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今日死ぬという人と会って話を聞いた。

タイトルの通りです。


本文

以前働いていた職場でお世話になっていた上司で、1歳年上の男性。うつ病を患っていたのは知っていて、同じ時期に別々の職場を退職してから、ちょくちょく会ってはいたのだけど、距離感がすこしバグっているところがあって、こちらから距離を取るのを控えていた。

その後、共通の知人から「うつ病が相当ヤバイので今は人に会えないらしい」と言われていたが、別の知人と、その上司が参加しているLINEで、何のけなしに会話を投げていたところ、あれよあれよという間に、今日お茶することになった。

久々に会った彼は、いつものように薄毛を気にしてニットキャップを被って現れた。マスクもしていたから、一昔前の芸能人変装バージョンみたいな感じ。

以前よりも頬が痩せこけており、不健康な生活を送っているのは間違いないなという印象だった。

「あけましておめでとうございます」

会うのは4か月ぶりくらいだったけど、年初をまたいでいるので、新年初めてという感じの挨拶になった。

「最近何をしてるんですか?」
「自殺」

何を言っているんだ? この人は? ついに頭がおかしくなったのか?と思ってしまった。いや、彼は以前から普通の日本人像に囚われているところが凄くあって(「何歳で○○していないといけない、結婚して子供がいないといけない。年収は○○万円ないといけない・・etc」という思考が非常に強いのは知ってはいたけれど、自殺? 何を言ってんの? と思っていたが、これが冗談では無かった。

ここ数か月(特に1月に入ってから)は、ほぼ毎日自殺企図をしているらしく、ここ数か月自分がいかに毎日自殺について考え、そして実際に実行しているかの話を教えてもらった。

・首吊りを実行したが、足が地面についてしまった話し。
・ロープだと首に跡がつくので、マフラーで実行している話し。
・ドアノブに紐をかけても自殺なんてなかなか難しい話し(体重をかけるのが難しいらしい)

・ネットの自殺情報は嘘ばかりだっていう話し。

・一度、本当に死にそうになったことがあるらしいが、意識を失いかけたところで、反射的に手が縄に行ってしまい死ぬことが出来なかった話し。

・最近のトレンドは、寝ながらの首吊りである話し。
(うつ伏せになりかつ、少し首を浮かせた状態で首に縄をかけ、その状態で睡眠薬を飲むと、出来るんだそうです・・。どこで調べたんだよそんな知識。普通に検索しても出ませんよ)

要するに筋トレの背筋しっぱなし状態で寝るみたいな。

昨晩(3/27)の夜、初めてそれに挑戦したそうですが、朝起きたら縄が外れていたそうで、昨日の夜は、朝起きたら首に縄がかかったままだったのに何故か死んでいなかったとか? 彼は「なんで俺死んでないんだろう?」 と不思議がっていました。

自殺についてこんなに力強く語っている彼を見て、明らかに以前の上司さんではないなと思いました。
いや、以前からそういう一面があったのだと思います。

元々毒親みたいな母親の元に生まれたという話はこれまで何度も聞いてきました。弟とも折り合いが悪く、聞いた印象だと家庭環境がとてもよくありません。この10年間仕事を頑張ってきたのも、母親に認められるためだと、何度も説明してくれていました。

30歳手前の時に、母親から言われた一言で、うつ病になったと本人は言っていて、その頃心療内科に行っていればよかったのだけど、母親に認められたい一心で仕事に打ち込んだしまったために、病院に行くのが大幅に遅れて慢性化してしまったとのこと。

通院をし始めたのは、ここ1年くらいだったような気がします。

最初の先生ともなかなかそりが合わず、病院を変えたことにより、治療も進展したと聞いていたし、わたしもそう思っていましたが、どうやら病院の先生からは入院を勧められているそうです。そして、彼はその入院を拒んでいる様子。

「どうして入院しないんですか? 治すための入院では?」
「入院したら自殺できなくなるじゃん」

冗談で言っているんじゃないんだなと思いました。
いや、首吊りのバリエーションをいろいろ調べている時点で遊びではない事はわかってはいましたが。。

むやみに励ますわけにもいかず、ただただ話を聞いていました。

彼には主治医がついているため、具体的なアドバイスをするわけにもいかず、「こうした方がいいよ、ああした方がいいよ」とも言えません。ただただ話しを聞いて「なるほどですね・・・」と同意したり、「え、それってどういうことなんですか?」と質問をしたりを繰り返していました。

