見出し画像

それぞれのハッピーセットを作ったうえで。

自分が女性であると意識したのは、大学4年の夏だった。

勿論、それまでも女性として生きてきた。スカートを履き、ワンピースを着て、赤いランドセルを選んで、女子校に通い、胸が膨らみ、月に1度は腹部がだる重くなる。それでも女性性に違和感を持つことなく、それなりに楽しんで、日々を送っていた。

私はただ、何も考えずに、女性だった。

しかし、大学4年の夏、自分が女性であるという事実を理由の一つとして、ある決断をした。それは、性別が自分の選択を左右した、初めての経験だった。

・・・

大学4年の夏、就活を終え、手元に2社の内定が残っていた。とある会社の営業職と、とある会社の秘書職。そして私は、後者の内定を受諾した。

リクルートスーツを着て多くの会社説明会へ足を運ぶ中で、「女性」という言葉を何度も耳にした。女性も働きやすい環境であるということの立証に、時短勤務制度や産休育休制度など制度の話が中心の会社もあれば、それなりに裁量権はあるけれど転勤がない、そんな良いとこどりの職種が用意された会社もあった。女性用として作られた会社パンフレットを渡されたこともあった。

女性だけが出産というライフイベントがある、そのことはもちろん認識していたけれど、ここまで働き方が分かれるのか…と少し衝撃を受けていた。

しかし、結婚や出産という一人では決められない、見通しの立たないライフイベントを考慮して、これからの働くを決めるということはどこか違和感があった。そのため、働き方によって職種が分かれていない企業を本命として受けていくことに決めた。

しかし、希望業界の中で、そのような企業も少なく結果は惨敗。(幅広くエントリーしていたので)とある会社の割とバリバリ系営業職と、とある会社の内勤中心の秘書職の内定が残った。

女性としての働きやすさを考えれば、秘書職の方が優位。全国転勤があり得る営業職と比べ、秘書職は転勤もなく、女性比率が大きいため各種制度もしっかりしている。会社としてはそんなことは打ち出さないけれど、ゆるキャリ女子のための職種と言えた。

加えて、自分でも営業はどこか向いてなさそうな気がした。喋り上手でも決してなく、人見知りで、気にしい。正直秘書職の方が合ってそうだった。

しかし、それでいいのだろうか。私は、自分の特性を慮る以上に、何か大切なものを失っている気がした。これからのキャリアの可能性、社会での立ち位置。何となく、何かの道を自分で閉じてしまっているような、そんな喪失感を味わいそうだった。

だから、営業職に決めたいと両親に打ち明けた。向いていないかもしれないけど、世の中のほかの人ができてるんだから。自分の中のちっぽけなプライドだけを盾に、そう話した。

しかし、両親からは猛反対を受けた。そもそも営業は向いていないという特性としての反対もあったが、同じくらい女性としてという生き方の観点からも反対を受けた。転勤の可能性がある中で子育てしながら働くのは厳しい、親が傍にいる環境の方がいい。きっと兄だったら、私が男だったら、そんな反論受けなかったのではないだろうか、そう思いながら聞いた。

それでも私はそれらに反論できなかった。社会人経験のある両親からの営業に向いていないという言葉を裏返せるほど熱い想いも、出産しても一人でできると言い切れるだけの根拠もなかった。もし男性だったら「社会に揉まれてこい!」そう言われたんだろうな…と思いながら、自分が女性であるという事実に、ちっぽけなプライドは隠れていった。

そしてそのプライドに蓋をするように、秘書職に決めた。自分に対し、女性である自分に対し、不戦敗に喫した気分だった。

・・・

それから、学生という身分が身体から抜け、社会人、秘書という身分が身体についた。会社に入ると秘書はやはり女性ばかり。そして頻繁に、「○年目の○○さんが結婚した」とか「もうすぐ産休らしい」という噂を聞くようになった。同期の中でも結婚したり、結婚間近な人がちらほら出てきて、いやでも結婚や出産という言葉が頭にちらつくようになった。

まだすぐに享受したいとも思っていないけれど、自分の身にちゃんとそれらライフイベントが起きるのかと、不安が心に溜まっていった。

結婚や出産しても働ける環境に身を置くと、結婚や出産をして働くこと、その3点セットこそが、100点満点のハッピーセットのように見えてきた。あの時ゆるキャリという選択をしてしまったから余計に、もしここで働くの1点しか手元になければ、私は幸せじゃないのだろうか…そうぐるぐる考えて、勝手に落ち込んでいった。

