#ほぼ日の塾とわたし
はじめまして。足立遊と申します。
普段は、フリーランスのコピーライターをしています。
僕は「ほぼ日の塾」の3期生で、
今回、第5期の募集が始まるにあたって、
元塾生の有志がnoteで「ほぼ日の塾」について語る「#ほぼ日の塾とわたし」というハッシュタグ企画が立ち上がり、その企画に便乗して僕もnoteを始めることにしました。
noteの使い方はこれから覚えていきます。
読みづらい点があるかもしれませんが、
どうぞよろしくお願いします。
----------
「ほぼ日の塾」に申し込んだ理由
3期の募集が始まった頃(2017年1月頃)、
僕は、30代のほとんどを過ごした会社に希望が見出せなくなり、会社を辞めて、フリーになると決めたばかりだった。
コピーライターとしての自信も見失い、大好きだった広告の仕事にも冷めていく自分がいた。
会社も、仕事も嫌になって、人生のスゴロクで言えば、「ふりだしに戻る」状態。40歳という年齢がすぐそこまで迫り、四六時中、不安だらけの日々を過ごしていた。
「ほぼ日の塾」第3期の募集が始まったのは、
そういうタイミングだった。
自分なりに、仕事は必死にやってきたし、ありていに言えば、人生をかけてきたとも思う。でも、そういえば、これまでの人生で何かを学ぶことに必死になったことってあっただろうか。
学びたい、と思った。
その時、学ぶべきことは山のようにあって、
何から学べばいいのかよく分からなかったけど、
とにかく何かを学びたかった。
その頃の僕は、
ほんとは大学で学び直したいと思いながら、
さすがにそれはできないからと、
ペン習字の資料請求をするほど迷走していた。
しかし、それほど学びに飢えてはいたものの、
僕は「ほぼ日の塾」に応募するのをためらった。
ほぼ日のコンテンツは大好きだったけど、
仕事の状況がどうなるのか分からなかったし、
第一、「ほぼ日の塾」で何を学べばいいのか、
はっきりとイメージすることができなかった。
まあ、受けなくてもいいか。
フリーになるための準備もあるし、
少し落ち着いてまた機会があれば考えよう。
僕はもっともらしい言い訳をして、
一度は「ほぼ日の塾」から目を逸らした。
そんなとき何かの拍子に読んだのが、
ほぼ日の「40歳は、惑う。」というコンテンツだった。
なかでも糸井さんの、「ゼロになって、ちゃんともがく。」というメッセージは、生きるための基盤を失いかけていた心に強く刺さった。
ちゃんと、もがく。
そうだ。今の自分にできることは、それだけじゃないか。
この状況で、もがくことすらしなければ、
ほんとうに人生終わるような気がした。
具体的に何を学ぶか分からなくても、
とにかくその場にいようと思った。
そこから何かが見えてくるかもしれない。
そして、それより何より、
「ほぼ日の塾」って、
ただただ単純に、面白そうじゃないか。
決めた。申し込もう。
その時、締め切りまで10時間を切っていたと思う。
僕の人生はいつもギリギリで、
そういう時に限って、
応募フォームには自由記述欄が多い。
朝までかかってどうにか自由記述欄を埋め、
えいやっ、と応募フォームの送信ボタンを押した後、なんだか怖くなって、すぐパソコンを閉じた。
「ほぼ日の塾」80人クラス
一生忘れられない「質問タイム」
80人クラスに参加した日の帰り道のことは、
今でもけっこう覚えている。
その日は、文字どおり朝から晩まで、自分の脳みそでは処理しきれないくらいの授業を浴びて、帰りの電車では「学び酔い」とでも言えばいいのか、頭の中がふわふわと揺れて、かるい吐き気を催した。
僕は途中で電車を降り、家までの道を2駅ぶん歩いて帰った。
ぐるぐると回り続けた脳みそが2月の夜に冷やされて、なんだかとても気持ちよかったのを覚えている。
「ほぼ日の塾」80人クラスは、ほとんどの時間、生徒からの「質問タイム」でできていた。
質問する相手は、「ほぼ日の塾」の塾長のような存在である永田さんや、ほぼ日の編集チームの皆さん、そして、糸井さんだったりする。
とにかく1日中、誰かの質問を聞き、その答えに耳を傾け、同時に、自分も何か質問しなきゃと考え続ける。
みんな、勇気を振り絞って質問をしているのだ。そのやりとりは、ひとつひとつが真剣で、その場でストンと腹落ちする答えもあれば、簡単には飲み込めない真理のような話もあって、自分の頭で分解できないことは、とにかく必死でメモを取った。
そうして、まる1日、頭を高速回転させた日の帰り道、ぼーっと歩きながら、僕はふと、あることを思った。
