記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

舞台 「銀河鉄道の夜」 観劇レビュー 2024/04/28


写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「銀河鉄道の夜」
劇場:こまばアゴラ劇場
劇団・企画:青年団
原作:宮沢賢治
作・演出:平田オリザ
出演:山田遥野、永田莉子、福田倫子、知念史麻、高橋智子(観劇回のキャストのみ記載)
公演期間:4/25〜4/29(東京)
上演時間:約1時間(途中休憩なし)
作品キーワード:子供向け、ファンタジー、死生観、会話劇
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


1990年代の静かな演劇を代表する平田オリザさんが作演出を務める「青年団」の第100回公演を観劇。
平田オリザさんが芸術総監督を務めるこまばアゴラ劇場が、今年(2024年)5月をもって閉館するため、「こまばアゴラ劇場サヨナラ公演」という立て付けで、「青年団」が2011年冬にフランスの子供たちに見せようと創られた宮沢賢治さん原作の『銀河鉄道の夜』が上演されたので観劇することにした。
「青年団」の演劇作品は、平田さんが確立された現代口語演劇の代表作である『東京ノート』(2020年2月)、『ソウル市民』(2023年4月)、『S高原から』(2024年4月)を観劇したことがあり、宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』はどのバージョンであったか覚えていないが小説で原作を読んだことがあり物語は知っていた。
今作は、配役に対して俳優が全く異なる「チーム蠍座」と「チーム白鳥座」に分かれて上演され、私は「チーム白鳥座」の方を観劇した。
尚、私は今作の観劇がこまばアゴラ劇場での最後の観劇となる。

物語は、先生(高橋智子)がジョバンニ(山田遥野)、カムパネルラ(永田莉子)、ザネリ(福田倫子)たち生徒に対して、天の川について授業しているシーンから始まる。
先生は、日本では「天の川」と呼ばれて中国、韓国、アラブの国々と似たように呼ばれているが、西洋では「Milkeyway」と言ってミルクの道と呼ばれるのだと解説する。
しかし、ジョバンニは学校に通うだけでなく、いくつも仕事をしていたり家の手伝いをしていたりなどして疲れて授業中に居眠りをしてしまう。
ジョバンニの父親は北の遠い国に行ったまま帰って来ず、母親は病気で家にいるため、学校に通いながら稼がないといけないのである。
そんなジョバンニをザネリは揶揄うが、カムパネルラはジョバンニに同情するのであった。
ある日ジョバンニは、星祭りだからと夜に家を出る。
ジョバンニは外でそのまま居眠りをして起きると、「銀河ステーション」という声がする。
ジョバンニの目の前には銀河を走る鉄道が止まっていたので乗車する。
すると、カムパネルラも一緒にその鉄道に乗り込んでいて...というもの。

まず舞台空間が澄み渡っていて、観劇中にこんなにも心が洗われるものなのかというくらい清らかな心地になった。
巨大な積み木がステージ上に置かれたような可愛らしい舞台装置、そして映像には天の川や絵本に出てくるようなおもちゃのような町が映し出される。
そこを5人の女性俳優が元気よく無邪気に演技をする。
小さなステージ上を走り回ったり、体をいっぱいに使って大きくゆっくりと声を出す。
「銀河ステーション」と叫ぶ車掌(知念史麻)さんは、まるで小人のようで可愛らしい車掌服を着て体をいっぱいに動かしながら表現する。
そして演出的に意図した訳ではないと思うが、劇場の外から微かに聞こえる井の頭線の通過音が、また宇宙の神秘的な効果音にも感じられてとても良かった。

子供向けの演劇作品だからだろうが、こんなにも心が洗われる芝居を生まれて初めて観た気がした。
それは、宮沢賢治さんが紡ぎ出した言葉の美しさ故でもあると思う。
分かりやすくリズミカルかというとそうでもなく、普通の抽象的な絵本の世界といった感じなのだが、その言葉たちが作り出す世界観にどこか魅了されてしまう。
このなんとも形容し難い魅力はまるで『銀河鉄道の夜』が持つ魔力のように感じられて、心地よい気持ちにさせられた。

