記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

舞台 「空夢」 観劇レビュー 2024/05/05


写真引用元:劇団papercraft 公式X(旧Twitter)


写真引用元:劇団papercraft 公式X(旧Twitter)


写真引用元:劇団papercraft 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「空夢」
劇場:すみだパークシアター倉
劇団・企画:劇団papercraft
作・演出:海路
出演:小栗基裕、坂ノ上茜、前田悠雅、入手杏奈、佐々木修二、朝田淳弥、村上航
公演期間:4/26〜5/6(東京)
上演時間:約1時間35分(途中休憩なし)
作品キーワード:不条理劇、シリアス、舞台美術、会話劇、難解
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆



昨年(2023年)の第29回劇作家協会若手新人戯曲賞を受賞した海路さんが主宰する「劇団papercraft」の新作公演を観劇。
「劇団papercraft」の公演は2022年2月に上演された『殻』、2022年10月に上演された『世界が朝を知ろうとも』に続き3度目の観劇となる。

今作の『空夢(そらゆめ)』は、同級生たちが暮らす街を描く不条理演劇である。
物語は、とある家族に雇われる家政夫が家族に向けてある事件について語り始める所から始まる。
裕福な父(村上航)と裕福な母(入手杏奈)、裕福な姉(前田悠雅)、裕福な弟(朝田淳弥)の4人で食事をしている。
その食事は最近雇われたばかりの家政夫(佐々木修二)が作ったもので非常にまずそうに食べている。
正直にまずいということを家族たちは家政夫本人に言うべきか話し合っている。
そこへ家政夫がやってくる。
家族たちは誰も正直に食事がまずいということは口にしなかった。
家政夫は家族たちに食事がまずいと言われず一安心すると、最近海辺で発見された女性の話をしようとする。
その女性(坂ノ上茜)は、どうやら同級生が暮らす街に住んでいて婚約者であった男性(小栗基裕)と一緒に暮らしていたのだが、同級生が一人多いから同級生調査団として婚約者が同級生かどうかを調査して欲しいと依頼されるが...というもの。

脚本は、同級生が暮らす街に住んでいたと語る女性の話という摩訶不思議な設定で、一体どんな所から着想を得てこんな物語を思いついたんだと不思議になるくらい不条理性の強い演劇だった。
ただ、今作で描こうとしているのは突飛な設定ではあるものの、共同体の話であり、マイノリティを排斥しようとする話であり、どこか「劇団papercraft」の過去作の『殻』とも通じるメッセージ性と世界観があった。
非常に海路さんらしいテイストで印象に残って癖になる作風なのだが、過去作の『殻』と比較してしまうと私は『殻』の方が不条理演劇としてよく出来ていたかなという印象を感じた。
『殻』の方がメタファーとして描かれるものに意味を見出しやすかったからかもしれない。
今作は、同級生の街に暮らす婚約した男女という不条理の世界観までは良いのだが、それを裕福な家族に家政夫が聞かせるという構造を取った理由はなんなのか、全く意味が見出せなかったからかもしれない。
そこに新たな意味をふんわりとでも見出せたら、個人的な満足度は上がったかもしれない。

今作を解釈する上で一番ポイントとなるのが、「同級生」が何のメタファーを指し示すのかということ。
「同級生」には先生という指導者がいてそのコミュニティを統括する存在がいる。
それはまるで、先生によって「同級生」が均一的に支配されるシステム化された社会構造のようにも感じられた。「同級生」は一人多くても少なくてもいけないという厳格なルールによってシステマチックに統制され拘束される様が、私たちの日常が組織によって縛られている不条理性とも通じるのかなと解釈した。
「同級生」の対比として感受性が豊かな存在として人間が登場することからも、「同級生」が感情を持たない組織に従順な存在でもあると位置付けられた。

舞台セットは、まるでデパートの一画にあるキッズたちの遊び場のような、赤、青、黄、緑とカラフルな柵が設けられて、中におままごとセットのような舞台装置や、椅子、机が置かれていた。
そして舞台音響も「線路は続くよどこまでも」が流れたり、舞台照明もチェイスライトのように色々な所がカラフルに光ったり消えたりするポップな演出だった。
脚本が不気味な不条理演劇なので、その内容とのギャップにひたすら良い意味で不快感を感じられる世界観が素晴らしかった。

