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模型と写真、どういう感じでクリエイトしているのか、ザックリと

クリエイト。私は、写真、音楽、模型、文章、絵。
今回は模型と写真、どういう感じでクリエイトしているのか、ザックリと。

紙粘土で作品作り

模型。最近、紙粘土で造形制作を始めて、今、ニス塗り。Seriaのニスは乾いてもベトついて、水飴のようで、さらにつや出しではなくつや消しの方が私の好みです。
クレオスのプレミアムトップコートを愛用しているので、紙粘土もニスではなく、プレミアムトップコートで良いかな、と。

こんな私の紙粘土、良いと言ってくれる友達が居て、友達にプレゼントして喜んでくれる作品を目指しています。
手に取った時、ベトついていたらイヤだろうな、と思うし、これはつや消しの方が良いな、と思う訳です。
紙粘土はオリジナルのアート作品です。

写真は呼吸をするように撮れば良いです。写真を始めて数年は、毎日撮る、毎週撮る、撮ることを意識する、そうやって、写真における筋力(能力)が上がってくると同時に、筋肉のつき方が偏ったり、筋肉が凝ったりしてきますので、ペースを落として、別のことをすると良いかと思います。
20年も撮り続けていると、呼吸をするように写真が撮れるでしょう。

写真が煮詰まる、始めた当初は写真が良かったのに、今では劣化しているのか問題に関しては、世阿弥の「風姿花伝」を読まれると良いかと思われますが、私見では、写真の入り方(入射角)があって、それが続けているうちにズレてしまったのではないか、と。
初心忘れるべからず、の「初心」で大事なのは最初の所作であって、入り方(角度)です。
では、入り方とは何か、忘却です。生まれて初めて見たように見れば良いのです。しかし、そうではないわけで、ビジョンは自身の中で内在しております。そして、指先はカメラの扱いを覚えている訳ですが、操作は急く必要があまりない被写体ならば、出来るだけ辿々しい方が良いでしょう。
つまり、時として、成功体験がダメにしてしまう、スランプに陥ってしまう、これは、自分にとって手垢の付いた角度になってしまっているからで、既成概念でクリエイトを繰り返してしまった結果なのだと思います。
手垢は石鹸で洗い流しましょう。ここで言う「石鹸」が忘却になります。

各々の性格はあります。忘却が向かない人も居るでしょう。私がバカなだけです。バカなので、直ぐに忘れてしまう、近所を散歩撮影していても、近所ではない何処かに心が逝ってしまうのです。
ただ、拘りが災いすることは多々あります。そういう時こそ、部屋で1人、裸踊りをすることで、動物性を呼び起こすのです。

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