見出し画像

2020年の振り返りと2021年に向けて 演劇業界編

新年あけましておめでとうございます、Yu_Seです。令和3年ですね(早い笑)。
2021年、昨年から始まった新型コロナウイルスの猛威によってニューノーマルな生活様式を求められ、まだ世界はそんな状況から脱することなく新年を迎えました。

今まで私はnoteに舞台観劇の感想や、個人活動のシェアを中心に記事を投稿してきました。しかし、自分が抱いている思想についてはあまり触れてこなかったかなと思っています。
そこで今回は初めてnoteに、ポエムではないですが私が日々思い続けてきたことや考えてきたことといった自分自身の思想をつらつらと書いていこうと思います。
もちろん、私の意見が全てではないので反論などもあるかもしれません。そちらに関してはお手柔らかに、あくまで一個人の意見として読んでいただければと思います。

ただ書いていても脈絡のないものになるので、コロナ禍に翻弄された2020年を振り返りつつ2021年へと繋げる形で、自分の思想も交えながら書いてみようかと思います。
「2020年の振り返りと2021年に向けて」も3部に渡って記事を書いており、「社会経済編」「演劇業界編」「個人活動編」の3つを用意しています。社会経済編→演劇業界編→個人活動編の順番に読んで頂けると一番スムーズに内容が入っていくかと思います。

この記事では、「演劇業界編」を扱います。
2020年は新型コロナウイルスの猛威による自粛要請により、エンターテイメント全体が活動停止するという未曾有の事態に陥りました。そんな中、ステイホームしながらでもエンターテイメントを楽しめるような取り組み、例えば演劇であれば動画配信やオンライン演劇等を実践してきました。それらによって、今後演劇業界はどう変わっていくのかについて、私なりの考察や考えを交えてシェアさせて頂こうと思います。


【エンターテインメントは不要不急なのか】

2020年4月7日、日本は全国的に緊急事態宣言が発令されました。これによって、多くの飲食店やテーマパーク、映画館、劇場などが休業要請を受けて臨時休業しました。一方で、鉄道や医療現場、スーパーマーケットなど生活していく上で必須となる事業に関しては、通常通り営業が実施されました。
この時演劇業界において、野田秀樹さんが筆頭となって演劇の公演中止に対する意見書を提出しました。意見書は以下のような内容になっていました。


コロナウィルス感染症対策による公演自粛の要請を受け、一演劇人として劇場公演の継続を望む意見表明をいたします。感染症の専門家と協議して考えられる対策を十全に施し、観客の理解を得ることを前提とした上で、予定される公演は実施されるべきと考えます。演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。


ここで問題になったのが、「スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。」という文言です。確かにこの表現だと、スポーツは無観客でもどうにかなるが演劇は観客を入れないとどうにもならないという、ある意味演劇だけ特別扱いをしていると捉えられがちな文言になっているかなと思います。この表現によって、野田さんは多くの業界から批判を浴びることになりました。
これに続いて、青年団という劇団主宰の平田オリザさんも声明を出し、製造業界を引き合いに出して演劇業界を贔屓したため、こちらも同様に批判されることになりました。


この一連の騒動を見ていて私が思ったのは、この2020年3月という時期がコロナ禍がいよいよ深刻になってきて、どの業界も先行きが見えない苦境に立たされてシビアになりピリピリしていた状態だったということがまず挙げられます。そんな中で、演劇業界だけが贔屓されるような状況に成りかねないような意見書にも見て取れるので批判が殺到したのだと思っています。
これは決して他の業界に演劇業界が否定された訳ではないと思っています。この批判の際、一部の演劇関係者の中には「世間は演劇というものをちっとも分かってくれない、こんなに演劇業界は世間的に見て肩身の狭い存在なのか」と悲観する声を見かけたことがありますが、そういう訳ではないと思っています。ただただ、コロナ禍が深刻になってきた2020年3月において、演劇業界に関わらずどんな業界も危機的状態に立たされている訳であって、他の業界を差し置いて演劇だけ特別扱いを求めるような内容にも受け取れてしまったからだと思います。
演劇業界だけでなく、スポーツ業界も旅行業界も飲食業界もどこも苦境に立たされています。社会経済編でも書きましたが、やはり「利他」という考え方がここでも大事になってくると思っています。ここでは個人単位や国家単位の「利他」ではなく、業界単位での「利他」です。どんな業界も他の業界の状況に思いを馳せて、他の業界の状況も考えながら行動をしていかないと破綻してしまうと思っています。決して利己的にならず利他的に考えて行動すること、「演劇がしたい、やりたい」という利己的な考え方ではなく、社会状況を鑑みながら演劇活動をするためにはどうしたら良いのかを考えることが非常に重要だと思います。そう考えられるかどうかが、他の業界からの信頼にも繋がりますしコロナ禍が収束した後に観客が戻ってきてくれるかどうかにもかかっていると思います。