役者も年齢層が若めの実力俳優がキャスティングされて見応えがあった。
小栗基裕さん演じる男性と坂ノ上茜さん演じる女性の若いカップルを演じる姿が、リアリティあるカップルでエモーショナルな感情にさせられた。
そういうエモい描写があるからこそ、その中を引き裂こうとする先生の存在が不条理的で恐ろしく感じるのかもしれない。
ストーリーも台詞も突飛過ぎるので、役者の方もどんな感情で役作りすれば良いか難しい気がしていて、演じ切っていた7人の役者全員素晴らしいと感じた。

まだ20代前半なのに若手新人戯曲賞を受賞するなど早くも頭角を表している不条理劇作家だと思うので、劇団の飛躍と共にこれからの活躍が楽しみである。
5月25日からLIVESHIPにて配信視聴も出来るので、ぜひ多くの人にこの摩訶不思議な不条理演劇の世界を堪能頂きたい。

写真引用元:ステージナタリー 劇団papercraft 第10回公演「空夢」より。


↓ティザー映像




【鑑賞動機】

「劇団papercraft」の海路さんの作品は、2022年2月に上演された舞台『殻』で虜になった。そこから、2022年10月に上演された『世界が朝を知ろうとも』も観劇した(noteの観劇レビューは残っていない)。そこから1年半ほど離れていたが、『檸檬』で第29回劇作家協会若手新人戯曲賞を受賞したのと、海路さんがアミューズに所属になって、いよいよ知名度が上がってきたタイミングだったので、キャストも豪華だし今回の新作公演を観劇しようと思った。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

裕福な父(村上航)と裕福な母(入手杏奈)、裕福な姉(前田悠雅)、裕福な弟(朝田淳弥)が食卓に座って食事をしている。しかし裕福な家族たちは口々に今食べている食事がまずいと言っている。それはどうやら、2日前に新しく来た家政夫が作った料理のようである。誰か直接家政夫に食事がまずいと言おうか話し合っている。ここは父や母が言うより子供が言った方が良いのではとか話している。
そこへ、家政夫(佐々木修二)がやってくる。家政夫は自分が作った食事がまずくないか裕福な家族たちに確認したが、裕福な家族たちは誰も本音を言わずまずかったと言わなかったので、家政夫は安心する。
家政夫も食卓に座り、一つの事件について語り始める。それは、最近この近くの海辺で子連れで倒れていた女性の話だった。その女性は自分を人間ではないと主張しており、その女性が今までいた「同級生」の街について語り始める。

暗転して、カラフルな照明と共に「線路はつづくよどこまでも」が流れる。
男1(小栗基裕)と女1(坂ノ上茜)がやってきて、二人でベッドの上に座る。女1はどうやら男1とセックスをしたいらしいが、男1はセックスに乗り気ではなさそうである。もう今月で4回目になってしまうからと。二人の会話から二人は婚約していて同棲をしている様子である。
場転して、女1は外で女3(入手杏奈)と出会う。女1は婚約中の男性がいることを話し、女3は既に結婚して子供がいることを話す。女1も女3も同じ「同級生」らしく今度同窓会があることも話している。
そこへ、女2(前田悠雅)が辺りを偵察にやってくる。そして、「同級生」が一人多いと騒ぎ始める。女2は女1を呼び止め、一緒に同棲している婚約者が果たして本当に「同級生」なのか同級生調査団として調査して欲しい
と依頼する。

男1と女1は二人で海辺でいちゃついている。抱きしめ合ったりして、お互いキスするのかと思いきや男1はキスはしてこないでギュッと抱きしめる。女1はキスするのかと期待していたのにガッカリする。
二人は家に帰る。夜ベッドの上で男1と女1は語り合う。男1は睡眠時間が6時間だと言うと、女1はそれでは「同級生」ではなくなっちゃうと否定し、速やかに寝ることにする。
男1が寝た後、女1は一人で舞台セットの一つのボックスを開けて電話の受話器を取り出す。そして誰かに向けて男1は「同級生」であり、怪しい存在ではないと告げる。

