【自己反省】何故私の成績は上がらないのか、客観的に考察してみる

人と関わってると私は頭いい認定されることが多い。自分より年上だったり高IQの人に言われることすらあるので恐らく謙遜とかではなくガチで賢そうに"見える"んだと思う。

実際昔から自分は知識欲旺盛で、同世代の人に比べればだが色んなことを知っている。例えば…なんだろう。今学校で数Iをやっているので因数分解の話でもしようか。因数分解の本質は共通項を抽き出すことだ。因数分解は古代ギリシアの時代から盛んに研究されてきた。古代ギリシアはピタゴラスの定理(三平方の定理)とか、二等辺三角形の底角は互いに等しくなるだとか、中学校で習うような数学の基礎的な知識が沢山発見された偉大なる時代(尤もバビロニアの時代には既に60進法を使って三平方の定理が発見されていたらしい。他にも平方完成を使って二次方程式を解いてたりもしたそう。バビロニア数学恐るべし…)だ。因数分解の特徴は他の四則演算よりも遥かに高度な計算量が必要なことだ。特に巨大な整数の素因数分解は非常に困難で、これは公開鍵暗号などのセキュリティシステムの信頼の元になってる。学生が因数分解で苦労する理由は式が複雑になりすぎて何をしているのか実感が湧きにくいからだと思うが、それが現代社会を支えるシステムの基礎となっているし、そのめんどくさいことから生まれたもの、システムなどの恩恵を受けていることは知るべきだろう。

他にはなんだろう、そういえばビートたけしが因数分解について語っていた。彼曰く因数分解は映画作りにおいて凄く役立つらしい。先程も述べたが因数分解の本質は共通項を抽き出す、つまり共通な性質を抽出することであり、これは映画作りに活用できるとのこと。なんでも映画は同じ場所でいくつかのシーンをまとめて撮影(例えば台所で夕飯を食べてるシーンとか)できそうなことがあり、そこで映画全体のシーンからその場所で撮影できそうなシーンを抽出し、一気に撮影してしまう。こうすることによって撮影は効率よく進められるとのことだ。流石世界の北野と言うべきだろう。そもそもビートたけしは学者気質の人間であり、本来お笑い芸人になる人間ではなかったのかもしれない。いや、だからこそ「その男、凶暴につき」は現代でも映画の評価の参考になる程の名作になったんだろうし、一流の専門家との対談も成功できるのだろう。笑いという道においては間違いなく天才だが、それ以外の分野は今一つの松本人志とは対照的だ。彼の著書「遺書」でも自慢げに述べられているが、恐らく今後しばらくは松本人志を超える笑いの天才は現れないと思う。彼は日本社会での「笑い」に関するありとあらゆることを変えてしまったし、お笑いという本来は狭いジャンルに道を集中させることに成功してしまった。東大卒だろうが元自衛隊員だろうが、皆がこぞってお笑いの道に走るのも彼の作った道がそれほど魅力的であり、社会に影響を与えたからだろう。こう考えるとダウンタウンより前に全盛期を迎えたビートたけしはまだお笑いという狭い世界に道が集中する前の、芸人が河原者と揶揄された時代を少し含んでいた、お笑いに他の道からやってくる人を呼び込む必要があった時代に相応しい人間だと言える。賢さと言うのはもしかしたらビートたけしみたいな人間を指すのかもしれない。だから私は松本人志よりもビートたけしの方が人間的には好きだ。

…だいぶ話が逸れてしまった。私はnoteを書くときに完全に喋る時と同じノリで書いているので、こういうふうに話がズレてしまうのは御愛嬌ということでお許しください

さて本題に行こう。もう1人の私がこの世にいるのならば、そいつは私のことを「虚像を見せるのが上手いだけの衒学者、いや衒学者ですらないクソガキ」と馬鹿にしていると思う。実際そんなに賢いと言われるのならもっと成績いいはずだろと母親に言われたことがあるし、私もそう思う。何故自分は成績が上がらないのだろうか。

前々から悩んでいたが、昨日ふと思い至った。それは自分の勉強法に問題があるからではないか。

自分は勉強が好きだ。何故好きなのかと言われれば「新しいことを知れるから」だといつも答える。新しいことを知れるのは非常に楽しいことだと個人的に思う。英語も一番楽しいと感じるのは英単語学習だし、数学も一番楽しいのは色んな公式や法則を学習している時だ。高校受験時代も塾や学校の進度のこととか関係なしに一人で色んな入試問題を解いていた。知らず知らずのうちに数Aでやる内分点、外分点についても学習していたことがある。国語も一番得意だったのは作文だった。指定された字数が長ければ長いほど書きやすかったし、自分の意見を述べるタイプのものとか、楽しくて仕方なかったのを覚えてる。

ただこれらが得意だったのは単純に知ることや表現することが楽しかったからで、よくよく考えたら私って全然演習をしていなかったなと思う。社会とかは特にそうだった。歴史と地理は初めから得意だったのでノー勉だったし、公民もコロナで寝込んでいた数日で参考書を丸暗記してそれ以降はマジで一切勉強してない。それでも8〜9割は安定して取れていたから、インプットはやはり受験において大事なのだろう。

しかしアウトプットはというと…頗る苦手だった。社会の問題は一問一答は最後まで解き終えた記憶がないし、数学も複雑な関数の問題より因数分解の方が苦手だったなぁと思う。今思うと圧倒的に演習量が足りてなかった。

恐らく私の真骨頂は大学の二次試験とかなんだと思う。本や教科書の端っこの方に書いてある注釈まで読み込むタイプの人間なので、知識だけは本当に無駄にある。また常に何かを考える癖があるので思考力も割とあるのだろう。反対に共テとか公立高校入試とかとは相性が悪そうだ。特に共テとか凄まじい速さで年々難化してるし、私が受ける頃には更に難しくなってるだろうからどうなることやら…


まとめるとこうだろう。

•ただ知識欲を満たすために勉強してるのであって、つまらない勉強(演習等)に対する耐性力が育ってない。

•処理速度が遅い。

•そもそも皆が思うほど賢い人間ではない。

自分の欠点が可視化されて辛いが、まあこれで自分の課題が見えてきたので良しとしよう。インプットではなくてアウトプットを重点的に行うのは今後の私の課題だ。アウトプットは嫌いだが、頑張るしかない…

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