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「点」だけで、相手を判断しない。点の背景を見て「線」や「面」も含めて尊重し合う関係でありたい


・洋服のセンスや
・味付け、
・言葉のチョイス、
・デザイン、
・食事の場での振る舞い、
・コミュニケーションの仕方…
人それぞれ理想とか求めるものってあると思う。

だからこそ
ビジネスやプライベートなど

色々な局面で、
センスが「いいね」とか逆に「それはダサいな〜
その振る舞いは「間違ってるよ」とか
誰かにそう感じたり、
実際にそれを言ったり、
誰かから言われる場面があるのではないか。

その時に、人は

一方的に、自分の物差しだけではかって、
勝手に人や物事を評価してしまっている
可能性があるかも

と思った。


人の好みや価値観、そこには「背景」がある

特に、自分が言われる側で、
ネガティヴなフィードバックをもらったとき。

言われた方は、
自分が好きなもの大切にしているもの
否定されたような気持ちに
なって悲しいし傷つく。

なぜかというと、趣味趣向も、
『「好きになった経緯」も含めての好み』
だからと思う。

その「背景」を見てみると、
家庭や学校、友人いろんな環境を経て
形成された価値観、つまりその人自身の歴史
が実は詰まってるんじゃないかな。

だから、その1点だけを見て
「センス悪いね」とか
「それはないと思うよ」って言われると、

そのバックグラウンドにある経験ごと
否定されて、
自分自身まるごと否定されたようにすら
思えてしまう。
(特に自分が好きで選んだものに
マイナスなことを言われると、なおさら落ち込むよね)

そう。言った方は、悲しませる意図がなくても
相手を傷つけてしまうかも。


バックグラウンドが違うからこそ、価値観や好みだって、人それぞれ「違う」よね

相手の価値観に対して「あなたはこう思うんだね」と受け止めずに
「いやそれはないよ〜」って相手を評価するのって、
一方的に自分の価値観の押し付けてない?
とも思ってしまう。

「十人十色」と言う言葉があるように、
人の趣味趣向や価値観、考え方は多様だ。

それは
人それぞれ、色々なバックグラウンドがあるから
だと思う。
それぞれの歴史がある。

たとえば
自分の出身地、親の出身地、家庭の教育方針、
通った学校、育った地域…

だからこそ、価値観が違って当たり前。


「違い」を「間違い」って否定や評価してない?


それでも、私たちは、つい自分が生きてきた人生や経験だけで、相手を判断してしまったりする。

良いとか悪いではなく、
単に好き嫌いの 好みの話だと思うこともある。

単純に「違う」だけなのに、
それを良いとか悪いとかって話をするのは
相手は、「自分が認められてない」と
感じちゃうよね💭 と思う。

たとえば洋服。
可愛い系統が好きか、大人っぽいファッションが好きか。

たとえば食べもの。
味が濃いのが好きなのか、優しい味のものが好きか。

好みが違うだけなのに、
自分と違うと、”相手が悪い“ように
思ってしまったり。

私もつい、自分と洋服の好みが違う人のことを
「ダサい」なんて思ってしまったりする。
けどさ、それって自分の好みの話じゃなかろうか。

だって
たとえば極端な話、パリコレ。

ここでは、ファッション界ではオシャレとされている、衣装たちがたくさん並ぶ。

ただ、正直良さが分からないコーディネートもたくさんある。私の好みには合わないのだ。
日常的には着れないよ!って思う奇抜な衣装が
たくさんあるからね。


「間違い」とか「ダサい」「ナンセンス」ではなくて「私は好きじゃない」という好みの話かもしれない

そう思うと、
「良い悪い」と決めてしまっているものは
単純に「私は好きじゃない」という
だけの話かもしれない。

人や物事にネガティヴな印象を持った時、
勝手に、自分の価値観・物差しだけ
人を良い悪いとジャッジしてないか?
悪い方に解釈してしまってないか?
好きとか嫌いとか 好みの「違い」ではないか?
を自分に問うてみよう。

あなたはこれが好きなんだね(そういう好みもあるよね)、私はこれが好きだよ」

こんなふうに
お互いの違い
認め尊重し合える関係が
理想だな〜と思う。

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