作品の中に、りんごのメタファーがある。
りんごは食べてしまうと目の前からは消えて無くなるが、自分たちの体の血や肉になって存在する。
このりんごがこまばアゴラ劇場とも重なって凄く特別な意味を感じられた。
きっと私たちがこまばアゴラ劇場で観劇したことも、劇場はなくなっても観客の記憶の中にあり続ける。
観客や創作者の一つの体験として一生存在し続けるから、こまばアゴラ劇場はきっと無くなったりはしないんだと感じられて感動した。

役者さんも皆演技が清らかで達者だった。
青年団の俳優さんたちは、どこか素朴で透き通った魅力を感じられるから良い。
芸能人的なオーラが全くなくともお芝居の魅力とその素朴さで人を惹きつけられる。
そんな特別な魅力を持った俳優さんが多くていつも感動させられた。

こまばアゴラ劇場がなくなってしまうのは悲しいことだけれど、その最後の観劇が今作で本当に良かったと思った。
今作だったからこそ、こまばアゴラ劇場が無くなっても、それは決して永遠に失われないんだと思わせてくれて救われた気がした。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)




【鑑賞動機】

「こまばアゴラ劇場サヨナラ公演」のラインナップが発表された時、私は迷わずアゴラでの最後の観劇を今作にしようと決めた。それは『銀河鉄道の夜』をしっかりと演劇で観たことがなかった(ニッポン放送の『たぶんこれ銀河鉄道の夜』ならあった)気がしたことに加え、フィーリングで今作はアゴラでの最終観劇にぴったりの演目だろうと思ったからである。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

先生(高橋智子)は授業で天の川について解説している。ジョバンニ(山田遥野)、カムパネルラ(永田莉子)、ザネリ(福田倫子)が授業を聞いている。日本では「天の川」のことを天にかかる川と捉えて、韓国や中国、アラブの国々でもそのように命名されているけれど、西洋では「Milkeyway」と言ってミルクの道と言われるのだと言う。
ジョバンニは授業中居眠りをしていた。ザネリはそんなジョバンニを揶揄う。しかしカムパネルラは、ジョバンニの父親は北の遠くの国に行ったまま帰ってこず、母親も病気でずっと家にいて、ジョバンニがいくつも仕事をして稼いで家事をしないといけないから疲れているのだと庇う。そこからザネリとカムパネルラは口論してしまうが、先生が鐘を鳴らして止める。

ジョバンニは、パンと蜂蜜を買って自宅に帰る。自宅には、母(知念史麻)がいる。ジョバンニは母に買ってきたパンと蜂蜜をあげつつ、まだ牛乳が届いていないと会話する。
ジョバンニは、今日は星の祭りだと言うと、母はジョバンニに出かけて良いと言われたため、そのままジョバンニは夜、星の祭りを楽しむために出かけることになる。ジョバンニは、外で途中で牛乳屋(知念史麻)に出会い牛乳を届けて欲しいと伝える。
そのままジョバンニは夜の道を歩いていると、「ケンタウルス、露を降らせ!」という掛け声が聞こえてくる。それはザネリとカムパネルラだった。ザネリはジョバンニを見て、父親のことについてバカにしたような言葉を発して去っていく。カムパネルラは、物悲しそうな表情でジョバンニを見つめその後去っていく。

そのままジョバンニはステージを周回して寝転び、眠ってしまう。
目を覚ますと、「銀河ステーション」という声がどこからかしてくる。すると銀河を走る鉄道がやってきて車掌(知念史麻)が現れる。「銀河ステーション」はその車掌が発していた。ジョバンニは、その鉄道に乗り込む。
すると、列車の中にカムパネルラがいることに気がつく。カムパネルラはサザンクロスまでこの列車で向かうのだと言う。そしてジョバンニは髪が濡れていると言われる。

列車は出発すると、まず白鳥座ステーションに停車する。
そこでは、学者(福田倫子)が助手(高橋智子)を連れて化石を発掘していた。ジョバンニたちが勝手に何か足を踏み入れようとすると学者に注意される。掘り出した骨は、黒鳥の骨ではないかと助手がいうと学者はそうではなく、白鳥が昔は黒くてその時の化石であると解説する。今いる黒鳥は白鳥の進化した姿で別の種だと。
ジョバンニとカムパネルラは再び列車に乗る。すると、鳥捕り(高橋智子)がやってくる。鳥捕りは、ジョバンニとカムパネルラにビスケットを渡す。ジョバンニとカムパネルラは鳥捕りの話を聞いていると、灯台守(福田倫子)がやってくる。鳥捕りは列車を降りていく。