翌日、女2の前に女1がいる。女2は再度念を押して男1は本当に「同級生」なのねと女1に確認する。女1は間違いないと言うので、女2は先生にそうやって報告しておくと言い、受話器を取り出して先生である男4(村上航)に報告する。
女1は男3と会う。男3は芸術家のようである。「同級生」とは対照的に人間には感受性があるということを話す。自分のアトリエがあるらしく、後で女1をアトリエに案内すると約束する。

いよいよ同窓会が開かれる。先生は盃を持って「同級生」である女1、女2、女3、男1、男3の前にいる。男2(佐々木修二)だけこの同窓会にいない。
先生は同窓会を始める前に挨拶をする。これから同窓会を始めるが、残念ながらこの中に「同級生」でない人間が一人混ざっていると。その「同級生」でない奴を見つけ出して始末しないといけないと。先生は、「同級生」でない奴は名乗り出ろと言うと、子持ちの女3が自分は「同級生」でないと名乗り出る。
先生は、女3の自首を真に受けて処罰をするように命じる。女3は、やっぱり「同級生」であると抵抗するが「かごめかごめ」で「同級生」みんなで女3を包囲して締め殺してしまう。
その時、男2がやってきて「同級生」でない奴を検知する人間発見機を持ってやってくる。しかし、もう手遅れだった。
その間、女1が女3を絞め殺す時に男3が人間賛美主義者だと主張していた。

場転して、同窓会が終了した後の話。
先生と女2が二人で話している。二人とも同窓会で誰を殺してしまったのか、そもそも本当に殺してしまったのかさえ分からなくなって笑っている。
その様子を女1と男1は見ながら、物凄い罪悪感に襲われている。
女1は、芸術家である男3から自分のアトリエに案内してもらう。その時、そのアトリエに女2がやってきて、男3を捕まえてピストルを突きつける。男3は悲鳴をあげる。女2は、女1が同窓会の時に男3のことを人間賛美主義だと言ったため、男3を始末するのだと言う。男3は女1にふざけるな、なぜそんなことを言ったのかと怒鳴っている。そのまま男3は女2に撃たれて死ぬ。
その時、人間発見機が男1の目の前で作動して鳴っていた。

音楽と共に暗転する。
以上が家政夫が話した海辺で倒れていた女性が語る話だと言う。裕福な家族はみんな飽きてしまって話が長かったと疲れた様子である。裕福な母に関しては途中で席を外して、まだ話していたの?という感じだった。裕福な家族たちは、この女性が語る話を誰も信じていなかった。
しかし家政夫は、この話にはまだ続きがあると言い出す。まだあるのかと裕福な家族たちは飽き飽きする。どうやらこの海辺で倒れていた女性は、人間でなく「同級生」なのだと言い張るが、念の為彼女のDNAを調べてみた所、22年前に行方不明になった少女だと発覚したそうである。
裕福な家族たちは、やっぱり人間だったんじゃんと笑っているが、家政夫はいやいや、22年間も行方不明のままどうして生き続けることが出来たのだろうかと語るのである。だから、もしかして嘘や作り話ではないんじゃないかと。
そのまま徐々に砂嵐の音のようなさざ波の音のようなノイズが大きくなって暗転して上演は終了する。

ずっと変な夢を見ているようなそんな気分で観劇していた。舞台照明もずっと薄暗くて、ステージ上の光景全てが悪夢のようだった。
今作は、家政夫が海辺で倒れていた女性が話した内容が不条理劇で、それを裕福な家族が聞いているという構造だった。どうしてそういった構造に敢えてしたのかはよく分からなかった。この摩訶不思議な不条理の世界は、実際ありえなそうでもしかしたら現実世界にあるのかもと言うことで信ぴょう性を上げたかったのだろうか。そちらに関しては考察パートで深く触れる。
「同級生」の街の物語で設定が訳わからないが、不思議とずっと食い入るように観てしまう中毒性があった。それは、あまりにも予想もつかないストーリー展開というのと、役者の演技が見事であるのと、ずっと恐怖のシーンの連続だからなのかもしれないと感じた。あとは物語の見せ方は上手いと感じた。
それぞれ「同級生」やアトリエ、同窓会などが何のメタファーなのかは考察パートで触れる。

