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私のところにきた菩薩さま

以前から逆視道という東洋思想をもとにした
心のからくり的な学びを実践しているわけだが・・・

いや、しようと思ってできていないわけだが
仏教をもとにした心理学というふうに考えていただけたら
わかりやすいかと思う。

今の説明でわかる人はいるんだろうかという
疑問はあるが今日はそこが書きたいわけではないから
触れないでおく。

そんなこんなで
どんなこんなだよって感じだが

仏教をもとにした学問なので
先生は尼僧さまなのだ。

なのでもちろんちゃんとした法話もされている。
今日は久しぶりにお寺にお話をききにいった。

観世音菩薩さまのお話をされていて
いろんな出来事をおこし気付きをあたえ
いろんな姿をして導いてくれる。

簡単にいうとこんな感じだ。
これ先生にばれたら絶対に出入り禁止になるくらい
簡単にまとめてしまった。
本当はもっと深いお話なのだが
あまり話すとファンタジーな
怪しさまんてんになるのでやめておく。

そんな菩薩さまが
私のところにもきたと思った。

前回も書いたが私は現在
「看護師100人でつくる本」という企画の
noteチームとなりリーダーのもと
団体のnoteを作っていくところである。

以前の会議で自己紹介を書く方向になり
早めにと思い先日の記事を書き準備をしたわけだが
先日の会議でごろっと方向性がかわり
あの記事がいらない産物となったというおちだ。

会議の途中で心の中で少しの絶望感だったわけで
時間かかったのよね、あれ。
と心の中でつぶやいていた。

それと同時に感情とはおもしろいもので
自分が勝手に見切り発車でやっていただけなのに
なんだかいらっとしてしまう。

このいらっと来るまでの瞬時に
いろんな思考がはしっているのだ。

かかった時間
すすまない会議
方向性の変更
何より自分の力不足や自信のなさ

そういう思考のからくりを
逆視道で学んでいたにも関わらず
コントロールできずに若干いらだって過ごしていた。

そんなときに行ったお寺の法話できいた話が
観世音菩薩のお話。

なんという縁だろうと思った。
考えなさいよと言われているなと。

イラッとした出来事のあとに
聞く話がこのお話とは
今回の出来事も私にとって必要であるから
起きていることなのだ。

私のもとに菩薩がそういう形で訪れたということ。
この出来事を乗り越えたらなにか自分に
変化が起こるのだろう。

そう思うと今回の苛立ちも
いらない苛立ちだったわと思う。

反対にどんなものを得ることができるのか
楽しみ乗り越えようじゃないか。

考え方ひとつで同じ出来事でも
感じ方がかわる。
これが思考のおもしろいところであり
難解なところだ。

これからもいろんな姿で
私の前に菩薩さまがあらわれるんだろう。

生きていくって
本当に修行だわ。

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