彼は自殺の話を自慢のように語ります。

「○○って(ある自殺の手法)ネットではうまく行くって書いてあるけど、実際は、こういう理由でうまく行かないんだぜ!」

「へぇー」

自分も、なぜこんな話を聞いているのか。そして楽しく聞いていられるのか。こんな話に対して興味を持って質問や問いを投げているのか、自分で自分を不思議に感じてしまう時もありました。

「死ぬなよ」って言いたい。
「死なないでください」「生きてる方が楽しいよ」「生きていたらいいことあるよ」って言えればいいのに。

でも、その言葉は軽々しい言葉であることはわかってはいます。
少なくとも今の彼にとっては。

彼には世の中がすべて無機質(グレー色)に見えるそうです。あらゆることに興味が持てない。素人診断はしたくないですが、うつ病から来る意欲減退なのでは無いかと常々思っています。

これは過去に少しですが自分も経験があって、2年前に飛行機の中でパニック発作を起こして、一時的にうつ状態になったとき、すべての物事に対して興味が湧かなくなったという事がありました。

※その時の記事。

当時の自分記事の一部。

わたしは幸いにも一過性のものであったため、パニック障害には移行せず、上記の画像にもあるように日を経つごとに落ち着いてきたのですが、それでも発症直後は、毎日ベッドに寝っ転がって天井を見つめながら「ああ、俺ってこうやって死んでいくのかな・・」と思っていた記憶があります。

「どうしたらあの時(パニック発作を起こす前)」に戻れるんだろう。健康で楽しい感性を持っていたあの時に戻りたい、と泣きそうになった時もあります。あのうつ状態は、それほどまでに辛かったです。 

当時は人間の裏側を見た気がしました。今までこのような症状を経験したことは全くありません。うつ症状の怖さをここで知りました。だから、彼と自分が全く同じとはもちろん言いませんが、ある程度どのような状況かを推察することは出来ます。

自分がうつ状態の人にたいして、「生きていれば楽しいことあるよ!」とか「生きていればいいことあるから、生きましょう!」とか気軽に言わないのは、ここに理由があります。自分なりにうつの辛さの一部を知っているからです。

とりあえず、話を聞きながら、自殺未遂について「凄いっすね! へー、そうなんだー」と謎の褒めをしつつ、「例えばこういう時はどうなんですか?」と質問をして話を広げつつ、かつ今まで職場でお世話になったことも含めてお礼を言って褒めたりしました。

実際彼のおかげで、パソコンが使えるようになった側面があるし、彼には自分の悪いところだけではなくて、もっといいところを見つめてほしいと思ったという下心があったのも嘘ではないです。

スタバで話をしていましたが、周りの人達は笑いながら自殺未遂について大声で話す我々をどんな感じで見ていたんだろうか。草。

いろいろと会話をしましたが、同時に「これ以上は踏み込んじゃいけないな」と思ったのも事実ではあります。
というより、どう踏み込んだら良いかわからなかったのが正しいところです。

臨床心理士のような専門的な知識があれば、謎の技を使って「死なない方向に持って行く」とか出来るんだろうけれど、自分にはそんな知識も経験も無いので、こうして聞くしか出来ない。ただ、深刻に聞くのだけはやめて、極めて明るく話を聞こうとは務めました。

ですが、笑いながら?話してくるとは言え、毎日自殺企図(未遂)をしてるというのは、全くもって尋常ではありません。

「何度も自殺に失敗しているということは、神様が生きろと言っているのでは」と、わずかな隙間を縫って彼に言葉を投げかけてみましたが、無理でした。
彼曰く「そんな言葉は何百回も聞いた。もう響かない」と、軽快な笑顔であしらわれました。

この辛い人生を終わらせたいと何度も言っていました。
起きている時間そのものが辛い。気持ちはわからないでもないです。

死の恐怖よりもこの辛い人生を終わらせられたらどんなに楽かと言っていました。

動画やドラマを見てもただのひまつぶしにしかならない。
面白いと感じられるものがない。

それは、世に言う「趣味がない中高年」問題とは全く次元が違うように思います。楽しもうと思っても身体が受け付けない。そんな感覚なんだと思います。

「自分が楽しいと思える趣味がこの世の中のどこかにはあって、それがまだ見つかっていない」だけなんだ、「俺はまだ本気出してないだけ」と人生をさまよっている人たちとは訳が違うというか。
そもそもその感性の細胞自体が深い水の底に沈んでいるような、印象を受けます。そして楽しかった時を身体が覚えているのでよりつらく感じるのかもしれません。

ただわたしを含めて数人の「信頼できる人」と話している時は、それなりに楽しいのだそうです。

この違いはなんなんだろう。。

思いたくは無かったけれど、本当にこれで最後かもしれないので、思い切って「お寿司行きませんか?」と誘って、札幌のお寿司屋さんチェーンの中でも、いつも混んでて割と入りにくいお店。回らないお寿司に行きました(まぁ、札幌でいい値段するお寿司屋さんはたぶんどこも美味しい)