ほぼ日の人たちは、
あれだけたくさんの質問を受けたのに、
だれも自虐ネタを言わなかったなぁ。
それが、ほぼ日の「おもしろさ」の根っこのひとつだと思ったし、いつも自虐ネタでごまかしてしまう自分を情けないとも思った。
自分を、ごまかさない。
振り返ってみれば、ほぼ日の塾で問われ続けたのは、そういうことだったと思う。
「ほぼ日の塾」実践編
自分をごまかそうとする自分との闘い
「自分をごまかさない」なんて、
文字列だけを見れば、なんの変哲もないことかもしれない。
だけど、不特定多数の人に見られる場所で、
自分をごまかすことなく、
感じたことや考えていることを表現するのは、
すごく怖くて、すごく苦しいものだった。
たとえば、
実践編の課題2「エッセイ 私の好きなもの」。
ただ自分の好きなものを書くだけなのに、
いざ書こうとすると、まったく書けない。
本当に好きか。
人に語れるほど好きか。
人が読んでおもしろいと思えるくらい好きか。
そうやって自問していくと、
そこまで好きとは言えないかも、と思えてきて身動きが取れなくなる。
この課題で僕は、
ギリギリまで悩んだ末に、SAABという車について書いた。
本当に好きだと思える車だったし、
自分なりに、この車の魅力を一生懸命に伝えようと思って書いた。
でも、「なぜこの車が好きになったのか」というきっかけだけは、どうしても恥ずかしくて、うやむやにしてごまかしてしまった。そのきっかけというのは、「見た目が気に入ったから」というつまらないことだったのだけど、でもそれを書くのは、ルックスだけで女性を選んでしまうような後ろめたさというか、恥ずかしさがあって、どうしても書けなかった。
はたして、公開後の講評では、永田さんから、
「SAABを好きになったはじまりのことが書かれていない」と、的確に、言われたらいちばん痛いところを突っ込まれた。
自分をごまかすというのは、
ウソをつくこととは少し違っていて、
気づかぬうちに見栄を張っていたり、
人に好かれようとしたりして、
本心を隠そうとすることだ。
「ほぼ日の塾」では、そういう手グセをつけてしまった自分の弱さに、とことん向き合わなくてはならなかった。
自分を、ごまかさない。
「自由にコンテンツを。」という最終課題でも、そのことを徹底的に試された。
自由を与えられた時ほど、自分の中身が問われてしまうものだけど、自分の中のどこをほじくり返してみても、おもしろそうな要素なんて見つからないし、誰かに伝えたいことも見当たらなかった。
書きたいことが何もない。
つまり自分には中身が何もないように思えて、すごく苦しかった。
うんうんと唸って、ついに途方に暮れかけた時、僕はハッとなって、ひとつのことに立ち返った。それは、塾で繰り返し言われた
「自分の動機は何なのか」ということ。
僕が今、コンテンツを作る動機はなんだろう。
そもそも僕は、何をしにこの塾に来たんだろう。
そうだ。「ちゃんと、もがく。」だ。
誰かに何かを伝えたいと思うことも大切だけど、まずは自分が、自分にどう向き合うか。もう自分をごまかすことは、したくない。
自分の心の中と1:1の対話が始まったのは、そこからだった。すごく嫌だったけど、自分の不安の正体を追いかけ、その不安の出口を求めてもがいた。
そうしてなんとか書いたのが、
「39歳フリーランス1年生、不安に向き合う。」という記事だった。
今でも「ほぼ日の塾 発表の広場」に行けば、
そこにはたしかに、
あの時、人生の不安に押し潰されそうになって、情けない顔をしている自分がいる。
だけどそれは、
自分をごまかさずに、
一生懸命あの時の不安に向き合って、
ちゃんともがいた自分でもある。
そういう自分に会えたこと。
それが「ほぼ日の塾」で頑張ったことに対する
一番のごほうびだと思うし、
その過程のすべてが、
永田さんをはじめ
糸井さんやほぼ日の皆さんが、
僕に教えてくれたことだと思う。
------------
もしも「ほぼ日の塾」で学びたいと思ったら、
そう思った自分をごまかさずに、
ぜひ思い切って申し込んでみてください。
ちゃんともがいた先には、
少しだけ強くなった自分と、
一緒に頑張れる仲間が待っているはずです。
「ほぼ日の塾」第5期募集(2018年11月12日 11時締め切り)
(おわります。長文を読んでいただき、ありがとうございました。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?