もう一つは野田さんや平田さんの声明が批判された要因として、ワーディングの問題もあったと思っています。決して他の業界を引き合いに出すことなく、批判のされないような表現で意見書を提出していたらもっと状況は変わっていたのではないかと思います。
そのワーディング問題でいうと、「エンターテインメントは不要不急である」という意見も同様のことが言えます。「不要不急」という言葉を使ってしまうと、あたかもエンターテインメントは必要のないものと捉えられてしまいます。もちろん、エンターテインメントを楽しまなくても人生を普通に過ごせる人たちだって大勢います。他に打ち込めることがあったり、他に好きなことがあればそうなんだと思います。しかし、エンターテインメントを日々の楽しみにしている人だって大勢います。そのエンターテインメントによって人生が救われたり、自分の人生になくてはならない存在だったりする人も大勢いると思います。
そう考えると、やはりエンターテインメントは不要不急ではなく必須の存在だと個人的には思ってますし、今回緊急事態宣言でエンターテインメントの活動が停止されたのは不要不急だったからではなく、医療崩壊を避けるためにやむを得ず自粛せざるを得なかったからです。それは、職業柄の優先順位として医療現場やインフラといった生活に必須な事柄を扱った職業の方が上だったからではなく、医療崩壊によって医療従事者だけでなく人命選択を受けた人、受けなかかった人、その家族やご友人にこれ以上ない苦しみを与えないための苦渋の選択を強いることになるからという認識をする必要があると思います。
エンターテインメントはこの世界には必要な存在だと思っています、ただそれは命があってこそ楽しめるものです。決して不要不急だったのではなく、多くの人がコロナ禍が落ち着いた後にエンターテインメントを楽しんでもらえるためにも必要な緊急事態宣言の判断だったと思っています。




【オンライン演劇の誕生】

緊急事態宣言の発令によって、人と人が直接会うことによって成立するエンターテインメントは活動自粛に追い込まれました。その際に誕生したエンターテインメント、それはオンラインを使ったエンターテインメントです。演劇業界でも、今までは生であることが価値と言われ続けてきて敬遠されてきた映像による舞台作品の配信がYouTube上で行われたり、オンラインであるからこそ実現可能なzoomなどを活用したオンライン演劇が誕生しました。
この章では、オンライン演劇の考察について書いていきたいと思います。

