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ツラいときこそ、ネタにせえ。

自分勝手な思考にほとほと疲れる。
他人に求めていないようで求めてる。

こうあって欲しいと願う。
それが当たり前になってる。
当たり前に甘えてる。

甘えすぎて、自分の傲慢な思考に気づかない。




叔母が認知症になりました。

叔母さんと対峙したとき、真っ先にきた感情は「寂しさ」だった。

なぜか。

もう会えないからだ。

元気だった頃のおばさんにもう会えない。

ボケる前のおばさんにはもう会えない。

おそらく、ボクのこともすぐに忘れるだろう。次会うとき、叔母さんにとってボクは初対面の可能性が高い。親戚として認識されず、他人の30代男性として認識されるだろう。



例えば、両親が認知症になったとき、変化を認められるか。


認知症が進行すると、想像以上に嫌なことを言われるかもしれない。

「お前誰や?」とか序の口だろう。

「俺には、息子がいてな〜。そいつが嫌いでな〜。娘は出来がいいんやけど、息子がアホでな〜。あんなもん産まれん方がよかったかもな〜」なんてこともいわれるかもしれない。

親に言われたらショックなことはたくさんあるだろう。今は理性が働いてるから、なんとかなってる。ボケ出したら、そこが決壊する可能性は高い。



今までの親。元気な頃の親。
認知症になる前の親を知ってるから辛い。


弱ってる親を認めず、今までの親を求めてしまいそう。

結局は、変化にビビってるだけなのかもしれない。


こうあるべき。
こうであってほしい。
そんな理想にすがるから苦しくなる。

親への感謝は計り知れない。

それはそれ、これはこれとして「変化」を受け入れる心を持てるか。


認知症になった親も親であることに変わりない。

変化を認めた上で、接する。
大事にする。
親やもん。家族やもん。
存在自体が大きいねん。

おそらく介護してると、思い通りにいくことは少ないだろう。

いらんことやムカつくことを言われるだろう。

けど、その都度くらってたらメンタル持たん。

「ボケ」には「ツッコミ」で返したらんと。
要所要所で「すかし」もいれながら。
ネタに昇華したらんともったいない。

関西人やねんから、ツラいときこそ、面白くしたらんと。

それくらいの気概持てるように。


・こぼれ話 〜書く効能〜

これ、将来の自分に向けて書いてます。今回、思考を整理できたのはよかった。書いたおかげで、悩みが少し晴れた気がする。この感覚久々。noteしててよかった、


・最後に一曲


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