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なんとかなるさ19重なる想い•✼•イタリア・ボローニャ滞在記第❾回の所感•✼

私の稀有な体験と、フルインクルーシブ教育のイタリアが重なってくる

昔の古傷。「耳が聞こえない子は聾学校へ」と大人がいうことを素直に信じたばかりに、分離された閉鎖的な環境で味わった悔しさは、未だ古傷として残っている。
そんな聾学校時代のお友だちとは卒業してから会うことはめっきりなくなったが、思い出すたび懐かしい気持ちになる。分離された閉鎖的な環境で「耳の聞こえない子たち」とひとくくりにされたとはいえ、勉強が好きな子、スポーツが得意な子、いろんな子がいた。重複障がいと呼ばれる子もいた。実に多様であった。
それは、決して稀有なことではない。
それが社会の縮図であり、標準であるのだ。

Hくんとの思い出はたくさんあるよ。

私の学年は10人前後で、その中に聾重複のお友だち、Hくんもいた。小学部から高等部まで12年間、一緒に過ごしてきた。
小学生のころは、学年のお楽しみ会でHくんも一緒にホットケーキを作ったりもした。高校生になって、超氷河期世代でヤングケアラーであった私は経済面での漠然とした不安からやむを得ず選択した聾学校理容科で、Hくんに何度か練習台になってもらって、髪の毛を切った。Hくんと長く過ごしていると、Hくんが言葉を発することなくとも、何を感じ、何を求めているか、なんとなくわかってくる。

そんな稀有な体験が、フルインクルーシブ教育のイタリアと面白いように重なってくる。

友だちと学び暮らすことが大前提のイタリア

友だちとの関係性の中で共に学び暮らしていくための、手立てをみんなで考えていく

自閉症という特性と軽度~中度の知的障害を併せ持ったGさん。

大内氏が述べているように、ICIDH(医学モデル)によるロジックが組み立てられ法整備されている日本だと、学校教育法第72条で「特別支援学校」、学校教育法施行令第22条の3で「視覚障害」「聴覚障害」「知的障害」「肢体不自由」「病弱」と区分していることから、教育委員会は法的根拠に基づいて「知的障がい特別支援学校」へと就学通知を出すだろう。

そのシステムを疑問に思っている子どもや家族が、いる。
そのシステムによって傷ついている子どもや家族が、いる。
そのシステムと戦おうとしている子どもや家族が、いる。
そのシステムを受け入れるしかない子どもや家族が、いる。

大半の子どもや家族は、そのシステムを受け入れるしかない。いったん受け入れて、自分の置かれた場所で前を向いて生きる。小さかったころの私がそうだったように。それが、日本のいう「多様な教育の場分けられた場」なのだ。

フルインクルーシブ教育のイタリアは、スタート地点からまるっきり違う。友だちと一緒に学び暮らすことを大前提とし、大真面目に向き合っている。本気で向き合っている。

「前例がない」「他所ではやっていない」「無理」「教育の場をわけたほうがよい」という声がたくさん聞こえてくる日本とは、大違い。

フルインクルーシブ教育のイタリアでは、自閉症という特性と軽度~中度の知的障害を併せ持ったGさんが、友だちとの関係性の中で共に学び、共に過ごすためにどうしたらよいか、何が必要かを考えていく。
フルインクルーシブ教育のイタリアでは、保護者も含めた多職種連携の中で、どうしたらよいか話し合って「個別教育計画(P.E.I)」を立てていく
今回のレポートで、その具体事例を丁寧に報告してくださっている。
イタリア語のわからない私なので、日本語に翻訳して丁寧に伝えてくださっていることに、感謝しかない。

大内氏の報告は、毎回興味深い

大内氏のレポートによると、イモラ先生曰く「イタリアではそのインクルージョンが上手く機能していないケースもあり、そうした場合には、障害児が教室のなかで軽視されたり、さらに酷い状態になると疎外されていたりすることがあること」など課題もあるそうだが、友だちと一緒に学び暮らすことを大前提とした上で論ずるということが、非常に意味あることだと思う。

「日本の特別支援学校のシステムは、生徒同士の当たり前の関わり合いという点からいえば、かえって子どもたちからかけがえのない可能性を奪うことになっていないだろうか」

上記の大内氏の問いかけは、私の胸に深く刺さる。イタリアの小学校で、日本の特別支援学校を紹介する授業を行ったとのことであるが、イタリアの子どもたちや大人たちは、どう受け止めたのだろう。


人はカラフルなのだ。
人の内面もまたカラフルなのだ。


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