まず取り上げるべきは緊急事態宣言発令中に結成され、そして日本で初めてzoomを使ったオンライン演劇によって興行的にエンターテインメントを成功させた「劇団ノーミーツ」の存在が大きいと思います。私自身も、第1回本公演の「門外不出モラトリアム」、第2回本公演の「むこうのくに」、第3回本公演の「それでも笑えれば」を全て鑑賞しており、この1年間における彼らのオンライン演劇としてのクオリティの進化を体感して非常に驚きました。
例えば、第1回本公演の「門外不出モラトリアム」では、オンライン演劇を観ながら同じ視聴者とリアルタイムで感想を言い合えるようなチャットが用意されており、ただ動画を観るというものではなくリアルタイムの作品を体感しているような環境が用意されていました。さらに第2回本公演の「むこうのくに」では、オンライン上に広がるユートピアを舞台として、視聴者もまるでその世界に存在しているかのような没入感を与える演出がとても印象的でした。そして2020年年末に開幕した第3回本公演の「それでも笑えれば」では、視聴者にストーリー進行を選択させる「選択式演劇」ということで、視聴者が選択した内容に合わせてストーリーの進行が毎公演毎に変わっていくいう全く新しいスタイルの作品を生み出しました。これによって、視聴者もこのオンライン演劇に参加しているんだという感覚が生まれて、普段動画で作品を視聴するのとは全く異なる映像体験を味わうことが出来ました。この時視聴者に選ばせる選択がお笑いコンビを解散させるか、させないかみたいな重い選択であることが多いのも凄く心を揺さぶられるポイントでした。
これらは物凄く新しいチャレンジングな取り組みで非常に素晴らしいものであったと共に、ビジネスとして成功させる上手さも非常に感じています。まずは、緊急事態宣言下で無料でzoomを使ったショートストーリーのような作品をYouTubeにアップし、オンライン演劇の面白さを多くの人に根付かせました。それを踏まえて、第1回本公演「門外不出モラトリアム」では、HKT48の田島芽瑠さんをキャストとして招いて演劇好きだけでなく、アイドルファンもオンライン演劇に引き入れたことも凄くマーケティングの上手さを感じています。そして、第2回公演が終了すると劇団ノーミーツのスタッフを多く募集して会社を立ち上げ、全国学生オンライン演劇祭を主催するまでの組織になりました。劇団ノーミーツの1年間での飛躍ぶりはとんでもないと思います。あるIT起業家が劇団ノーミーツが2020年においてもっとも経済を動かした演劇集団とおっしゃっていましたが、全くその通りだと思っています。


オンライン演劇を実施した団体は劇団ノーミーツだけではありません。悪い芝居という劇団の主宰を務めている山崎彬さんが実施されている「泊まれる演劇」もそのオンライン演劇の一つだと思っています。「泊まれる演劇」は私自身は鑑賞したことはありませんが、Twitterなどの評判を見ている限り非常に高評価な作品です。
「泊まれる演劇」とは公式HPに、

HOTEL SHE,の『ホテルはメディアである』という理念の元、泊まれる演劇では革新的な宿泊体験を提供します。
脚本家、アクター、音楽家、デザイナーなど
様々な分野のクリエイターと集合と解散を繰り返し、
常に実験的な演目制作を行います。


とあります。別にホテルに宿泊して観劇するわけではなくオンライン演劇の一種で、役者がホテルのような場所に宿泊しているという体で、それぞれ別々の部屋に分かれていて、オンライン越しに視聴者が好きなルームに遊びに行ってオンライン演劇を楽しむという作品になっています。ですので、どのルームで視聴するかによって作品の見え方が違ってきたり、インプロ(即興劇)要素も非常に強くてオンラインチャットで役者と自由にコミュニケーションを取ることも出来るというオンライン演劇になります。
この「泊まれる演劇」は劇団ノーミーツとはまた一味違うオンライン演劇となっていて、どのルームに移動するかによって違うシチュエーションを楽しめる普通の映像作品では楽しめない面白さと、役者と交流できるリアルタイム的要素としての面白さを大分に孕んでいます。


この劇団ノーミーツや「泊まれる演劇」といったオンライン演劇に共通する特徴としては、どちらもPCやスマートフォンといった画面上でどこでも楽しめるという点と、ただの映像作品という訳ではなくリアルタイム性を意識した全く新しい作品ジャンルであるということです。このような新たなエンターテインメントのジャンルが登場したというのも、このコロナ禍による活動自粛の影響が物凄く大きいと思うのですが、ここまで演劇業界に大きな風が吹き始めた1年は今までなかったことでしょう。
そして、これは私が劇団ノーミーツの作品や「泊まれる演劇」といったオンライン演劇に対して感じる所感なのですが、こういったオンライン演劇のような作品ジャンルは従来の演劇とは全く異なるジャンルであると思っています。ここには、オンライン演劇はそもそも演劇なのかという問題提起と絡んでくる話だと思っていますが、これは「演劇」というものをその人がどう捉えるかという話であるだけだと思っていて、その人が演劇と捉えるなら演劇であるし、その人が演劇でないと捉えるなら演劇でないと思っています。言葉の定義は時代によって変化するものだと思うので、そこを敢えてオンライン演劇は演劇なのかそうでないかを議論したところで結局結論は出ないと思うし、結論が仮に出たとしてもそこから何か新しいことが分かる訳ではないのであまり意味のない論争だと思っています。
ただ私がここの場を借りて主張したいと思っていることは、オンライン演劇が従来の演劇を淘汰することはないと思うことです。レコードとCD、ガラケーとスマートフォンのように新しく出現したモノがそれまで使われてきたモノを全て内包するような存在であった場合淘汰されることは起き得ると思っていますが、オンライン演劇の魅力が舞台で行われる生の演劇の面白さを全て内包しているかというと全くそのように思っていません。生の舞台には生の舞台でしか味わうことのできない感動と興奮があります。あの小劇場ならではの、客席まで包み込むようななんとも形容し難い雰囲気、ミュージカルによって放出される役者たちのリアルな歌声と声量、そしてあの熱気は決してオンラインで体感することは出来ません。だからこそリアルの舞台での演劇は今の時代まで残ってきたんだと思うし、これからオンライン演劇が登場しても淘汰されることはないんだと思っています。




