日記2024年5月①
5月1日
幼稚園に行く車の中で子供が先日亡くなった妻の祖母について訊いていた。「どうしてしんだの?」「しんでいまはどこにいるの?」「しんでなにしてるの?」と。人が死ぬということがまだわからないのであるが、大人も人が死ぬということをわかっているわけではなく、ただ人が死ぬという事実が存在することを知っているのみで、だから子供に訊かれても答えに窮する。天国に行ったんだよ、みたいに答えるのがいいような気はするが、それはその答えが事実を正しく伝えるからではなく、私たちがこれから生きていく上で必要な祈りであるからである。
今日は仕事がほとんどなくて情けない気持ちになった。看護師さんからこいつ全然仕事してないなと白い目で見られているのではないかと考えてしまう。その不安は、何か文句を言われるのではないかとか陰で悪いことを言われるのではないかとか、もちろんそういうこともあるのだけれど、もっと大袈裟に職場全体のバランスを乱しているとか邪魔者になっているとかこの職場における労働の価値を毀損しているとか、そういうことを考えてしまう。周りの目というのはそういう大きなものの末端として感じられていて、ただその人個人の問題ではない、大きな問題だと思ってしまう。私はそういう人間である。
5月2日
うつ病について文章を書き進めたいのだが、本を書くからにはこういうことを書かなければいけないとか整合的な一貫性がなければならないとかそういうことを考えてしまって自分がいったい何を書きたいのかわからなくなってきた。うっすら鬱っぽいのもあるかもしれない。朝、子供と妻を見送って、今日は割と動けそうな体だなと感じ、シャワーを浴びた。いつもの喫茶店でモーニングにしてから日暮里のSCAI THE BATHHOUSEにアピチャッポン・ウィーラセタクンの個展を観に行くことにした。
喫茶店で今までノートやスマホに書きつけたメモを読み返していると、去年の6月頃に紫陽花や夏至について書いたものがあり、そう思って最近書いたものを読んでみれば循環について考えているように読めることに気がついた。季節を区切り、循環する世界像を構築することについて私は考えていたのかもしれない。季節や天候が一つのキーワードになると思い、視界が少しひらけた。うつ病には歳時記が必要なのだ。
今朝は涼しかったがタートルネックにシャツを羽織ったので十分に暖かく、普段は夏でもホットコーヒーを飲むけれどアイスコーヒーを頼んだ。たぶん既製品だけどよい味だった。
電車で東京へ。日暮里を乗り過ごして西日暮里まで行ってしまった。戻る電車を待つホームの日陰に吹く風が気持ちよかった。日暮里駅から歩いてSCAI THE BATHHOUSEへ。谷中霊園を抜ける。台東区の高台の、空襲を逃れて昔からの走行の道が残る地区で、視界は必ず街並みにぶつかるけれども空は広い。よく晴れた。オープンと同時に入り、映像作品「Solarium」を観た。暗い部屋の中央に2枚のガラス板が合わされて立ち、両側上方から映像が投影されてガラス板に映る。アピチャッポンが幼少期に見たホラー映画を題材にし、妻のために患者の眼球を盗んだ男が盲目になり眼球の幻影に苦しむイメージだったようだ。タイの木々の風景に2つの大きな眼球が浮かび、こちらを凝視するところから始まり、盲目の男が暗い部屋のような場所を彷徨う様子に変わる。男の像の立体感に驚く。合わせガラスに二層に映るミニマムな立体性だけでなく、ガラス板を透過した映像が床に影を落とし、四重に映像が展開している。時々白く強い光の円が映像内に現れる。その光は男の後方から当てられた光源のように見えるのだが、男の顔と重なると男の顔も白く飛ぶ。男の顔はあくまで映像だったのだとわかり、今度は映像の平面性が意識される。多数の眼球が様々な方向を向いて漂う箇所では、床に落ちて動く眼球の影とあわさって夢幻的だが、同時に(視線がこちらを向かず強度が落とされているのもあり)、非実在の表象としての印象が強まる。冒頭のこちらを凝視する眼球の強迫性とは異なる眼球のイメージである。最後にまた木々の間から空が見える風景に2つの眼球が浮かび、こちらを凝視し、消えて終わる。平面と立体、物体と存在、肉体と表象の間の振動の中に浮かぶ虚構の実在感がまさに亡霊的である。