5600円くらい食べたと思います。 サーモンとかマグロとかくっそ旨かった。

オープンキッチンで、紙にオーダーを書いて板前さんに渡すシステム。

板前さんの目の前で睡眠薬の話しとか、自殺の話しとか、生きるのが辛い話とかしてて、ちょっとウケました。

最初は「お寿司屋さんで自殺の話はさすがにまずいだろう」と思って「お寿司おいしー」とか言って話を逸らしていましたが、あるタイミングで彼から睡眠薬の話が出たのをきっかけに、もうどうでもよくなり、そこからはお寿司を食べながら、自殺未遂の話しとかそんな話しばかりしていました。

そうか、生きたい人にとっては死ぬのは忌み嫌うものかもしれないが、彼にとっては死は普通であり、日常と同居しているものなのか。
このタイミングで気付いたような気がします。

周りでお寿司を食べていたちょっとハイソ目なおじさん、おばさんはどんな風にこの話を聞いていたんだろうか。

彼が古畑任三郎に異常に詳しいことがわかり、古畑に出ていた出演者を思い出す手伝いを一緒にしてもらいました。そういえば、福山雅治とか、明石家さんまとか出てたんだよね。ストーリーとか鮮明に覚えていていた。それ絶対同世代にウケるネタやん。

あのレベルのお寿司は、1年に1回くらい行くのもいいなあと思いました。

今は、夜の22:43です。
確か、23:00くらいに寝るとかそんな話をしていた記憶があります。

ちょうど今頃、また自殺の準備でもしているんだろうか。

最後、別れる時。
「もし残念ながら、(自殺に失敗して)生きていたら、またお寿司に行きましょう」と言って別れました。

失敗してたらいいな。。

余談

もし次に会う機会があるのであれば、彼にもっと多様な人間の世界を見せてあげたいなとは思っています。そうして世の中にはいろいろな境遇や環境の人が思っているよりも無限にいて、自分なんて思ったよりも大したことないというのを、実感してもらいたいのだが、札幌にはいかんせんそういうイベントをする店がたぶん少ない。イベントバーエデンとか(札幌にないけど)。そういう系の店。
(そういえば以前、自助グループを提案したことがあったな。)

エデンに行くと、マイノリティとたくさん会えるからね。

(エデン)


おまけ。

みなさんは死についてどのようにお考えですか?
いろいろな考えがあると思いますが、ひとつ以下のような本があります。

安楽死を望む患者と、それを取り巻く人たちを取材した本なのですが、作中で患者さんはしきりに「もう終わらせたい」と口にします。詳細は忘れましたが、「こんなつらい人生もう終わりにしたい」みたいなニュアンスだったと記憶しています。

「辛い人生をもう終わらせたい」って、上司と同じじゃんって思いました。

例えば、本当にもう治らない病気にかかって。
たぶんそれが理由で毎日毎日絶望しか見えなくて、身体も風邪の100倍くらい辛くなって、痛くなって。

そんな人に対して「生きたら楽しいよ!」「生きるといいことあるよ!」って言うのは、単なる自分のエゴだよなあと思うことがあります。

そんな時自分に言えるのは「またごはん行きましょう」以外に何があるんだろうか。

やはり「死んだら寂しい」って言い続けることなんだろうか。
だとしたら、今日「死んだら寂しいです!!」って強く言えなかった自分は、ただの薄情者になるのかもしれない。

しかし彼がとてもとても大切か? 自分の人生を投げ打てるほど大切な存在ですか? と言われるとそういう存在ではない。自分が彼に対して死んでほしくないのは、ただ単に「自分が殺人者のようになりたくないから」、彼はお父さんとは関係が良好のようですが、「恐らくお父さんにとっては大切なお子さんである彼の死を肯定するような行動をとってしまったことに対して後悔したくないからでは?」とも思ったりします。

とりとめのない終わり方になりますが、またごはん食べに行きましょう。

こんな文章の終わり方でごめんなさい。
自分は生きていてほしいです。

最後に

しゃべっていて思ったのが
それだけ自殺未遂の経験があるのであれば、「自殺をしたい、自殺を考えている人に、何らかの経験を提供できるのでは?」と話してみましたが、そもそもそれをやる気力がないとのことでした。

自分がかつて自己破産をした時の経験が一部の人に役に立ったように、それだけ自殺未遂をした時の経験は一部どころか、かなりの人には必ず刺さると思う。

最後の最後に

入院して治る可能性があるなら、入院でもしてくれ。

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