【オンライン演劇・演劇動画配信の展望】

ここからは、オンライン演劇と演劇の動画配信の展望について触れていきます。
まず、劇団ノーミーツや泊まれる演劇に関しては興行的に成功しつつあると思っているので、この2021年以降はどう化けられるかということが課題になってくるかと個人的には思っています。ここで重要なのは、下手するとNetflixといった動画配信サービスと競合してしまうことです。オンライン演劇に求められることは、単なる動画配信では楽しめないような要素を含んだコンテンツとして売り出すことです。例えば、劇団ノーミーツだったら視聴者の選択によってストーリーが変化するだったりだとか、千秋楽だけ選択する箇所が増えたりオリジナルのエンディングが用意されているみたいなイベント性が非常に重要になってくるんだと思います。「泊まれる演劇」だったら、役者とリアルタイムでコミュニケーションが取れる楽しさだったり、どのルームを覗いてみるかによってストーリーの見え方が違ってくる面白さが非常に重要になってくるんだと思います。これらの要素は、まだNetflixに代表されるような動画配信サービスがなかなか実現出来ないエンターテインメント性だと思うので。そういったオンライン演劇ならではの面白さを上手く引き出したコンテンツ作成が出来るかどうかが命運の分かれ目になってくると思います。私自身は、このオンライン演劇に対する期待は凄く大きいです。

次に演劇の動画配信なのですが、残念ながらこちらは現状のままだと凄く厳しいというのが個人的な感想です。理由は先ほども申し上げた通り、Netflixに代表される動画配信サービスとがっつり競合してしまうからです。Netflixのベーシックプランは豊富なコンテンツを月額800円程度で見放題に対して、基本的な演劇の動画配信のアーカイブ映像の料金は2000円以上するものが多いです。価格面においては圧倒的に演劇の動画配信は不利な状況です。同じ映像作品に対して2000円以上も払って鑑賞するユーザーはそう多くないと思います(これがオンライン演劇なら話は別なのですが)。2020年、私も複数の演劇を動画配信でチケットを購入して鑑賞する機会がありましたが凄く割高であると感じました。これだったら観たいものを我慢してNetflixのような動画配信を観た方が良いと思ってしまうと思います。

