あなたは、免許返納できますか?
最近、身近に起こった出来事で1番の衝撃といえば、仕事仲間の職人さんが車の免許を返納したことだ。
私は普段、着物を作る仕事をしている。着物作りの全体を統括するプロデューサーのような仕事で、卸先さんと職人さんの間に立つ役割だ。
免許を返納した職人さんは「糸目糊置」と呼ばれる工程を担当している。白生地に線を書いていくように防染用の糊を置いていく仕事だ。
彼は、バリバリの現役の職人。言わずもがな手先は器用。着物作り(友禅染)の1番最初の工程なので、図案を広げ、打ち合わせをする。その際のコミュニケーションで違和感もない。
こちらとしては、年寄りとして扱ったことがない。全然、元気。だからこそ、免許返納に驚いた。
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ただ、年齢を聞くと76歳。
そう聞くと免許返納も納得する。
奥様や息子さんの進言を素直に聞いたらしい。長年、助手席に座る人にしか分からない違和感があったのだろう。
すんなりと車を売り、潔く免許返納。
この話を聞いたとき、清々しさとカッコ良さを感じた。そして、自分自身に問う。
将来、同じことが出来るだろうか?
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もちろん、すんなりと免許返納ができるおじいちゃんになりたい。しかし、自分自身に同じことができるか、甚だ疑問だ。
というわけで、職人さんのように潔い決断をするためには何が必要か、一度立ち止まって考えてみた。
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まず、人の意見を素直に聞けるおじいちゃんでないといけない。そもそも進言されても、その意見を突っぱねるようでは話にならない。
おじいちゃんになったボクは、今よりもおそらく頑固になっているだろう。老いに気づいていても気づかぬふりを通しているかもしれない。自分自身の能力を過大評価しているかもしれない。
そんなおじいちゃんでは、免許返納できそうにない。
思うに、柔軟な思考を持ち続けることが肝心な気がする。常日頃から、学び続ける。若者に負けじと頭を使い続けることが、人の意見を聞くとこに繋がる気がする。
これは、思考の問題だ。
ゆえに、歳を取ってから、急に変えるのは無理だ。今から始めなければならない。いろんなことに興味を持ち、アンテナを張り、学び続ける貪欲さを持ち続けるのだ。
おじいちゃんになっても、本を読んだり、新しい経験をしたり、友達と遊んだり、人と話したりして、頭だけはバキバキに働かせる。若い世代の意見や考え方を取り入れるおじいちゃんになるのだ。
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それでいて、運転できずとも、痛くも痒くもないだけの便利な場所に住んだほうが良さそうだ。徒歩圏内である程度生活に必要なものが揃う場所がいい。
運転できなくなれば、少なからず不便になる。その不便さを極力感じさせない場所に住めるように家を守り続ける。
幸いそういう場所を選んで、家を購入した。おそらくそこに居続けることさえできれば、そこまで不便さを感じずに生活できるだろう。
お仕事がんばろう。
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そして最後に、免許返納のタイミングを周りに言ってもらえるおじいちゃんになる必要がある。
これは1番大事だ。
嫁さんでもいい、娘でもいい、娘の旦那でもいい、孫でもいい、家族以外の友達でもいい。同乗者が、私の運転に少しでも違和感を感じたとき、スッと言ってくれる人がいた方がいい。
どれだけ人の意見が聞けて、便利な場所に住んでいても、自分自身で自由の制限をかけることは、かなりハードな選択だと思う。
ましてや、私は運転が好きだ。誰からも指摘もされていないのに、自ら好きなものをやめるなんてことができる気がしない。
これは、甘えだ。
自分の弱い部分だ。
おそらく、自分では気づきそうにない。
だから、誰かに言ってほしい。
と言ってほしい。
そのためにも、人間関係を良好に保つことが肝心だ。一人ぼっちで免許返納はできそうにない。自分だけの判断で免許返納は、厳しいと思う。
人懐っこさというか、言いやすい、相談しやすいキャラにならねば。
さて、最後に皆さんに問います。
あなたは、免許返納できますか?
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