スクリーンに大きな土星の映像が映し出されて、灯台守は火山の噴火の話をする。大きな火山が噴火したら地球だけでなく他の星も影響を受けてしまうと。火山だって生きるのに必死なのだと力説する。
車掌がやってくる。乗車客の切符を確認している。灯台守もカムパネルラも切符を渡す。ところが、ジョバンニは切符を持っておらず焦り、どこかのいらない紙屑を渡してしまう。しかし車掌は、その紙屑を見て驚く。これは3次元空間の切符で、列車の終点まで行くことのできる特別な切符だと。ジョバンニは何のことか分からず呆然とする。
灯台守が列車を降りていく。そして、列車の外から灯台の灯りを明滅させながら合図を送る。

列車に少年(高橋智子)が乗ってくる。少年はジョバンニとカムパネルラにりんごを渡す。少年は、宇宙の真空について話をする。真空というのは酸素がないだけであって何もない訳ではないと。それと同じように、りんごだって食べてしまば無くなってしまうように思うけど、なくなった訳ではなく、体内に吸収されて血や肉になって存在するのだと。
少年は続けてこう言う。蠍が悪い虫のように思うかもしれないけれど、いざキツネに食べられそうになって追いかけられると井戸の中に入ってしまって、そこから出られなくなってしまう。そして、こうなる運命だったらキツネに食べられてキツネが明日も生き延びられるようになれたら良かったと言ったのだと。
少年は、駅に着いたので列車を降りていく。
列車の中は、ジョバンニとカムパネルラの二人きりになる。二人は「ほんとうのしあわせ」について会話する。ブラックホールが近づいてくる。ジョバンニは、カムパネルラと一緒なら怖くはないと言う。

ジョバンニは目を覚ます。ジョバンニは必死でカムパネルラを探し回る。すると、先生に出会う。先生は、カムパネルラが川に落ちたのだと言う。ザネリが川から落ちてしまって、それを救おうとカムパネルラは川に飛び込み、ザネリは救われたのだが、そのままカムパネルラはザネリを引き上げるのに力尽きてしまってそのまま沈んでしまったのだと。
先生はカムパネルラの父が見えたからと去っていく。ジョバンニは悲しさで言葉を失う。

ジョバンニはカムパネルラの父(福田倫子)に会う。カムパネルラの父は、カムパネルラが川に落ちて時間が経ってしまったのでもうダメかもしれないと言う。カムパネルラの父は、ジョバンニの父から手紙が届き元気そうだったと言う。今度遊びにおいでと。
ジョバンニは、本当の幸せについて話す。宇宙はどんどん広がっていくから人間はいつも一人なのだと、繋がっていても一人だと。しかしジョバンニの手の中にはカムパネルラの鳴らしていたくるみがあった。ジョバンニはそのくるみをずっと持っていると言う。ここで上演は終了する。

非常に御伽話のようで不思議な世界観の話で引き込まれるのだが、子供向けにしては非常に哲学的で難しい話だなと改めて感じた。しかし、こまばアゴラ劇場の閉館前最後の観劇でこの作品を観劇すると、また特別な意味合いを感じられて持ち帰るものがあった。そちらについては、考察パートで深く触れることにする。
話の真意は分からなかったとしても、改めてこの物語は子供にも読み聞かせてあげたいなと感じさせる物語だった。私が観劇した回は子供をほとんど見かけず大人たちばかりだったのだが、もし今作を子供たちが観劇したらどう思うのだろうかと気になった。私がもし子供の頃に出会っていたら、その世界観に魅了されて、ジョバンニが可哀想とか、ザネリは酷い奴だと思っていたかもしれない。
今回の観劇で、こまばアゴラ劇場の閉館という事実も相まって、この作品をさらに深く理解することができたかもしれないと感じた。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