写真引用元:ステージナタリー 劇団papercraft 第10回公演「空夢」より。


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

脚本は難解な不条理演劇であり、非常に恐怖する内容であるにも関わらず、舞台美術は非常に不気味なほどポップで印象に残る。場所は全然違うけれど、無人の真夜中の遊園地に来てしまったような虚しさと恐ろしさがあった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
すみだパークシアター倉はステージと客席に隔たりはなく、客席がある床面がそのままステージとなっている。そのステージに、正方形を描くようにカラフルな立方体のボックスが並べられている。赤、青、黄色、緑と蛍光色で非常にカラフルである。そのうちの一部のボックスは、箱のように蓋を開けると中が空洞になっていて、そこに先生と通信出来る受話器が入れられているボックスもある。
その正方形で囲われた中に、まるでキッズの遊び場のように、赤、青、黄色、緑のカラフルなマットが敷かれている。正方形の形をしていてそれを敷き詰めたような床面になっている。
その正方形で囲われた中には、同じくカラフルな台所や食卓、ベッド、椅子などが配置されていた。カラフルな台所は上手奥側に置かれている。ベッドは上手手前側に置かれていて、小栗さん演じる男1と坂ノ上さん演じる女1がそのベッドでよくイチャついていた。下手側手前には、食卓と椅子が4つほど置かれていて、裕福な家族がそこで序盤に食事をしていた。下手奥には、この四角く囲われたステージの入り口と思しき玄関の枠だけ取り付けられていた。
また、天井にはまるで絵本の世界のように、作り物の三日月と太陽と雲が吊り下げられていた。まるでこの舞台セットそのものが、どこかの絵本の世界のようでもあった。
舞台装置だけ見ると非常に可愛らしいものなのだが、ここに不気味な不条理劇の脚本と照明と音響が組み合わさることで、その可愛らしさが恐ろしいものに見えてくるから凄い世界観だなと思った。

次に舞台照明について。
全体的に舞台照明は薄暗く、不気味に白くぼんやりとステージ全体を照らす感じが、非常に不気味で世界観にハマっていた。観客はまるで悪夢でも見ているかのような感覚に陥る。
「線路はつづくよどこまでも」の音楽と共に、チェイスライトのようにカラフルな照明が至る所で明滅する演出が、恐ろしくポップで良い意味で不快感を与えた。
また、ベッドに当たるまるで月の光のような白いスポットも美しかった。
あとは、アトリエのシーンで食卓の上に蛍光灯が降りてきて吊り下げらているのも美しかった。アトリエというよりはちょっと神秘的な感じがあった。

次に舞台音響について。
なんと言ってもゲームセンターのおもちゃでありそうな「線路はつづくよどこまでも」の音楽が耳に残る。その音楽に合わせて、役者たちが縄を使って汽車ポッポごっこをするのが非常に不気味で滑稽だった。
その「線路はつづくよどこまでも」が終盤のシーンで不協和音になって流れる演出がある。不快なシーンからのその演出だったので、さらに不快感を与える感じが「劇団papercraft」っぽくて好きだった。
あとは効果音も不快なものが多かった。心理的に不快な感じのものが。居ても立ってもいられなくなるほどでもないが、そのちょうど良い塩梅が良かった。たとえば、ラストの家政夫が、見つかった女性が22年前に行方不明になった少女だったというところから、徐々にさざ波のようなノイズのような音が大きくなる感じとかは本当に怖い効果音で効果的だった。ノイズのようなさざ波のような効果音という音源も良かった。
あとはピストルの音は普通に恐怖を煽るので怖かった。

最後にその他演出について。
「劇団papercraft」の舞台では、結構象徴的にロープが登場するのだが、そこには海路さん的に何か意図があるのだろうか。以前観劇した『殻』でもロープが登場して、自分のテリトリを表現していた気がした。今作でも、「線路はつづくよどこまでも」で汽車ポッポを複数人でするのに使われるし、物語序盤で象徴的に天井からロープが落下してくる。また、女2が受話器で先生と通信する時にもロープが繋がっていた。共同体のラインを表すなど自由自在に使われるロープだが、今作では色んな意味合いで使用されていて面白かった。
海路さんの演出は、よく「劇団た組」の加藤拓也さんと似たテイストだと比較されることがある。今作を観劇して、加藤さんの作品はここまで不条理性が強くないので違いはあるのだが、若い世代の恋愛価値観やモダンで冷たい演出タッチなどは似ているかもしれない。加藤さんにせよ海路さんにせよ、全体的に舞台空間に冷たさがあって、それはモダンな現代社会からくる冷たさに近いものを感じる。そして、男性と女性の会話劇を扱う時は凄くリアリティがあってエモいから観ていられる。ベタではなく、悟り世代と言われる若者の諦念がそこには反映されているように思う。

