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不登校の息子くん、滑走路を行ったり来たり


息子のメンタル要因の腹痛は続き、長期戦の様相。
からだのしんどさに関しての願いをようやく言えるようになってきて、おそらく回復期の第二段階(何段階まであるかはナゾ)にきていると、不登校から回復した子を大勢見てきた方は言う。

学校という場がトラウマなので平日朝や学校で腹痛発症するけど、それ以外はのびのび過ごせる。ひきこもらず、いろんな人と会って楽しく過ごせる。たくさん笑うし、食べれるし、悪夢を見なくなった。ハードなスイミングもこなし、勉強も取り組める。

と、一見元気なので、「もう早退遅刻や欠席なんて甘やかしすぎなんじゃない」という身近な大人たちからの心の声が空気から伝わってくる。

でも、いま付け焼き刃で戻れても、生傷に塩を塗ってまた行けなくなって、深傷を負うだけ。その深傷は、いつか自分の命を手放そうとする思考に届くと想像している。

健やかな人は、飛んでいる飛行機のようだなぁと最近思う。
いま空港でメンテナンスしてる息子は、修理のための工場から出たり入ったり、というところか。

トラブルがあったとき、空港(親)が必ず着陸させてくれるかどうかの確認がようやく進んできたのかな。

私も母親として絶大な安心感を与える道半ば。
機体にトラブルがあるし、空港(親)はまだ未熟で不安な機体をどっしり受け止められないし。

滑走路に向かっては、また修理工場に戻ってくる感じか。

一見飛べそうだけど調整期間な息子と、まわりの心の声(と、それを想像してしまう自分)にまどわされずに関わっていきたい。

カウンセラーさんは、この学年いっぱいを使って通常登校に戻れるかな、くらいの長いスパンが大事と言うし、わたしもとてもそう思う。

自分の心を痛めつける癖をときほぐしている、いま。

無言でいてくれるまわりの大人たちのモヤモヤがふくらんでいるであろうなか、でもまっさらな気持ちで聞いてくれる可能性がとても低くて直接言う耐性はいまないから、わたしの言い分をここに書いておく。

本人は学校に行きたいのに腹痛が出てしまい、早退して安心しつつも悔しそう。友達と遊びたい、給食たべたい、と。甘やかしじゃないか、わがままじゃないか、と思ってる人にこの悔しそうな顔と、「いきたい!」という生声を聞かせたい。

不登校での学びはかなり大きいので、ひとつの文章にまとめておきないなとは思いつつも、まずはただの吐き出し文を。

住んでる市では一気に不登校がふえ、600人にものぼっているとか。
学校側は子供を「修正」するアプローチなんだなぁと体感する日々で、この数字はごもっともだよなぁとか、だれでもこれは起き得るなぁとか、渦中だからこそのことばも書いてはみたい。

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