子供から大人まで楽しめて、観ているだけで心が清らかになる神秘的な世界観がそこには広がっていた。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
こまばアゴラ劇場の小さなステージには、大きくてカラフルな積み木のような舞台装置が点在していた。三角形の舞台セットや円形の舞台セット、立方体の舞台セット、直方体の舞台セットなど形状も様々で、色も赤、青、黄色、白、緑などカラフルだった。役者たちは、その巨大な積み木のような舞台セットに腰掛けて椅子として扱ったり、机として扱ったりする抽象的な舞台セットだった。
非常に子供にも親しみやすいような優しさの感じる舞台装置だった。

次に映像について。
映像には、天の川の授業で天の川が投影されたり、ジョバンニが夜の町を歩く時に、絵本の世界のような町の建物の映像がジョバンニの動きに合わせて映し出されたりした。
列車に乗った後は、車窓から見える景色が映像で映し出されていた。白鳥たちが飛んでいく姿、灯台の灯りが明滅している映像。また、列車に乗る人たちの会話に合わせて映像が映し出されるシーンもあった。土星の映像など。列車の最後のシーンではブラックホールが映像に大きく映し出されて、ジョバンニとカムパネルラがそちらへ吸い込まれていくようであった。
映像に関しては、映し出す内容は良いとしてももう少し綺麗なスクリーンであっても良かったかなと思うが、アゴラにあるスクリーンとなるとこれが限度なのかもしれない。
映像が入ることによって、イマジネーションの部分が補われてストーリーはイメージしやすくなっていたかと思った。

次に舞台照明について。
照明に関しては、全シーンを通じてそこまで大きく変化があるようには思わなかったという印象。基本的に白く照らされていた印象があって、まるで夢の中にいる心地だった。

次に舞台音響について。
特段、何か効果音やBGMが流れる訳ではないのだが、生音が小さな劇場に鳴り響いていて好きだった。たとえば、先生が持っていた鐘の音。カランカランというあの感じがまた清らかな世界観を生み出していたような気がした。また、車掌のホイッスルも凄く劇場を響き渡らせていた。ピーという力強い音が静かな劇場に鳴り響くことで、どこか銀河鉄道が神聖なもののように感じた。
また、これは意図的ではないと思うが、こまばアゴラ劇場が割と劇場外の音も聞こえてきてしまう構造になっていて、会場内が静かだと時々井の頭線の通過音が劇中に微かに聞こえてきた。これが非常に世界観とマッチしていてびっくりした。井の頭線がこまばアゴラ劇場付近を通過していく時に、割と上空にある線路を通過するので、ゴーという音がする。それが『銀河鉄道の夜』で表現されている宇宙の広大さだったり、恐ろしさだったり、ジョバンニが感じている孤独感のようなネガティブなものだったりと、割とこの作品で描かれている不条理なものとマッチしていて効果音としても楽しめた。SNSの感想でも同じようなことを指摘している方が複数いて、やっぱり自分だけ気になった訳ではなかったのだなと思った。これは平田さん自身意図している演出なのか聞いてみたい所である。

最後にその他演出について。
まず「チーム白鳥座」に関しては、福田倫子さん、知念史麻さん、高橋智子さんの三人の俳優さんが、一人何役も熟されていて早着替えが大変だろうなと感じた。割と上演時間も短く違う役での登場まで短時間なので切り替えが大変そうだなと思った。けれど、少人数でやっているからこその良さもあった。
鳥捕りがジョバンニとカムパネルラに渡したビスケットが、おそらく鳩サブレだったのは面白かった。違ったら申し訳ないがあのサイズであの形だとおそらくそうだったと思う。鳩サブレである必然性はないし、ファンタジーの世界なので鳩サブレだろうと特定されそうなビスケットは控えた方が良いのでは?と思った。
後は、割と青年団の芝居にしては役者たちがステージ上を駆け回る演出が驚き新鮮だった。たしかに子供向けとあったら躍動感があるのも良いのかもしれない。ジョバンニがステージを何周も走って寝転ぶとか、ザネリがステージ下手側から登場して「ケンタウルス、露を降らせ!」と叫んで去っていくとか子供らしい演出があって作品と合っていた。けれど青年団の芝居で、そういった躍動的な演出を見られるのは珍しかった。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