そんな時だった。

学生時代のある先輩がFacebookにこんな言葉を残していた。

「結婚はしたいですが、不幸せではないですから!!!!!」

彼女は30代前半で、いつもクールな髪型に革のライダースジャケットを羽織って、それはそれはかっこよくて仕事ができそうだった。私のような10歳下の若造の悩みにもいつも付き合ってくれて、とても優しい人だった。そして、彼女は独身だった。

彼女は、好きな仕事をして、それは仕事だから毎日楽しいだけではなさそうだったけれど、その仕事をしていること自体はとても楽しんでいるようだった。理想な働き方だった。どこかで彼女の仕事の話を聞くたびに、仕事の方が楽しいんだろうな〜と思っていた。

だから、彼女の投稿に少し驚いた。彼女の両肩にも、「結婚=幸せ」という世論が重くのしかかっていたこと。そして、それでも、それに対して無理やり蓋をせず、「結婚はしたい」と希望は希望のまま残した上で、「不幸せではない」と言い切った彼女の強さに、痺れた。

彼女はたしかにFacebookの近況を見ると、楽しそうだった。愚痴は言っても仕事を楽しみ、好きな本を読み、映画を見て、年に1度は新しい国へ足を運び、美味しそうなご飯を食べて、友人らと楽しそうにお酒を酌み交わしていた。もちろんそれは彼女のごくごく一部であるが、彼女は結婚以外の要素で彼女なりのハッピーセットを作っているようだった。かつて望んでいた100点満点のハッピーセットではなくても、ハッピーセットは自分専用に作り直せる。彼女を見るとそう思えた。

結婚や出産をしないと、ハッピーセットからどんどん品数が抜けていってしまうようなそんな不安があった。それらはほかの何かでは補えないような強力さがあって、それらライフイベントを考慮した上で職業選択をしてしまった私は特に、それらがないと自分を許せなくなりそうだった。

この世には、いろんな幸せの象徴があって、中には大多数の人が「普通」得られるであろうと考えられているものもある。それでも、やっぱり人生は巡り合わせだから、それが巡ってくる人もいれば、巡ってこない人もいる。それらが巡ってこないときに、簡単に切り捨てられるかと言ったらそんなことはきっとない。自分のことを責めてしまったり、解決しようもない不安に襲われたりする。

さようならを告げる詩
この世に捧げながら
絡みつく憂鬱にキスをしよう
(Mr. Children “Brand new planet”)

巡ってほしかったものに、さようならを告げようとしても、やっぱり憂鬱は絡みついて。でも、それに鬱々するのではなくて、ほかにハッピーセットを作った上で憂鬱にキスをするように、希望は希望のまま残しておく。

誰が決めたのかもわからないデフォルトのハッピーセットを、崇拝するでもなく、無理やり退けるのでもなく、希望であれば希望と残す。それぞれのハッピーセットを作ったうえで、望むものは望む。叶わなくても不幸せじゃないし、叶ったら、もっと幸せ。その生き方を見せてくれた先輩に出会えて、私の心は少し軽くなった。

・・・

3月8日は国際女性デーだった。

女性、男性。幸せ、豊かさ、丁寧な暮らし。言葉がうまれ、広まり、そして枠組みが作られると、それら枠組みに入れない人も出てきて、でも入った方が良さそうで、少し苦しみが増える。

色んな記念日を知る度に、私はその制定に至った苦しみをちゃんと知らなくて、何も言えないな…と思ってしまう。下手に薄っぺらい言葉を世に放てば、それで傷ついてしまう人もいるのではないか、そう恐れて、今回もなかなか終着点にたどり着かなかった。

この日も始まりは女性の社会参加を訴えるデモだった。だけれど、色々考えると結局は、一人の人間が、一人の人間として、ほかの人間らと線引きせず、されず、色んなものに巡り合って、生きていく、ただそれを願って制定されたのではないかと思うようになった。

そう思うと、先輩が先輩のハッピーセットを作って生きてくれていること、私の人生にいてくれていること、それはとてつもなく心強く感じた。

この日は国際女性デーでもあり、ミモザの日でもあった。大切な女性に感謝を伝える日。もうミモザは花屋からなくなってしまったかもしれないけれど、お礼は枯れないから。そう思って、LINEを開いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?