上野駅まで歩いた。藝大を通った。素敵なところだと思った。いまは吉原展をやっている。また来ようと思った。上野公園は学生や子連れや観光客がゆっくりと歩いていて気持ちがよかった。実は明日は上野動物園に来る。連日上野に来ることになるとはめずらしい。いつか妻と二人でゆっくり美術館や博物館を歩きたいと思った。
子供のサッカー教室。今日は年中さんがうちの子だけで、あとは年長さんだったから、なかなかついていくのが大変そうだった。ドリブルして方向転換してシュートする練習をして、そのあと試合形式にして、ドリブルで先生をかわしてゴールを目指す練習をしていた。一人ずつ決められた動きをするのはなんとかついていけていたが、試合形式だとついていけず、遠巻きに見ている時間もあった。がんばれーという気持ちで見てがんばったねという気持ちでお迎えをしている。幼稚園やサッカー教室でやることについてはあまり口を挟まず、ただ見守っていることだけは伝わるようにして、家とは違う自分の世界を作っていけるといいのではないかと思っている。
寝た子供を抱っこして近所のトンカツ屋に行った。私のうつ病の話になり、妻が、私がうつ病と診断された前後一年くらいは本当に具合が悪そうで何もできないで、妻もどう接したらいいかわからず本当に大変だったと言った。私はそんな記憶が全然ない。最低限の非常勤は続けられていたし、本を読んだり友達と話したりしていた記憶はある。だから私は休養に入ったらケロッとよくなっていたように思っていた。妻にマジかよという顔をされた。家事も子供の世話もできなくて、無印のビーズクッションソファに一日座って動けなかったらしい。なんと立派なうつ病ではないか。本当に異常だったんだなあとあらためて思う。私は手羽先唐揚げと鯵の塩焼き、黒鯛の昆布締めを食べた。子供は途中で目を覚まし、寝ぼけて泣いてしまったので、抱っこして早々に帰った。宇宙の図鑑を読んだりして風呂に入って寝た。
5月3日
駄菓子屋の違法ガーデニングにジャスミンがよく咲いていた。年中さんになった頃から動物に興味が出てきたらしく、パンダが見たいという。祖母と待ち合わせてもう四半世紀ぶりかという上野動物園に行ってきた。大勢の子連れと少しの若いカップル。海外からの観光客が多かったのが印象的だった。アジアゾウが土を鼻で体にかけたあと寝転んでいた。ホッキョクグマが日陰で涼んでいた。ペンギンが剥き出しで臭いが強かった。ヒグマが巨大だった。私の母は寝ているマレーグマを最後まで視認できなかった。全体に展示場、展示室のしつらえが立体的で、デザインや装飾がよく作られていて、生息地の様子が豪華に演出されていた。
動物園の昼ごはんはカレーが好きなのでカレーにした。妻はミートソーススパゲッティ、母はパンケーキ。子供はポテトとかき氷。おいしかった。サイの大きなお尻が濡れていて、脚で擦れる部分の皮膚は薄くてピンク色だった。私は小学生のときに上野動物園に動物の写生をしにきたことがあり、そのときサイを描いた。みんな適当に描いたあと遊んでいたなか、私はずっとひとりでサイを描いていた。寝ていたからずっとお尻と脇腹の皮膚の皺を描いた。私はサイが好きだ。デカいから。爬虫類両生類館でワニやカメを見た。ワニはぴくりとも動かず瞬膜をぱちくりしていた。ゾウガメは大きかった。小型動物館ではマーモセットやガラゴがよく動いていて、地下の夜行性動物階ではヨザルやマヌルネコが動いていた。ハダカデバネズミは残念ながら今日はいなかった。ヘビクイワシがきれいで恐竜のようであった。
パンダはお父さんと子供が2頭、合計3頭が別々に展示されていて、子供を見る列は60分待ちだったのだが、お父さんは列なしだったのでお父さんを見た。はじめ屋根の下で背中を向けてじっと横になっていたお父さんが徐に右脚を上げると少し客が沸いた。これはこのまま動かなそうだなあと思い始めたころ、くるっと顔をこちらに向け、またフロアが沸き、くるりと柔らかい動きで起き上がって歓声が上がった。そのままお尻を振りながら竹や草の茂った敷地を歩いていった。昔は殺風景な部屋でガラス越しに見たと思うのだが、今はパンダらしい情景で野外の展示になっていた。生で見るパンダはその野生みがむしろかわいさを引き立てていて、かわいさが生物としての美徳なのだとじっくりと思ったのだけれど、それも人間中心の傲慢だなあと思いつつ、しかしそれに甘んじているように見えるパンダという動物はどうしてもかわいい。