写真引用元:ステージナタリー 劇団papercraft 第10回公演「空夢」より。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

20代の若手の俳優が多かったが、皆演技力が高くて素晴らしかった。この難解で不条理な世界観をずっと観られていたのは、ひとえに役者さんたちの演技力の高さもあると思う。また、どういう感情を持って望めば良いか分からない脚本を、あのテンションでよく演じられるなと驚きだった。
特に印象に残った俳優について記載する。

まずは、主人公の男1を演じた「s**t kingz(シットキングス)」の小栗基裕さん。小栗さんの演技を拝見するのは初めて。
空虚な感じの男性をナチュラルに演じるのが凄く上手かった。相手役の坂ノ上茜さん演じる女1がグイグイと迫ってくるのを軽やかに感情的にならずに交わすクールさが印象に残った。
終始クールな役だったので、別の作品でまた違った演技を見てみたいものだなと思った。

次に、女1を演じた坂ノ上茜さん。坂ノ上さんの演技を観るのは初めて。
坂ノ上さんは、小栗さん演じる男1のことが好きでずっとイチャイチャしている姿にグッときた。そこにはラブストーリーを観ているかのような感覚を与えてくれる。ナチュラルに好きな男性に甘える演技をする感じが非常に上手かった。
物語序盤は、そんな感じで恋する女性といった印象なのだが、徐々に話が進んでいくと同級生調査団として彼氏を調査する側に回るが、彼を愛しているあまり彼を人間だと告発することは出来ないだろう。そして、次々と怖いことが起きて恐怖する感じの演技も上手かった。

女2を演じた「劇団4ドル50セント」の前田悠雅さんも非常に素晴らしい演技だった。
女2は、常に先生に従順で一番感情を持たず機械的に行動をする「同級生」である。先生の指示の元、「同級生」でない存在を見つけ出そうと躍起になったり、同窓会のシーンで先生の太鼓持ちのような存在は彼女だった。
だからこそ一番恐怖を感じられる演技だった。女3を懲らしめたり、芸術家の男3を捕まえて撃ち殺そうとする狂いっぷりも怖かったが、そうでなくにこやかに演技をしているシーンも終始怖く感じられた。それは、前田さんの演技が上手かったからかもしれない。
一番今作の中で難しい配役だと思っていて、そこを見事にこなせる演技力の高さは素晴らしかった。

先生である男4の役を演じた「猫のホテル」の村上航さんも素晴らしかった。
村上さんは、少し斎藤洋介さんみたいな演技をされる役者だなと思った。ちょっとネッチョリとした甘ったるい感じの喋り方が特徴的で、それがボスとしてハマっていた。
この「同級生」の街を司る先生は、そういう能力の高くないけれどトップに君臨するような麻呂のような存在なのだろうか。そんなことを感じた。

写真引用元:ステージナタリー 劇団papercraft 第10回公演「空夢」より。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、今作の脚本について自分なりに考察していくことにする。

冒頭でも記載した通り、今作は過去作の『殻』と近いメッセージ性があると感じ、共同体やシステム化された社会、そこから逸脱するマイノリティの物語だと感じた。
同級生たちが一つのクラスをなして先生の元で生活をする学校を、一つの組織化された社会と位置付けて、先生と同級生を主従関係と見立てて話を展開していた。
同級生とは、この脚本の世界だと人間ではなく、人間はもっと同級生よりも感受性豊かな存在として描いている。同級生たちは感情がないからこそ、人を殺してしまっても覚えていなかったり(女3を同窓会で殺した後の先生と女2の会話)、月に3回までしかセックス出来ないといったルールがあるのだと思う。
確か劇中の台詞で、睡眠時間が6時間だと8時間に達していないので人間じゃんみたいなやり取りがあったような記憶だが、この世界の同級生は規則正しい生活スタイルを送っているというのも人間でない同級生の特徴の一つなのかなと思った。

