[ 心理学 ] 自動化された判断は,それが間違っていることがわかっていても修正できない
概要 心の働きには自動的な側面と意識的な側面があります。この記事では,ロジャー・シェパードの机の錯視を題材にして,自動的な判断は,それが誤りであると指摘されても,修正することが難しいものであることを説明します。
"Turning the Tables," by Stanford psychologist Roger N. Shepard.
心のふたつの働き
心理学では,私たちのこころにはふたつの側面があるとよく想定される。
ひとによって言い方はことなる。あるひとは,不随意反応,随意反応。あるひとは,無意識と意識,あるひとはシステム1,システム2。
いろんな言い方があるが,前者は自動化された処理,後者を意識的な処理と考えたらいいだろう。わたしたちのこころには,ほとんど労力を必要とせず,ぱっとしてしまうはたらきもあれば,意識的に何のために何を今しているのか,こころのはたらきをモニターしておかなければならない,時間と心的労力のかかるはたらきがある。
コンピュータの比喩でいえば,前者は処理が軽く,ほとんどメモリを食わない処理。後者は処理が重く,メモリを食って,他の処理にまで悪い影響を及ぼす場合もある処理だ。
適者生存
過去,わたしたちの祖先は食物連鎖の中間地点にいた。小動物を食べる一方で,大型動物に食べられていた。
そのような危険な時代をわたしたち,ヒトは生き延びてきた。適者生存の考えから言えば,その過酷な世界を生き延びる術をわたしたちが身につけており,それが効果的にはたらいていたから,私たちは今こここにいるのであろう。
過去,わたしたちが手にいれた,その生き延びる術は,まだわたしたちのなかに残っている。わかりやすいのが,闘争ー逃走反応。
闘争-逃走反応
くらやみで何かが,がさっと音をたてて動いたら,わたしたちの心拍は跳ね上がる。なんだ。猫か。心臓はまだどきどきしているし,呼吸も乱れている。
なぜか。わたしたちの生存を脅かすものにであったとき,わたしたちはそれと闘うか(闘争),それから逃げるか(逃走)のどちらかを決断しないといけない。どちらを選ぶにしても,わたしたちのもっている力を目一杯使わないといけない。力を出すためには,全身に酸素が必要だ。酸素をたくさん体内にいれるためにはたくさんの呼吸が必要だ。だから,呼吸がはやくなる。呼吸がみだれる。体内に取り込んだ酸素は血液によって全身に送り出される。はやく全身に酸素を送り出すためには,ポンプである心臓がもっと働かなければならない。だから,心臓がどきどきする。心拍があがる。これが闘争ー逃走反応。
ある状況に置かれたら,勝手にそう反応してしまう。自動化された反応だ。
わたしたちはこのような自動化された反応を使って現在も生きており,例えその反応が間違っていることがわかっていても,それを修正することができないくらい,わたしたちに根付いている。
シェパードの机の錯視
ロジャー・シェパードの机の錯視は,わたしたちの見るという行為がどれくらい自動的で,わたしたちの意図的な試みから独立したものかをよくあらわしている。
したのふたつの机,実は同じかたちで同じ大きさだ。ひだりの机を切り抜いて,右の机に合わせてみたらいい。ぴたりとふたつの机は合わさる。
それでは実際に重ねてみよう。
ご覧のようにふたつの机の大きさはまったく同じだ。錯視というのは,錯覚の「錯」と視覚の「視」からできた言葉。わたしたちは事実とは異なるように世界を見ている,その事実を教えてくれているのが,こうした錯視図形だ。
ふたつの机の大きさはまったく同じだと説明して,デモンストレーションをしてみても,納得するひとはまずいない。それじゃあ,本当に切り抜いてみて,重ねてみたらどうか?実際に錯視図形が印刷された紙とはさみをわたして,切り抜いてもらう。
やはり,重なる。
ふたつの机の大きさは同じだ。そう頭で理解しても,やはり机の大きさは同じには見えない。
ふたつの机の大きさは同じだ,こういう心の働きは意識的な心のはたらきだ。見るという,自動的な心のはたらきだ。同じとわかっていても,ちがうように見える。
これは自動的な心のはたらきが,意識的なはたらきから独立していることを示している。自動的なはたらきは,非常に強力なこころの働きだ。
こうした自動化は見るというはたらきだけに限ったことではない。
普段,気づくこともない自動化された処理。それが私たちのありかたにどれくらい影響を与えているか,これから別の記事で見ていこう。
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