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なんとかなるさ21未来の種蒔(6)~as a sower~バザーリア氏に学ぶ、未来へ笑顔の種まき方法

バザーリア生誕100年(2024.3.11)の年に

イタリアの精神保健改革を実現したバザーリア氏についての本

イタリアのフルインクルーシブ教育について発信を続けている大内紀彦氏が関わられた2冊の訳書を入手した。おおお!あの「ルポ・精神病棟」の大熊一夫氏のお名前も!

①ミケーレ・ザネッティ、フランチェスコ・パルメジャーニ『精神病院のない社会をめざして バザーリア伝』訳/鈴木鉄忠・大内紀彦、岩波書店、2016年
②フランコ・バザーリア『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!イタリア精神保健ことはじめ』訳/大熊一夫・大内紀彦・鈴木鉄忠・梶原徹、岩波書店、2017年

私のお兄ちゃんをとおして垣間見た、日本の精神医療保健福祉行政の現状

イタリア映画「むかしMattoの町があった」「人生ここにあり!」を鑑賞したのは10年くらい前(2015頃)だろうか。未診断のまま在宅生活を送る兄に関わってくれている支援者らが有志で上映会のチラシを配っていて、それで観に行ったことは覚えてる。映画をとおして、イタリアにバザーリアという人がいて、通称バザーリア法により精神病院が廃止されたことを知った。
それが、私とバザーリア氏との最初の出会いである。

言うなれば、兄の存在がなかったら、私はバザーリア氏を知ることはなかったかもしれない。
私は、兄について、一本のレポートにまとめている。ひきこもりジャーナリストの池上氏のダイヤモンドオンラインに載せていただいたことがあり、感謝ひとしおである。レポート自体は未発表なので、多少手直しをして必要とするところに届けたい(どこがいいかなあ)。でも、実は、漫画も作ってあるんだ。レポートより漫画の方がわかりやすくていいよね(笑)🤗

ところで、兄の存在をとおして垣間見た社会の一面を記載する。

八方ふさがりでしんどい状況にいる家族の中には、ともすれば「支援者(行政機関であったり、研究機関であったり、医療機関であったり、教育機関であったり)のいうことは絶対的である」と信じすぎてしまうことがある。その際、支援者は立場が上で、患者や相談者は下、というような上下関係に陥りがちになっていないか。

家族の状況が、心理面もしくは経済面で不安定になれば「家族で丸抱え→共倒れ」もしくは「家族から見放される→孤独死か精神病院に隔離入院か犯罪者として刑務所入所か」といった状況にあっさりと陥る。そのような事例があることは、マスメディアを通してセンセーショナルに伝えられている。私ははそのたび、我が事のように慄いた。
逆に、本人や家族に希望を与えるような、成功事例は、極端に少ない。(←私が目指しているのはここ。)

社会を診て治療するバザーリア氏

~『精神病院のない社会をめざして バザーリア伝』を読み終えて~

人間を人間として扱わないことが許されてはならない。
支援者は立場が上で相談者は下という上下関係ではなく、対等な関係を。
その信念から、バザーリア氏は、患者、看護師、医師たちが対等な立場で会するアッセンブレア(イタリア語で自治集会)を開始した(前掲96頁)。

精神病院隔離が当たり前であった時代に、地域へ、できれば家庭へ、家庭に帰れない方はグループホームのような場を(前掲100頁)。そして働く場を(前掲103頁)。

バザーリア氏は「病気を診て治療する」だけでなく「社会を診て治療する」精神科医であったことがよく伝わってくる。
しかし、その道程は決して順調ではなかった。

反対!反対!反対!

バザーリア氏の実践は、常に反対意見の人々との駆け引きの道程でもあった。

しばしば勝ち組である保守主義者や伝統主義者たちが無視できない数にのぼり、彼らはバザーリアに反対を表明し続けていた。彼らは、長きにわたって試されてきた経験や方法論を覆すことで生じるリスクや危険性を繰り返し強調していた。

前掲58頁

バザーリアは世論の一部と当然ながら意見の対立を抱えていた。

前掲66頁

実際に彼が思い描いていたように仕事を遂行するための同意が得られず、彼の提案や率先して行った活動は妨害される始末だった。

前掲74頁

バザーリアは看護師組合の猛反対にさらされた。

前掲86頁

忍耐。忍耐。忍耐。

とにかく、固定観念を覆すには根気がいるものだ。
バザーリア氏は、反対派が表明しつづけていたものの正体ー先入観に基づく敵対心、拒絶心、恐怖心ーと、根気強く対峙してきた。話し合いの場で、押し合い圧し合いが起こり、バザーリア氏は打撲に肋骨骨折までしている(154頁)。ひええ。。。😱
それに比べると私のいち体験なぞ足元にも及ばないが(汗)、「(教科書を渡さないのは以前から続いてることだから)これまでも、今も、これからもそうである」と思い込んでいる側との話の噛み合わなさに、とにかく忍耐を重ねた苦い記憶と思わず重ねてしまう。

石の上にも◯年

より効果的で確実な方法で発信

〜友だちっていいね〜

反対に会うと孤立しがちだが、バザーリア氏は友だちがたくさんいた!
治療が必要なのは個人ではなく社会の方であること、支援者も相談者も対等な関係であることを、言語化し、視覚化し、より効果的で確実な方法で発信し(「自由こそ治療だ!」などのフレーズ)、いろいろな人を巻き込み、同じ考えの仲間を増やし、実現に向けて政治的なつながりを作って動いた(105頁)。
面白いなと思ったのは、友人の彫刻家や教師や映画監督らに協力をお願いしているところ。

~青い張り子の馬マルコ~

イタリアのトリエステにある旧サンジョバンニ精神病院で働いていた馬のマルコ。大量の汚れた洗濯物が載せられた荷車を引いて毎日洗濯場まで引きずるように運んでいた。患者たちはそんなマルコに愛着を持っていた🫏

友人バザーリア氏に頼まれて彫刻家が制作したのは、大きな張り子の青い馬マルコ。
完成の際には、「マニコミオ(イタリア語で精神病院)」内で盛大なパーティーが開かれ、その後トリエステの町全体を巻き込んだお祭りが催されたそうだ。
大きな張り子の青い馬マルコはやがてイタリア中の町を練り歩くことになったそうだ。
そして今は、精神病院からの解放を象徴するモニュメントとして、敷地内にあるらしい。

「馬」 ゆお画 ⚠︎イメージです

ユーモアで乗り切る〜未来へ笑顔の種まき〜

子どもが相談しやすい大人は、威厳ある大人よりも友だちのような大人であるという。全体的にバザーリア氏はユーモア溢れる、親しみやすい人だったのだろうか。その詳細な記録が伝記や講演録となり、翻訳され、そして今、私の手元に届いたことに、ひとつの感慨を覚える。


人はカラフルなのだ。
人の内面もまたカラフルなのだ。


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