青年団の役者は、決して芸能人のような煌びやかなオーラは全くなく、非常に素朴で、けれどグッと引き込まれる魅力を持っていて、それは役者としての演技力の高さ故のオーラと魅力なのだろうとつくづく思わされる俳優ばかりで素晴らしかった。役者ではないが、青年団の制作スタッフの方も非常に凛としていて魅力があった、受付も丁寧だったのも好感度高かった。
出演者が5人しかいないので、全員について記載していく。

まずはジョバンニ役を演じた山田遥野さん。山田さんは先日『S高原から』で演技を拝見したばかりである。
「チーム蠍座」を観劇していないので比較することは出来ないが、とても子供らしい無邪気で元気いっぱいなジョバンニだった印象がある。確かにこんなジョバンニのキャラクターだったら、ステージ上を走り回りたくなるのも無理はないと思う。
だからこそ、結構ポジティブなジョバンニにも感じられた。ラストも結局カムパネルラは川に落ちてしまうが、くるみを手にしているということで自分の中でカムパネルラは生き続けていると解釈も出来る。だからこそ、ポジティブな終わり方に見えて、それは元気いっぱいのジョバンニのキャラクター性だったからこそしっくりいったのかなと思った。女性の方だが、少年らしい感じも好きだった。
後は、凄く素朴で純粋な役者さんだなと感じられて好きだった。青年団の俳優さんらしい素敵な方だった。

次にカムパネルラ役を演じた永田莉子さん。永田さんの演技を拝見するのは初めてである。
永田さんも山田さん同様、凄く少年らしくて素朴で無邪気そうな所が好きだった。
今作のカムパネルラは、ジョバンニよりも賢く冷静であるようにも感じた。ザネリが一方的にジョバンニを揶揄っている時にそれを制したり、「ケンタウルス、露を降らせ!」と叫ぶザネリの後を追うカムパネルラは、どこかジョバンニのことを思って立ち止まってくれる感じも大人で優しかった。

ザネリ、学者、灯台守、カムパネルラの父の役を演じた福田倫子さん。福田さんの演技も初めて拝見する。
非常に背が高い俳優さんで、ザネリのようなお調子者の役が非常に似合っていた。わんぱくで人を揶揄う感じが非常に演技として上手いなと感じた。
また、学者では一気に年老いた感じの演技をされていて、その演技のギャップにも驚かされた。

ジョバンニの母、牛乳屋、車掌役を演じた知念史麻さんも良かった。
特に車掌の役が良かった。個人的には、車掌がホイッスルを吹く時に身体を存分に使って体を動かしながら表現する感じが非常に魅力的に感じた。なんかその動作全てが小人感があって、絵本に登場しそうな子供向けの作品らしさを感じさせてくれた。
「銀河ステーション」の声の発し方もパーフェクトだった。『銀河鉄道の夜』の中で個人的に好きなシーンの一つが、ジョバンニが目を覚ますと「銀河ステーション」と聞こえて銀河鉄道がやってくるシーンなのだが、知念さんの囁くような、でも力強くも感じる「銀河ステーション」が凄く神聖に感じられて好きだった。

先生、助手、鳥捕り、少年役を演じた高橋智子さんも素晴らしかった。
高橋さんは特に先生役が良かった。あんなに優しく「天の川」について語ってくれる先生がいたらきっと心清らかになるよなと思う。全てが平和で幸せな時間に感じられた。
声もはっきりとゆっくり丁寧で、こんなに丁寧に演技をしていると聞き取りやすくて魅力的に感じられ癒されるものなのかと感じられる。非常に先生役がハマっていた。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』の考察を踏まえながら、こまばアゴラ劇場の最後の公演として今作を見て感じたことをまとめておこうと思う。

『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治さんが1924年から初稿を書き始め、晩年の1931年まで書き続けたもので、彼の死後に草稿として発見されたもののようである。
『銀河鉄道の夜』は、第1-3次稿(初期形)と第4次稿(最終形)があり、第4次稿のみかなり異なっていて、最後にカムパネルラが川に落ちて行方不明になってしまう件があるのは第4次稿である。今回の平田オリザさん上演verも、第4次稿を元に創作されていると考えられる。

