ツラいときこそ、ネタにせえ。
自分勝手な思考にほとほと疲れる。
他人に求めていないようで求めてる。
こうあって欲しいと願う。
それが当たり前になってる。
当たり前に甘えてる。
甘えすぎて、自分の傲慢な思考に気づかない。
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叔母が認知症になりました。
叔母さんと対峙したとき、真っ先にきた感情は「寂しさ」だった。
なぜか。
もう会えないからだ。
元気だった頃のおばさんにもう会えない。
ボケる前のおばさんにはもう会えない。
おそらく、ボクのこともすぐに忘れるだろう。次会うとき、叔母さんにとってボクは初対面の可能性が高い。親戚として認識されず、他人の30代男性として認識されるだろう。
*
例えば、両親が認知症になったとき、変化を認められるか。
認知症が進行すると、想像以上に嫌なことを言われるかもしれない。
「お前誰や?」とか序の口だろう。
「俺には、息子がいてな〜。そいつが嫌いでな〜。娘は出来がいいんやけど、息子がアホでな〜。あんなもん産まれん方がよかったかもな〜」なんてこともいわれるかもしれない。
親に言われたらショックなことはたくさんあるだろう。今は理性が働いてるから、なんとかなってる。ボケ出したら、そこが決壊する可能性は高い。
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今までの親。元気な頃の親。
認知症になる前の親を知ってるから辛い。
弱ってる親を認めず、今までの親を求めてしまいそう。
結局は、変化にビビってるだけなのかもしれない。
こうあるべき。
こうであってほしい。
そんな理想にすがるから苦しくなる。
親への感謝は計り知れない。
それはそれ、これはこれとして「変化」を受け入れる心を持てるか。
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認知症になった親も親であることに変わりない。
変化を認めた上で、接する。
大事にする。
親やもん。家族やもん。
存在自体が大きいねん。
*
おそらく介護してると、思い通りにいくことは少ないだろう。
いらんことやムカつくことを言われるだろう。
けど、その都度くらってたらメンタル持たん。
*
「ボケ」には「ツッコミ」で返したらんと。
要所要所で「すかし」もいれながら。
ネタに昇華したらんともったいない。
関西人やねんから、ツラいときこそ、面白くしたらんと。
それくらいの気概持てるように。
・こぼれ話 〜書く効能〜
これ、将来の自分に向けて書いてます。今回、思考を整理できたのはよかった。書いたおかげで、悩みが少し晴れた気がする。この感覚久々。noteしててよかった、
・最後に一曲
最後までお読みいただき、ありがとうございます!サポートしていただいたお金はビールかスーパーカップかおむつ代に使わせていただきます。 これからもゆるく頑張らせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。