やうやう 創刊号 vol.1 特集 「○○とコロナ」

記念すべき第一回目の特集をお届けします。
特集はコロナです。専門家でもない私たちが語るべきなのか、悩みもしましたが、今回の騒動(あえてそう記します。)は、多くの人の生活、仕事、遊び方に影響を与えているのは周知のとおりです。そうであれば専門家でもない私たちが何かを記すことも意義があるかと思います。

「2020の夏とコロナ」

忘れられない夏になった。

「ありがたい(有難い)」の対義語が「当たり前」だと知ったのは社会人になって随分たってからだった。「人に生まれることは難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」という釈迦の説法に由来するともいわれる。

同じ仏教由来の言葉に「おかげさま(御陰様)」がある。人は、木の陰で太陽の日差しを避けて休む。木は人のために陰をつくったわけではない。仏様や他人様のおかげで生かされていることを自覚し、感謝するという意味から来ているという。物事には「因果」がある。原因と結果。うまくいったときは「おかげで」。不都合になったときは「せいで」。日本語は奥深い。

忘れられない夏になった。飲食店は客が激減し、帰省や家族そろっての外出もはばかられた。夏の思い出は、コロナの「せいで」かき消された。

7月上旬。鹿児島市のショーパブで新型コロナのクラスター者集団)が発生、県全域に拡大した。折しも県知事選の真っ最中だった。過去最多となる7人の混戦を制したのは、「今でもない、前でもない」を連呼した「新しい人」だった。

ともに落選した「前の人」と「今の人」には、大きな違いがあった。前職は執務に向き合い、県民との接点はごくわずかだった。一方で、現職は徹底して地方のイベントを回り、県民に顔を見せ続けた。

前職と近しい人は「本当は人懐っこくて面白い人なのに…」と言う。私は一度だけ酒席をともにしたが、確かにその印象だった。が、3期12年間という任期中に、そして、4年という隠居中に、その「素顔」を体感できた人は、ごく限られた人たちだった。「近寄りがたい」という一度貼られたレッテルは、この選挙でも払しょくできなかったのだ。

もう一人の現職。私は自ら主催したイベントで二度、彼と会った。予定していた段取りを無視して好き勝手に振る舞う姿に、私はいらだった。それでも、地域の人たちは、知事が目の前に来てくれたことを喜んでいた。地方部で現職の票が優勢になった背景には、こうした4年間の「顔見世興業」の成果なんだと思う。

ある県議は「天文館のクラスターが発生してなければ、現職が勝っていた」と分析する。確かに、鹿児島市で新人は圧勝した。それほど、今回のコロナ禍は、県知事選に大きな影響を与えた。その意味で、新人の当選は、漁夫の利ともいえる。果たして、どう県政を運営し、県民と向き合っていくのか。

コロナ禍は学校も直撃した。7月下旬に大学生に講義する機会があった。学生は「コロナのせいで」リモート授業を強いられた。旅行も帰省も自粛した。一方、「コロナのおかげで」読書量が増え、自炊習慣が身についたと前向きにとらえる大学生が多かった。

本質が問われている。見せかけだけの笑顔と、隠された素顔。目の前の災難をただ非難して誰かのせいにするか、ちゃんと理解して今できることを模索するか。腹を満たすだけの飲食店と、心も満たすコミュニティーを共有できる飲食店…。選
                                                                                                                       城伊太織

「ファンクラブとコロナ」

幸か不幸か、私には信じる物がほとんど無い。いかなる宗教も信じてはいないし、妄信しているスピリチュアルもない。所属している政党も、この人でなくちゃ!という政治家もいない。宝塚やジャニーズのお気に入りもいない。偏りがないと言えば聞こえはいいが、なにかに猛烈に熱中したことがない、つまらない人間のように思える。

若い頃はそれなりにミュージシャンや俳優に憧れたことがあったが、ファンクラブに入ろうと思ったことはない。いや、チケットが取りやすくなるなら、と岡村靖幸のファンクラブに入ろうと一瞬思ったことはあるが、「ま、いいか」で三十年経ち今に至る。

我ながら冷めている。冷え切っているではないか。ファンクラブ追っかけをし、出待ちをし、結婚の報道に涙し、それでもずっと応援しつづける郷ひろみのファンのようにアツくなりたい。

今年、ひときわ巷をアツくさせるモノが現れた。「COVID-19」新型コロナウィルスである。それは毎日テレビやインターネットで報道され、各地方自治体がHPに特別なページを作ってまで案内し、世界中の人を魅了している。

そしてそんな折、私は一つのFBページがコロナファンクラブに変容する歴史的な瞬間を目の当たりにした。それはFBの「かごしまつながりの会」にコロナ関係の投稿が目立ち始め、ただでさえ奇妙なナショナリズムを持つ人が集まるグループの中でひときわエキセントリックな人の発言が始まりだった。「今は緊急時!みんなコロナの事を考えるべきでしょ!新しいグループを作ってる暇がないから、このグループでコロナの情報を共有すればいい」と普段鹿児島の風景やグルメなど牧歌的な投稿があふれるこのFBページを乗っ取ろうとしていた。それに対し、ここは鹿児島の良いところを投稿するページなのでコロナのことは新しいページを立ち上げ、そこに投稿すれば良い、としごくまっとうな意見が書き込まれたのだが、それに対する反論の声に驚いた。