同級生たちは、一人多い同級生でない存在をずっと探していた。では一体誰が同級生だったのだろうか。
今作を全て観終わった後だと、おそらく紛れ込んでいた同級生でない人間というのは、女1だったのだろうと思う。女1は22年前に行方不明になって同級生の街にやってきた。しかし、同級生でなく人間だということが分かってしまうと殺されてしまうから自分は人間でないと、自分自身に言い聞かせて本当に人間でないと思い込んでいたのかなと思った。
しかし、女1が人間のように劇中振る舞っているのは明白だった。男1と何度もセックスしようとしたり、芸術家の男3について行ってアトリエに行ったりするあたりからも、感受性を持っているような行動をしている。
また、殺されたくないが故に自分を人間でなく同級生だと言い張るあたりも、むしろ人間だからこそそう思うのかなと解釈した。また、愛していた男1を大した調査もせずに人間でなく同級生だと報告するのも、男1が殺されてほしくないからであろう。

では、この同級生の住む街や、一人多い同級生を探し出して殺すといったシナリオは、不条理劇においてどんな意味を表すのだろうか。不条理劇として意味を持つということは、摩訶不思議な世界観だったとしても、そこから何らかの現実世界を感じ取ることが出来るということである。
同級生と先生による街というのは、これはシステム化された今の現実世界の社会そのものに近いと感じられる。ルールに縛られ自分の感性に沿って行動することを禁じられた世界。現実世界はそこまで極端ではないけれど、本能を制して理性を重んじるのは社会の秩序を保つためのマインドであり、それに近しいものを同級生の街でも感じられる。
その厳格なルールを犯すということは、そのシステム化された組織や社会に反することの言い換えである。この同級生の街でいくと、月4回以上セックスをするのような人間らしい行動だと考えらえる。
この作品では、同級生の街という摩訶不思議な世界観によって、システム化されて本能を封じ込めて理性で行動するような社会性を求められる現代社会への風刺とも捉えられるのだと思う。
システム化された社会を風刺的に描くことによって、今作でいう人間のような共同体の外にある存在、いわば現実世界でいうマイノリティを排斥するようなことに繋がっていることへの警鐘だとも考えらえる。これは、「劇団papercraft」の過去作の『殻』でも描かれていて一貫している。

しかし、『殻』と比較して今作して特異的だったのは、同級生の街という不条理な世界観が、物語の中でも夢の中の世界と語られていることである。それは裕福な家族に対して家政夫が、とある女性から聞いた話として語っているからである。
けれど、ここで興味深いのが家政夫は、その夢のような物語があたかも現実の世界のどこかに存在しているような素振りで語る。それは、22年前に行方不明だった少女がいきなり発見されて、そんな同級生の街を語り出したから。これにはどういった意味があるのだろうか。
私は、この最後の家政夫の発言によって、この同級生の街というのが北朝鮮を指していて、見つかった女性というのは北朝鮮に拉致されていたのでは?とよぎってしまった。
この同級生の街を北朝鮮の軍国主義と捉えれば、この作品の不条理性はさらに現実味を増すような気がする。
北朝鮮は他国から人を拉致して、強い強制力で教育して軍事国家を作り上げた。何かルールを犯すようなことをしたら殺されるのかもしれない。そんな北朝鮮と同級生の街が私はリンクした。

この作品のタイトルは『空夢』で、意味は「見もしないのに見たように作り上げて人に話す夢」なので、それをそのまま受け取ってしまうとやっぱり同級生の街なんて存在しないということになってしまうが、きっと本当に「空夢」だったのかと疑いをかけることにこの作品は意味があるように感じた。
たとえ作り話だったとしても、ただの仮想の話ではなく、きっと似たようなことがどこかであった世界の話なんじゃないかと思う。
物語冒頭の、裕福な家族が家政夫の料理がまずいのを言うか言わないかの論争が、果たして本作にどのような意味を持つのか分からなかったが、きっと物語に近いことは自分のそんなに遠くない世界で起きている出来事なのかもしれないと感じた。

写真引用元:ステージナタリー 劇団papercraft 第10回公演「空夢」より。


↓劇団papercraft過去作品


↓前田悠雅さん過去出演作品



↓入手杏奈さん過去出演作品


この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?