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今に続く未来を信じられること

月曜の朝、出勤前にスターバックスに寄って先週の振り返りをしようとする、帳尻合わせな人生なのだけれど、「今週分」として細切れな思考をここに置いておきたいとおもう。

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広く雨風の強い、いわゆる春の嵐が過ぎ去ると、気温が上がり、桜が芽吹き、日差しが強くなり、「ああ、冬が過ぎ去って春になったのだ」と、季節の移ろいを感じる。そんな季節、周囲ではやはり明るい話題が多かった。

前職の同期の結婚式、出産の報告、大学時代の同期の披露宴の案内、高校時代の同期の入籍の報告……。青春をともに過ごし彼女らの新たな門出は本当に喜ばしいことで、100%のおめでとうという気持ちが胸を占める。しかし一方で、その満タンな場所を少しずつ侵食するように、「わたしはどこで間違ったのだろうか?」というような陰った問いが姿を表してきたことも確かだった。

人生は本当に人それぞれで全く同じな人はこの世の中にいないのだけれど、それでも短絡的に文字情報だけの経歴を見れば似たような人生ーー中高女子校に通い、大学を出て、似たような業界の会社に入るーーを歩んだのではないかと思ってしまう彼女たちが、「幸せの象徴」とされるもの(もちろんそのなかでさまざまな苦労があるのだろう)を掴むその様は、どうしても眩しすぎて、目を瞑りたくなる。同じようなルートでここまで来たはずなのに、わたしはどうして今、その「幸せな象徴」に距離があるのだろうか、と本当に良くないなと思う感情が湧き出してしまう。

そんな自分の薄暗い感情を、どうにか闇深くへ進めないように静観していると、また一方で「それでも今の先に続く未来を信じたいんだよな」という希望のような感情も顔を出した。

文章を読むこと、そして書くことが好きで、やっとそれを仕事にすることができた今。それまではずっと人生に対して「何かを変えたい」「ここじゃない場所にいきたい」という願望が強かったが、最近は「きっとここで頑張っていたら良いんだろうな」と何となく安心して腰を据えて歩むことができている気がしている。「書いて伝える」という仕事は想像以上に難しくて、決して今の成果に満足できているわけではないけれど、それでもわたしは今の人生を「変えたい」のではなく、「このままここで頑張りたい」、そう思っている。

「どこで間違えたのだろうか」そんな問いがふと頭をよぎってしまうけれど、わたしはこのルートを歩んでいなければ、未来を信じることができる今ココにいることはないんだなと思うと、「幸せの象徴」とされるものは遠くても今を信じて、ただ今と真っ正面から向き合うのみだな、と思う。向き合った先に、自分がより満たされる「幸せ」なるものが待っているんだろうな、と、そう確証じみたものがある。

描かせてもらえる場所があるなら、どこでだって描きたい。(中略)絵を描く場所が増える大変さは、絵を描く場所がなくなるつらさに比べたら、どうってことないから。

- 朝井 リョウ『どうしても生きてる』

今はきっと、書く場所がなくなる方がつらい。書く場所がある今に向き合っていきたいと、そう改めて思った。

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