『銀河鉄道の夜』は、その哲学的な内容などから多くの研究者たちがこの作品の解釈に取り組んできた。
一番の有力な説だと、この銀河鉄道というのは死者を天国へと運ぶ列車と解釈されている点である。カムパネルラは、あの後川に流されて死んでしまうし、他に乗り込んできた乗客も死を迎える人物であると解釈されている。原作の小説には、船に乗った乗客がこの列車に乗り込んできていて、この作品が書かれた時代を考えると、タイタニック号が沈没した事故を取り入れているのではないかと解釈されている。宮沢賢治さんもおそらく、タイタニック号沈没事故には衝撃を受けたはず、そこから乗船客が列車に乗って天国へ旅立ったというのを、この『銀河鉄道の夜』で物語化したかったのではないかと推測されている。ジョバンニの髪が濡れた状態で列車に乗っていたのも、このタイタニック号の沈没を想起させるものなのかもしれない。
2023年4月にニッポン放送が上田誠さん脚本・演出で上演した『たぶんこれ銀河鉄道の夜』も、炎上など社会的に死んだ人を銀河鉄道に乗車させているという設定だったのも印象的である。

私が個人的に一番疑問に思ったのは、なぜ死んでもいないジョバンニは銀河鉄道に乗ることが出来たのだろうかということである。これには複数説がある。
一つ目は、ジョバンニのカムパネルラを強く思う気持ちがジョバンニを銀河鉄道に乗せたという解釈である。ジョバンニは学校でいつも孤立していて、そんなジョバンニを思ってくれるカムパネルラに対して特別な感情を持っていた可能性がある。だからこそ、ジョバンニがカムパネルラを強く思っていたが故に、銀河鉄道に一緒に乗れたのではないかという可能性である。
もう一つが、カムパネルラがジョバンニのことを強く思っていて、カムパネルラがジョバンニを列車に乗せたという解釈である。カムパネルラは自分は死んでしまうけれど、そしてジョバンニの目の前からは消えてしまうけれど、決していなくなってしまった訳ではない。ジョバンニの記憶の中にずっと居続ける。そう伝えるために、ジョバンニを列車に乗せたのかもしれない。

個人的には、今回の青年団での上演を考えると今作は後者の解釈の方がしっくり来るのかなと思う。その理由は、こまばアゴラ劇場の閉館前に今作を上演したという意味にある。
アゴラ閉館を目前にして青年団が『銀河鉄道の夜』を上演したということは、平田さん自身がこの作品とアゴラの閉館を重ね合わせたかったという意志も少なからず伝わってくる。それを象徴したのが、ジョバンニが列車の中で聞いたりんごの話である。
りんごは食べて目の前から消えても無くなってしまった訳ではない。体内の中で血や肉になって存在し続ける。狐から逃げて井戸の中に入った蠍も、狐に食べられた方が狐を長生きさせることが出来たと後悔しているのだから。
りんごが食べられても、食べられた人の体内で血や肉として残るように、こまばアゴラ劇場も無くなってはしまうけれど、この劇場で上演された作品の観劇体験や創作経験は、私たち観客や創作者の記憶や経験の中で生き続ける。そんなことを平田さんは、『銀河鉄道の夜』という作品を通じて伝えたかったのかなと思う。

『銀河鉄道の夜』では、「ほんとうのしあわせ」とは何かというのをジョバンニは問い続ける。誰かのためになることが幸せなのかと。こまばアゴラ劇場の閉館は、こうやって多くの観客や演劇創作者に感動を与えてきたので、多くの人を幸せにしてきたので、きっと「ほんとうのしあわせ」に辿り着いたのかもしれない。
そんなアゴラで感動を受け取った私たちは、「ほんとうのしあわせ」を見つけるために、今度は誰かを幸せにする使命があるのかもしれない。そうすれば、私たちの記憶と経験の中で生き続けるこまばアゴラ劇場もきっと無駄にはならないことであろう。

写真引用元:青年団 公式X(旧Twitter)


↓青年団過去作品


この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?