かを知っているはずの私は、ひがんだりせず、もっと大人なふるまいをしなければいけなかったのだ。
中1のクリスマスにしてようやく、しかも思いもよらないかたちで、私はサンタクロースの真相を知った。

母親をこえた長男

そんな私も大人になって結婚して子どもを持ち、わが子にクリスマスプレゼントを贈る立場になった。もちろん、サンタさんとして。
2歳の長男に初めてプレゼントを贈ったときのことは忘れられない。クリスマスの朝、長男は枕元に置かれたプレゼントの箱を見つけたとたん、しばらくの間、固まっていた。
まだ会話もおぼつかない時期だったが、長男はこれまでに絵本やテレビで見たサンタさんがほんとうに家にやってきて、プレゼントをくれたことをゆっくり理解しようとしているように見えた。
なかなかプレゼントの箱に手を伸ばさない長男の背中を見ながら、そうか、父や母も、こうやってわが子がプレゼントをもらって喜ぶ姿を毎年見てきたんだな…と思った。そしてこれから毎年自分がサンタさんとしてプレゼントを贈れることに、弾けるような喜びを感じた。

長男が幼稚園年長のとき、次男が生まれた。6歳差だった。それは、サンタさんにとっては微妙だった。年齢が離れすぎている。
なんといっても心配なのは、次男がまだサンタさんを完全に信じている年齢のころに、長男が真実を察してしまうことだった。そのことを次男にバラしてしまったら、次男も私も楽しみが半減してしまう。
親のエゴ丸出しだが、長男には1年でも長くサンタさんを信じていてほしかった。

けれども長男が小学校に上がると、子どもというのはけっこう現実的かつドライだということがわかってきた。
私は小学校で、絵本の読み聞かせボランティアに参加した。長男がいる1年生のクラスだけでなくほかの学年にも足を運び、12月になるとクリスマス関連の絵本を読んだ。
読む前には、「サンタさんにお願いするプレゼント、もう決まってる人ー?」と子どもたちに投げかける。と、1、2、3年生ぐらいまでは元気に「はーい!」と手を挙げてくれるが、4年生になるとその空気が一変し、ざわついたり、どう反応するかを決めあぐねるのか、周囲を見回す子が出てきたりした。さらに5、6年生ではもはや相手にされずシーンとなったり、あるいは「フフッ…」と冷笑を浴びたりする。肌感覚で「4年生はまだしも5、6年生ではサンタさんを信じている人はとても少ない」と実感した。これはまずい。

そこで長男を“洗脳”するため、私はさまざまな手を打った。
まず最初に、サンタの国フィンランドから国際郵便で送られてくる「サンタさんからの手紙」を申し込んだ。

クリスマスシーズンになると、長男の宛名でサンタさんから手紙が届いた。長男は、それはもう歓喜に沸いた。
サンタさん存在の証としてこれ以上ないものとして、手紙の信頼度は絶大だった。それに長男だけでなく親の自分も、心からハッピーであたたかい気持ちになれたのもよかった。
長男は低学年のころはサンタクロースを純粋に信じていて、好きが高じて失敗もした。ある年はクリスマスの朝、プレゼントに興奮したあまり、幼い次男の分までラッピングを剝がしてしまい、私を激怒させた。

長男が4年生のとき、願ってもないことが起きた。担任の先生が学級通信で「サンタクロースはいる」という前提のもと、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(通称 NORAD=カナダと米国の両政府による連合防衛組織)が毎年クリスマスイブにサンタクロースを追跡する公式動画「NORAD Tracks Santa」を紹介してくれたのだ。

これはもともと1955年、アメリカで新聞広告を見た女の子がサンタさんに電話をかけたつもりが、電話番号が誤植だったためにNORADの全身であるCONAD(大陸防空司令部)にかかってしまったことがきっかけで始まったプログラムなのだそうだ。なんて粋な(日本ではありえない!)サービスなんだろう。
動画では、サンタクロースがそりに乗って世界中の夜空を駆け巡りながら、プレゼントを配っていく。日本にもサンタさんがやってくるという期待と実感が迫ってきて、大人が観てもたまらない高揚感があった。
さらに先生は『サンタクロースっているんでしょうか?』という本も教えてくれた。1897年にアメリカの新聞『ニューヨーク・サン』に寄せられた8歳の女の子からの手紙と、その返信となった社説が本になったものだ。

さっそく私はこの本を買って、息子に読んで聞かせた。
これもまた、「アメリカの新聞社が、サンタクロースはいると認めている」という説得力があり、長男を納得させるのには十分だった。
なんだかリンク先の紹介みたいになってしまったが、とにかくサンタさんが実在する証拠になりそうなことを、日々のなかにできる限り散りばめたかった。

そんな私のがんばり(?)が功を奏したのか、長男は5年、さらに6年生になってもサンタさんの存在に疑問を感じる素ぶりはなかった。12月に入ると、「母さん、クリスマスイブにはどこかに隠しビデオを置いておいてよ。 サンタさんが来たところを後で見たいから」とか、「アメリカは、サンタさんにクッキーを用意しておく風習があるらしいよ。うちもやろうよ」などと提案してきた。
もちろんプレゼントのリクエストを書いた手紙も準備万端、書きあげてある。
こうなってくると、私はかつての自分を見ているような、うれしいけれどもなんとなく複雑な心境になった。小6のとき、友だちのまあちゃんは「ユカちゃん、なんでわからないの? サンタさんなんていないんだよ?」と半分呆れながら言っていた。まあちゃんこそ、本来もつべき感覚を身につけていたのではないか?
1年でも長くサンタさんを信じてほしいとは思っていたが、勝手なもので実際にそうなってみると、うちの子は大丈夫なんだろうか? とちょっと不安になってくる。
とはいえ、まだ次男は幼稚園児なので、長男がまだ騙されてくれているのは好都合だとも思っていた。