ではどうしたら良いか、私はまず強力な演劇配信のプラットフォームは必須だと思っています。そのプラットフォームがもう少し低価格で様々な劇団がリアルタイムで上演している公演の動画配信を行う環境を整えるというのが最初のステップかと思います。テレビの演劇版みたいなイメージでしょうか。本多劇場チャンネル、東京芸術劇場チャンネル、KAATチャンネルみたいなものがあって、チャンネルを回せば各劇場で上演されている演劇の配信が観られるというシステムです。さらに、過去上演された舞台作品の映像も豊富に揃っていてアーカイブでいつでも観られる状況も必要だと思います。もちろんそのプラットフォームを利用するのに月額料金はかかると思いますが、現状の各劇団が各々配信チケットを数千円で売っている状況よりは良いと思いますし、現状だとなかなか初めて観劇したいというユーザーに演劇配信はハードルが高すぎると思っています。
さらに、Netflixなどの動画配信サービスと競合する所だと思うので、そこと差別化をするということになるとVRなどを使ったオンラインなのに生で舞台作品を観劇しているかのような体験を付与するみたいな所も重要かと思います。5Gが普及するにつれてVRやARの応用領域も広がっていくと思うので、これから先の世の中においてそういった試みは非常に大事になるのではないかと思っています。
こういった演劇配信のプラットフォームとして一番近い存在は、やはり観劇三昧でしょうか。小劇場演劇の演劇配信のコンテンツ量としては圧倒的に観劇三昧に軍配が上がると思っています。観劇三昧には演劇配信アプリとしての使いやすさや価格設定に関してもっと頑張って頂けるとよいのかなとも思っています。また、劇団ノーミーツがオンライン演劇によって稼いだ資金を使って演劇配信プラットフォームを作成するという流れもあるのかなと思っています。映像技術に対する知見や圧倒的なUI/UXデザインのクオリティの高さは劇団ノーミーツに軍配が上がると思っています。小劇場演劇の団体とのコネクションを作って頂いてコンテンツを沢山用意できる環境を整えるという点が劇団ノーミーツの課題となるのかもしれません。
観劇三昧や劇団ノーミーツ以外にも、演劇配信を手掛けるサービスやVR演劇にフォーカスする団体は増えてきております。どの企業、団体が日本最大級の演劇配信のプラットフォームを構築するのか非常に楽しみです。私の活動自身はそこに手を出すつもりは今のところないので、状況をじっくり追っていきたいと思っています。



【演劇関係者の意識変化が一番の革命】

コロナ禍が訪れる以前、演劇業界では演劇は生で観るものであり映像で観るものではないという考え方が主流でした。野田さんも、劇場の閉鎖は演劇の「死」を意味するといった内容の意見書を書いていました。演劇は、基本的に劇場で生で作品を観ることによって成り立つものだと。
観劇三昧という舞台作品の映像配信サービスを創設した福井学さんは、この観劇三昧を立ち上げる2013年当初「舞台を配信で観ることに意味はない」と多くの劇団に拒絶された経験を綴っています。それくらい舞台作品の映像配信は身近なものではなかったし、演劇業界の人々にとって価値のあるものだと思われていませんでした。
ところがコロナ禍によって、劇場のようなオフラインの環境で舞台作品を上演出来なくなった環境下において、演劇を配信で多くの人々に観てもらうことに対する重要性は非常に増しました。もちろん、舞台作品なので映像による観劇体験は生の観劇体験に勝ることはないと思っています。しかし、舞台映像によって多くの人に作品だけでも鑑賞してもらえることの重要性は、演劇に携わる多くの人々がコロナ禍を通じて感じたことなのではないでしょうか。


この演劇関係者の意識変化は、実はオンライン演劇が誕生したこと以上に革命的な出来事だったのではないかと思っています。なぜなら、この意識変化が起きたということは、演劇作品がより映像として残される確率も高くなった訳ですし、映像作品として保存されるようになったことで多くの人々に観てもらうきっかけも生まれるんじゃないかと思っています。
どの劇団も、より映像を使って演劇を多くの人に観てもらうためにはどうしたらいいか、どうやって配信をしていったらよいかという部分へ思考がシフトしていった気がしています。こういった流れが作れてしまえば、後はテクノロジー的な部分の問題だけだと思うので、演劇配信のプラットフォームの実現は比較的容易になったんじゃないかと思っています。
今回のこの意識変化は、この2021年以降の演劇業界において物凄く重要な革命であったことが後々分かってくることだと思います。




【Netflixの弱点は何か】

上で触れてきたオンライン演劇や演劇の映像配信は、下手をすればNetflixやAmazonプライム・ビデオに代表されるようなネット動画配信サービスと競合することになります。ネット動画配信サービスは料金もお手頃な上にコンテンツ量も豊富、そしてインターネットさえあればいつでもどこでも視聴可能です。インターネット時代において非常に強力なエンターテインメントプラットフォームだと思っています。
これらNetflixに対して、演劇配信やオンライン演劇がまともに戦いを仕掛けるようなことをすれば、到底勝ち目はありません。したがって、正当に勝負を仕掛けるのではなくNetflixが出来ないようなことに価値を置くことによって、エンターテインメントとしてのシェアを確保していく他はありません。その一つとして、先ほども触れたようなオンライン演劇ならではの面白さだったり、演劇配信ならではの面白さが重要になってきます。繰り返しになりますが、例えばオンライン演劇だったら「選択式演劇」にしてストーリー展開を視聴者に委ねてみたり、インプロ的な要素を取り入れて役者と視聴者がチャットでコミュニケーションを取れるような環境を用意することであったり、演劇配信だったらVRやARを活用して生の舞台作品を観劇しているかのような錯覚を起こすような体験が重要になってくると思います。

