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毎日更新を、やめてみようと思います。

10月15日から、毎日noteを更新してきました。135日。毎晩1時間以上、携帯やiPadの画面と見つめ合い、考えて書く時間を作ってきました。

それを、昨日途切れさせました。これからは、違う文章の向きあい方をしてみようと思います。

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書くということに、スキルも経験もない自分。今の職場で働き続けてもそれらが付きそうにもない。たくさんの文章に救われてきて、いつか自分も文章を書くことが仕事になれば…そんな思いがあったけれど、すぐに仕事が取れそうもない。

どうしたらいいかと考えたときに、まず毎日書くということが頭に浮かびました。毎日書いて自分の感性を磨くとともに、いつかそれが何か実績になれば…そんな思いで始めました。

毎日書くということは、毎日考える時間を作るということ。下書きを溜めずに、なるべくその日心が動いたことを繊細に感じて、それを言葉に紡ぎだすということをしてきました。

毎日更新をして良かったことはたくさんあります。

書くということが嫌いではないと分かったこと。書くネタがないことの苦労はありましたが、言葉を紡ぐことを真剣に考える、毎日のその時間は決して苦痛ではありませんでした。むしろ、どんどん自分の中のもやもやとした感情がひも解かれるようで、書くことに救われていた自分もいました。

インプットとアウトプットのバランスが良くなったこと。文章を読んだり映画を見たりといったインプットは好きでしたが、「なぜあの時感動したのか」「どう自分が変わるような気がしたのか」等のアウトプットはどこか後回しにしてしまうことがありました。しかし、こうして毎日アウトプットを重ねることで、インプットしたものを自分なりに咀嚼し、考え、意見を持てるようになりました。自分が何を感じ、何を考えたのか、それを自分で意識することで、生きる上で大切にしたい軸のようなものも少しずつ掴めるようになりました。

毎日、仕事以外に別の世界を作ることができたこと。以前、仕事でキャパオーバーになり倒れたことがありました。その時、仕事以外の世界の欠如が原因であると感じた一方で、仕事と同等レベルの別の世界を作ることの難しさも日々感じていました。そんな中、毎日何かしら書くという行為は、仕事からも生活からも放たれた、自分の人生に対する客観的な視点を与えてくれました。わたしは日々何に疲れ、何にいら立ち、何に喜び、何に感謝したのかを見つめることにより、仕事をはじめとした目の前の世界から放たれた、自分軸の世界が作られたように思います。

新しいネットワークができたこと。毎日更新をしてから、本当に毎日の記事に反応を下さる方がいらっしゃいました。時にはTwitterやコメントで、書いた文章に対して、言葉をかけて下さる方もいらっしゃいました。自分の書いたその日の感情に対し、誰かが共感してくれる、そのことだけでものすごく日々支えられていた気がしました。自分は一人じゃない、そんなセーフティネットワークの存在を、毎日のnote更新を通して知ることができました。

毎日書き続けて良かったことは、本当にたくさんあるのです。

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しかし、毎日更新をすることから、一度離れようと思います。

決して書かなくなるわけではなくて、「毎日」書くということからは離れ、自分の望むタイミングで文章を公開していくことに変えようと思います。

その一つの大きな理由は、自分の書くものひとつひとつに、深く潜れていないような感覚を味わうことが多くなったからです。

時には本当に書くネタがない日があって、それでもタイムリミットは迫っていて、道端で見つけた小さな小さな芽を乱暴につかみ取るような、そんな文章を書いてしまったのではないかと思う日もありました。毎日書くということに追われ、自分が書くことが浅く狭いことに気が付きながらも公開ボタンを押すことに、少し戸惑いがありました。

以前、ある方に書いた文章を読んでいただき、「とにかく深く掘れる人」というお言葉をいただいたことがありましたが、その言葉に反するような記事を公開しているようで、これでいいのだろうか?という思いが消えませんでした。

加えて、ライター講座を受講し、受講生の記事添削もさせていただく機会がある中で、書く文章一文一文にもっとセンサーを巡らせて、文章と向きあいたいと思い始めました。

約4か月毎日書いてきて、何かしらネタを見つけ、書き続けることはできるとある程度の自信は生まれました。そのため、これからは「より深く潜ること」を意識して書くことに注力したい。その思いから、毎日書くという制約を解こうと思います。

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とはいうものの、怠惰な性格故、毎日書くという制約を解いてしまうと、下書きでずっと留めがちで、形にすることから遠のいてしまいます。

インプットしたものに対して1記事アウトプットとして書くことや、2日以上寝かせないことなど、自分なりの制約は決めて、これからも書くことに自分のペースで向きあっていきたいと思います。

当初はいつか仕事になればという思いで書き始め、まだそれは実現していません。加えて、こうして書くことに向きあったからこそ、ただ書きたいという思い以上に、仕事にしたいのであれば「どんなことをどう書くのか」ということをもっと落とし込む必要があるようにも思っています。まだまだ仕事になる道のりは遠いような気がしています。

ですが、毎日書き続けることで、書くことが自分の中でどんどん大切な行為に変わっていきました。これからも、自分のために、ここまで磨いた感性を鈍らせることなく、より深く潜れるよう意識をして書いていきたいと思います。

”「書く」の源泉となる地層がある。
それは、記憶でできた地層。一層一層、こまやかに積み重ねられた記憶の地層の中から、わたしの文字は吸い上げられる。その部分が枯渇すると、ぜんぜん書けなくなってしまう。おそらく「書く」上でいちばん大切なのは、この地層をいかに肥沃に保っておけるかではないかと思う。”
小説家土門蘭さん 北欧、暮らしの道具店のコラムより

自分の考えたり、感じたりすることを繊細に見つめ、それを繊細に言葉にする。毎日更新で見つけた地層を今後もより肥沃に保っていきたいと思っています。

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