***

長男が中1になった。バスケ部に入った長男は、クリスマスも部活に行った。朝、枕元にあったプレゼントはしっかりと中身を確認していた。
長男は何も言ってこないけれど、きっと最近どこかのタイミングでサンタさんの真相には気づいたんだろうな。でも私に気を遣って、騙されているふりをしてくれてるんだろう、と私は思っていた。次男はまだ小1だ。長男はわざわざ次男にほんとうのことなんて言わない。いつのまにか、そういう分別もついたのだな。ずいぶん成長したものだ。
昼過ぎ、長男が部活から帰ってきた。すると開口一番、「部活で聞いたら、みんなもサンタさんからプレゼントもらってたよ」と言った。
長男が言う「サンタさん」とは「親」の比喩だろうな、と解釈していた。次男も部屋にいた手前、遠回しに表現してくれたんだろう、と。
でもこうも思った。まさか、いまだにサンタさんを信じてるなんてことはないよね? いや、あり得るかも? いやいや、なんだかんだ言って長男だっていまどきの子どもだ、友だちからもいろいろ聞くだろう。などと、自分に言い聞かせていた。
私の小さな心配が的中していたとわかるのは、だいぶ先のことだった。

翌年のクリスマス、私はまた子どもたちの枕元にプレゼントを置いた。長男はもう中2だったが、もしも「長男はサンタさんの代わりに親からもらって、小2の次男は親からはナシでサンタさんからのプレゼントをもらう」と、親からもらえない次男がかわいそうだ。それにサンタさんからもらえない長男を見たら、次男が気まずい思いをするだろうから、というだけの理由だった。

長男が中3になったとき、私は意を決して、ここをひと区切りにすることにした。
長男は私に「サンタさんて、父さんと母さんだよね?」なんてことを言ってきたことが一度もない。いまとなってはむしろ聞いてくれたほうが「いつから知ってた? 次男には黙っててね」と頼めるのだが、それができない。
かと言って、私の母のように「サンタさんはいないって、知ってたんでしょ?」とは絶対に言えないと思っていた。そういう興醒めなことはしたくない。
私は自分がサンタさんに最後にお札をもらったように、その年はギフトカードにすることにした(もちろん金額は500円よりは多くしたが)。
そして、最初で最後のサンタさんからのお別れの手紙(これは、ローマ字ではなく日本語にした)をそえて、長男の部屋のドアの前に置いた。

*****

私の思いこみがまるっきり見当はずれだったことがわかったのは、つい最近、今年の秋のことだった。リビングでおやつを食べていたら、高2の長男が話しはじめた(なぜか私の周りでは、食べているときに重大なことが告白される気がする)。
「サンタさんてさ、おれ…中3の途中まで、信じてたんだよね」
頭が真っ白とは言わないが、思考が止まった感じがした。耳を疑う私をよそに、長男はつづけた。
なんでも、中3のある日私がスマホでAmazonの購入履歴を見ていたのがたまたま見えた。すると、中2のときにサンタさんからもらった『スラムダンク』が何冊もスクロールされていくのが見えた。それで初めて、そうかサンタさんていないんだ、と気づいた。あれがなかったら、いまでもサンタさんを信じていただろう、と…。
たしかに長男が中2のとき、私はこれが最後になるかもと思い、気前よく『スラムダンク』新装再編版全20巻を長男に贈った。私が購入履歴を見ていたのは、その翌年、「クリスマスに息子らに何を贈るか」に悩んで、前年を確認していたものと思われる。
長男が、私をこえた。中1までサンタさんを信じていた母親を、息子がこえて中3になったのだと、そのとき初めて知った。

そこで私は、はたと気づいた。私が子どものころ、年齢が上がっていくなかで、母もずいぶん苦慮したのではないか。サンタクロースの真相について、どうやって切り出したらいいのか。どうすれば子どもが察してくれるのか。
私がもらった、あのローマ字で綴られたお別れの手紙は、悩んだ末の苦肉の策だったのだろう。母に対して、小6の自分とは別の、どこか同志のような感情が湧いてきた。

サンタクロースは、何歳まで信じていてもいいのだろうか。それは愚問かもしれない。そんなことは、人それぞれでいいのだろう。
ただ、考えてしまう。サンタクロースの真相について、子どもにどうやって伝えるのが自然なんだろう。子どもから聞かれれば答える、それがベストなのかもしれない。でも、聞かれなかったらどうすればいいのだろうか。
大げさかもしれないが、私は思いもよらないかたちで長男にショックを与えてしまったことを申し訳ない気持ちでいる。もっとスマートに、明るく、サンタさんのほんとうの姿について明かすことはできなかっただろうか。
いまわが家には小5の次男がいる。次男は長男より少し早熟なタイプだ。うっすら、というかほぼ、わかっている気がする。それはそれとして、そう遠くない将来、私から次男に、いいかたちでほんとうのことを伝えられたらいいなと思っている。そしてそのとき、お互い笑顔になれたらいいな、と思う。

ちなみにこのnoteを書くにあたり、長男にはもろもろ了承を得た。長男は、あまり気にしていないようだ。それは大きな救いだ。

なにはともあれ、メリークリスマス!

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