しかし、Netflixの弱点というのは他にもあると私は思っています。
NewsPicksの「大友監督、若手プロデューサーと「コロナ後の映画」を語る」という動画で取り上げられていたことは、Netflixには潤沢な資金があってコンテンツ製作にその資金を十分注ぎ込むことは出来るが、トップダウン型の作品しか製作することは出来ず結果的に作品としての多様性(バリエーション)が乏しくなってしまうと語られていました。個人的な解釈ですが、資金を豊富に使って作られるコンテンツは、どうしても豪華なキャストを揃えなければいけなかったり、CG技術や演出にお金をかけることは出来るが同時に失敗が許されないので冒険が出来ない、故に作品として広がりのないものばかりになってしまうということなのではないかと思っています。作品が豪華であることが面白さに直結する訳ではないし、有名な俳優が出演しているからといって作品がより面白くなる訳ではないですよね。
例えば「カメラを止めるな」という映画が2018年に大ヒットしましたが、あの映画には有名なキャストはほとんど出演しておらず、そして低予算の中で製作されました。ですが、興行収入的にも大ヒットしました。おそらくこういった類のコンテンツはNetflixには製作出来ないのではないかと思っています。


また、これはNetflixだけではなくテレビドラマにも言えることなのですが、著名な脚本家だとどうしても書く脚本の内容が偏っている気がして、例えば弁護士ものだったり刑事ものだったり、医療系ものだったりと昔から変わっていない気がして、これに関しても先ほどの動画で議論の俎上に載せられています。というのは、脚本家が若い頃から脚本家になりたいんだとそれにまつわる体験しかしてこなかった結果、脚本としてのバリエーションが狭くなっているんだと思います。脚本家のバックグラウンドはもっと多様的であって良いはずなのです。社会人経験を積んだ人が脚本を書き上げた方が、社会をよく知っている分一般の視聴者の立場に近いリアリティのある作品が書けるのかもしれません。

こういった、低予算で無名キャストを上手く使った作品だったり、バリエーションの富んだリアリティに近い作品というものは、Netflixやテレビドラマではなく演劇から生まれやすいのかもしれません。そういったNetflixに出来ないようなコンテンツを作っていくことが出来たら、演劇というものはコンテンツの質という観点においても、上手く差別化を図ることが可能なんじゃないかと思っています。



【生きて変化を見届けよう】

ここまで、2020年のコロナ禍によって振り回されてきたエンターテインメントの変革について、特に演劇業界にフォーカスしながら振り返ってきました。私は、本当にこのエンターテインメント業界は面白い時代に突入したと思っています。今から5年後、10年後には大きく変革を遂げて今の私たちには想像も出来ないようなサービスや企業が躍進していることがあり得ると思っています。
Netflixが更にユーザー数を獲得していって、多くのエンターテインメント業界の産業を淘汰してしまうのか、それともNetflixのユーザー数が伸び悩んで他のサービスが躍進してくるのか、そこに演劇は絡んでくるのか非常に楽しみです。

しかしそういった5年先、10年先の変革を楽しむためにはそれまでしっかりと生きていないと見届けることは出来ません。2020年は特にエンターテインメント業界に携わる方の自殺が後を立ちませんでした。2021年も昨年同様、未来の見えない状況が続くと思います。不安になることや生きていくことが苦しくなることは沢山あると思います。しかし、死んでしまったらいくらその後に楽しい人生が待ち構えていようともそこでおしまいです。ホリエモンさんのYouTube動画で、テラスハウスに出演していた木村花さんが自殺した際にアップしていた内容に、自殺を考えて取りやめた人の10割がそこで自殺しないで良かったと答えていたのだと言います。生き続けていれば、生きる喜びを感じられるその時がきっとくるはずです。
だから、どんな辛い状況になろうとも生きて生きて生き続けて、そしてこれから世界がどうなっていくのか、エンターテインメントがどうなっていくのかを見届けましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?