上野動物園は広い。ヘトヘトになって、15時過ぎには子供も限界を超えつつあるハイテンションで不規則な動きを見せ始めていた。レッサーパンダを見ると言って歩き始めたけれど「つかれたから見るのやめる」と言って引き返した。少し座って休憩し、お土産屋でウサギのぬいぐるみを買ってもらって帰った。炎天下は5月にしてすでにジリジリと暑かったけれど、不忍池のほとりの屋根の下のテラスに座っていると風が通って気持ちがよかった。やはりいい季節である。
5月4日
妻が日当直で明朝までおらず、丸一日子供と2人なので時間潰しのために東京まで出た。暇だったみたいで母親と姉も来た。連日祖母に会えて子供は嬉しそうである。どこも混んでいるので高島屋に入った。ポケモンセンターで巨大なピカチュウが欲しいと言い出し、母も「買ったら自分で持たないといけない」と逆効果のアシストをしたために当然子供は「じぶんでもつから」と言うわけで、そうなるとこちらも自分の言葉に責任が発生し、買うことになった。大きいので郵送した。
子供は朝から少しソワソワしていて、ジタバタしたりピョンピョン跳ねることが多かった。昨日の疲れもあったのかもしれない。おもちゃ売り場でレゴも買ってもらい、夕飯を食べて帰った。瞼を半分垂らしてもう眠いから帰りたいと言っていた。これは帰りの電車で座ったら寝るかなと思ったけれどあんがい寝なくて、家に着いたら買ったばかりのレゴのキットを開けて親の手伝いなしで一気に作り上げていた。21時半に寝た。
3月に書き始めた詩を少しずつ書き進めていて、形を整えたりして色々な可能性を探っている。2週間ほどで書き上げられると嬉しい。もうひと押し情景が展開してほしいのと、言葉の使い方に工夫をしたい。
山内尚さんと清水えす子さんと川野芽生さんが著作の出版記念でトークイベントを配信していて、お三方ともロリータファッションで着るものについて話していた。服への愛を感じた。最近まであまり意識していなかったのだが私はかわいい服が好きで、たまにファッションブランドのコレクションを見たりする。自分では着ないし所有もしないのだが、かわいい服が美しく着られているのを見るときにときめきを感じるところがある。自分がそのように着られる人間であればよかったのになあという気持ちと全く無縁だとは言い切れないまでも、自分と無縁な自分の手の届かないところでその服が愛されてかわいく着られていれば最高だと思う。こっそりそれが見られればそれでいいと思っている。そう考えてみて思ったのだが、これって腐女子の感覚と同じなのではないか。腐女子の「天井になりたい」とか「壁になりたい」とかと同じ感覚なのではないか。腐の世界が奥深いらしいことはわかるので軽々には言えないのだが、どうでしょうか、私は多少その感覚の尻尾をつかんでいますでしょうか。識者の意見を求む。
杉田俊介さんがツイッターで、うつ病になってから生産性のない自分を無価値だと考えてしまうことに抗っているということを、「内なる優生思想との闘争」と書いていた。
この感覚はよくわかり、この記事内の5月1日の日記にも書いた通り、仕事ができないと自分を無価値ないしは罪人のように感じる心性は根深いものがある。うつ病によって能力が制限されることとうつ病による無価値感や罪責感が別々に存在してたまたま結合しているだけなのかもしれないが、私のようにある程度回復してそこそこやっている者にもこのように平気で根を張っている。歴史的にはこのような心性は病を得た喪失に対する愛憎の綱引きの中での「喪の作業」として考えらてきたものであるけれど、ここに「内なる優生思想」という倫理的かつ政治的な水準が重なっていることがわかる。「喪の作業」の倫理性政治性を考えることでもあるし、「内なる優生思想との闘争」における愛憎の両価性という心理力動的な側面を見ることでもある。「喪の作業」が倫理によってドライブされる可能性があるのかもしれないし、「内なる優生思想との闘争」が愛憎のエネルギーの備給・振り替えによってメランコリックな新局面を迎えたりするのかもしれない。ありそうな話ではある。
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