山形浩生さんと高須正和さんを招いての読書会

加えて、金沢大学の秋田純一教授

招いたのは俺じゃない。えらい人のおかげ。
無職69日目。

以下雑多なメモ。

なお、先に言っておくが、表現方法など失礼な点などあればお許しください。文章はあまりうまくない。

自分向け7割:外向け3割。

登壇者について

・高須さんのTwitterアカウント「@tks(@以下3文字)」って地味に凄い。
※3文字IDって新規でもう取得出来ないよね・・? 自分がTwitter始めた12年前ですら、5文字アカウントが最低ラインだったし。どれだけ昔からTwitterやってるんだろう・・?

・山形さんの後ろの壁にモーツァルトっぽい人の絵が描かれていて知的センスの高さを感じた(自分なら、絶対グラビアアイドルとかにする)

・2人共、俺が知ってる退職を間近に迎えた、エネルギーの少ない保守的で家族や仕事に右往左往している50代とは全然違ってかっこよかった。
※正確には山形さん 58歳 高須さん 48歳。 秋田教授??

・みなさん、ちゃんと行動が出来ているであろう人で、過去の栄光ではなくちゃんと「今」と「自分」と「自分の周辺」をしっかり語れる人だった。しかも、この3時間の中でお話しいただいた内容は、持っている情報や体験の一部に過ぎないだろう。もっともっといろいろ話せるに違いない。恐ろしい。

・ああいうおっさん(?)、になりてえなーと思った。かっこよかった。youtubeや、インスタなどで「成功しよう!」と語っている人若い人たちとは全く別種の、何物にも動じないような強さを感じた。
※年齢的にはおっさんなんだが、どう見ても戦闘力5000000の強キャラにしか見えなかった。

・何というか、お二方から「アクティブ」という言葉を感じ取った。これは直感である。自分が今まで出会ってきた、類似の年齢層の人からこのような感覚を感じたことが無い。常に新しいものに触れ続けると、年を重ねてもこういうエネルギーを出し続けることが出来るんだろうか・・?

・みなさん、余りある実績をお持ちの方なんだけど、まったく偉そうではなくこちらの知識レベルに合わせて言葉を落としてくれていたと思う。(なかなか出来ることでは無い)
※それよりか、怪しい自己啓発系やマルチのセミナ^に登壇している、ウェイ系の人の方がよっぽど高圧的である。

・秋田教授
自らはあまり語らず、学生に発言を譲ったりされていたが、それでも十分な貫禄があった。「いつ何を聞かれてもok、いつでもどこからでもどうぞ」みたいな感じ。あの雰囲気は経験を積まないと出来ないし出ない。本人はとぼけたような雰囲気を出してはいたが。。 もっとお話を聞いてみたかったな。

本の具体的な内容

あまり覚えてないけど、心に残った点をいくつか。

・この本は以前追い出されたブラック企業の上司たちに読ませてやりたい。
・属人的になるといずれ、組織は腐る。

※まあ、技術的な部分は参加していた他の頭の良い人たちに任せて、自分はお茶でも飲みながらおいおいやっていく。
アーカイブを見直すだけでも価値がある。

他、心に残った点として

「ああ、議論ってこうやってやるのかもな」と思った。

今までの自分の考えとして


何かを教わる場合、常に自分は間違っていて、相手が正しい為、自分は相手に意見してはいけない。なぜなら自分が間違っているから。というものがあった。

すなわち。

1・このようなゲストを招く会というのは、無知な我々の側がえらい人の話を正座をしてお行儀よく話を聞いて「へぇー! そうなんですね! ありがとうございました!」と聞く会である。(なぜなら相手の方が正しい知識を持っていて、こちらが教わる側だからである)

2・そこには、我々教わる側からの「意見」や「反論する」という行為は存在せず、ただただ相手の話を聞いて、自分の間違った考えを修正するだけ。何故なら自分はそもそも間違っており、相手が全面的に正しい(今回は、相手が翻訳者なのでなおさら)。

3・なので教わる側(自分)としては、相手に反論してはいけないし、意見もしてはいけないし(なぜなら、自分の考えは間違っているから)、しっかり話を聞いて、相手が教えてくれた正しい、この世で唯一の考えを元に、自分の考えを修正しなければならない。(かつ、相手様に失礼のないようにしなければならない)


・・というか、そんな考えがこれまであってだな。

文章に起こしてみてわかったけど、そうとう偏ってるなw
※これは生育環境も影響しているので、まあしょうがないです。人間多かれ少なかれ、こういうのはあります。

ですが、実際には

(主にぷろおごだが)本の内容について、しっかり相手に意見や反論もしていたし、「この本に違和感がある」とも言っていたし、違和感についても意見していたし、何なら相手よりもぷろおごが話す時間の方が長いターンもあった。その意見や反論について、山形さんや、高須さんもちゃんと説明をしていた。
※ not for me?(意味わからん)

それ(著者および訳者に意見すること)って自分には絶対に出来ないことだった。

それは相手と対等に話すことが出来る知識や経験があるとか無いとか、5000人に奢られた実績があるとか、そういう次元の話ではなくて、前述のとおり、単純に「間違っている自分は相手に意見をしてはいけない」という思考があったため。なぜなら、自分は間違っていて、彼らが全面的に正しいはずだから。そういう考えが自分の中にあったから。

※余談だが
途中、議論の主題が「この本に対する違和感について」になっていた。これには正直驚いた。 
違和感について議論していいんだ・・
(反論、意見していいんだ。。という意味)

批判的な読み


ちなみに昨日の読書会は「批判的な読み」というものの実践だったらしい。
これは実は自分も言葉としては知っていた。

だが、これを行うのは相当難しいことだと、読書の基礎を教えてくれた人が言っていたのを覚えている。

自分も話半分にやろうとしたことがあったけど、とうてい無理だったことを覚えている。
でも、昨日の自分は知らないうちにその「批判的な読み」のモデルケースのようなものを見せられていたのかもしれない。

そして、何より「えらい人(?)」に対して意見を言ってもいいんだ、ということを肌で感じることが出来たのは非常に大きい。

※このような場に招待されて来た人と我々の間に、果たして上下関係が発生するのかどうかは、謎である。そういうフォーマットを教わったこともないし、知らん。

自分は正直昨日の読書会で、技術的な何かを得たというよりも、体験として「えらい人(仮)」に意見をしてもちゃんと受け止めてくれる世界線があるんだな、ということを感じられたことがとても大きい。

これは、「ナンパで失敗しても死なないから声かけてみなよ!」と言われたところで、声が掛けられないのと同じくらいに、経験がものをいう。
テキストだけじゃ絶対にわからないことである。 特に、これまで群れから排除され続けてきた人間にとっては大きすぎることである。

こういうことって、大学で習うのかもしれないが、自分は大学に進学していないので、なおさらありがたかった。

世界と接続出来た気がした。


どこぞの誰かが「中国がー」とか「シンセンがー」っていうよりも、目の前でご縁のある方言ってくれた方がより身近に感じた。
自分もいつかはシンセンで夜景を見てみたかったので、ちょっとは近づいたかな。


ということで、昨日一番心に残った言葉は
終身雇用はカルトですか・・・((+_+))」 でした。

みなさんお疲れさまでした。
※裏で調整や”言語”の翻訳に奔走した伊予柑さん本当にえらいと思いました。えらい。





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