「我々は耐え難きを耐え、しのび難きをしのび~」

ある熱狂的コロナファンがそう発言した。まさかの昭和天皇の終戦を告げる玉音放送のお言葉である。そう「気分はもう戦争」なのである。コロナが終わるまでは娯楽もせず、外出もせず、人にも会わず、自粛、自粛、自粛。

コロナのためなら何でもガマンする。コロナのニュースを見るためなら外出もしない。コロナのためなら(ストレスや貧困で)死人が出てもいい。コロナを軽視する奴は許さないし、仲間と一緒に制裁を加えてやる!と。

残念ながら今回も私はファンクラブに入ることが出来なかった。どうしてもコロナが夜しか感染しないとは信じられないし、コロナじゃなくても人間は死ぬんじゃないかと、薄々感づいてしまったからだ。

先日、新しく作られたコロナファンクラブのFBページを好奇心で覗いてみた。あんなに騒いでいたわりに大した情報や意見交換のない場になっていた。残念である。やはりファンクラブに入ったからにはファンは中身の無いコンテンツに熱狂し、支えて行って欲しいものである。
                                                                                                                              大浜

「飲食店とコロナ」

私はここ鹿屋で飲食店を経営しています。

多くの人がコロナの影響をうけて苦しい状況にあると思いますが、私たち飲食店もこの先どうなるかわからないという不安の中にいます。政府や地方自治体から「自粛要請」が発表されました。これは言葉としてはおかしいものです。自粛業中止要請」です。

ここ大隅、鹿屋の営業はどうだったかというと、個別で違いはあるとはいえ、そこまで落ち込んでいませんでした。全国で取引をしている業者などから聞いても、他の地域が8割減という状況の中、ここだけは2割減という状況でした。(あまり大きな声では言えませんが・・)

しかし、ここ8月に入って、県内でもクラスターが発生してか、落ち込みが最大化しているように思えます。ここ鹿屋でも、有名な店、事業所が複数閉店をしています。

そんな中、「新しい生活様式」なるものが政府から発表されました。『大皿はさけて、個々に取り分けてる料理、対面ではなく横並びに座ろう、おしゃべりは控えて料理に集中しよう』というものです。さらには大阪府では感染防止のため府民に対し8月1日から5人以上の飲み会を自粛するよう要請しました。

それだけではありません。政府は接待を伴う飲食店への立ち入り検査など、新型コロナ特措法以外の法律も持ち出して、感染防止対策を強化する方針です。そして、それに協力したにもかかわらず「夜の街」はすっかり感染拡大の悪者にされています。

ネタがベタになるという言葉がありますが、このままいくとすっかりこの「新しい生活様式」なるものがベタとして社

されるように飲食店に集まらないでも飲み会はできるし、自宅に集まろうということがふえています。コロナは、これらの新しい楽しみを人々に気づかせた形になったといえます。(大手外食チェーンは苦境に立たされているがスーパー各社は業績が好調です。)

この流れは長ければ数年つづく可能性もあると言われていますし、ワクチンができたら収束するという希望的観測もありますが、そんなに甘くはないでしょう。(映画「コンテイジョン」でみられるように、ワクチンができても、効果を疑問視する声があがり、値段の問題や、そのほか多くのデマ情報が流れるのは必然でしょう。)

では、こんな状況での飲食店はどうなるでしょうか?
率直な私の感想はこうです。

『厳しい。厳しすぎる。』

心からそう思います。・・・・・。

しかし、それはもう受け入れようじゃないか。誰もがこんな状況になるなんて思わなかったはずです。目の前の売上の減少、人件費、家賃などに追われているところが多くあるでしょう。こういうときだからこそ、原点に返ってみてはどうでしょうか?

【そもそも、僕らは金もうけがしたくて飲食店やってたのか?】

商売をしていると金もうけしか考えていないように思われがちですが、飲食店をやっている人たちは意外と違います。飲食店で金もうけをしようと思っている時点で、バカです。金もうけのセンスはゼロです。そういう人はこれまでやってきた情熱を、株式投資やFX、ネットのせどり、並行輸入にでもそそぐべきです。

私たち飲食店は、いい料理、いい店づくりがしたいわけで、金もうけはそのあとに付いてくるだけです。いい料理、いい店をすこしずつ広めていくことが私たちが生きる道だし、それが人生をかけてやる意義とやりがいだろうと思ってこれまでやってきたじゃないですか。そのことが、それこそウイルスに対する集団免疫のようにすこしずつ人々に広まって、いい店、いいお客さん、そしていい街をつくると信じてこれまでやってきたはずです。

胃袋に入ればなんでもいい、どんな食事でも、どんな環境でもいいなら、それは飼育された動物と同じです。

そんなんじゃ生活できない?

コロナ以前から、飲食店を別の仕事をしながらやっている人は多くいました。それでいいじゃないですか。

クレームが怖い?

自営業は、自由にやれることがいちばん、自営だからこそ、クレームに強いはずです。

そもそもお客さんが来ない?

確かにお客さんは今は来ないでしょう。けれど、絶対にいつかはもとの生活に近い日がやってきます。その日のために、お客さんが戻ってこられる場所としての飲食店、場を大切にしたい人が集う場所としての飲食店、それを守ることができるのは私たちなのではないでしょうか?
                                                                                                                      土屋耕二
                                                                                      鹿屋で12年間飲食店を経営。


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