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20分も走れなかった私が10キロ1時間で走れるようになった方法

私の本業はお金の教育の開発であるが、お金の教育の開発の中で、やる気のメカニズムも深く知るようになった。

それはお小遣いを「報酬制」で与えると、「(子供たちが)やらなければならないと分かっていながら、なかなか取り組む事が出来なかったようなことができるようになる」という成功体験が我々に届き始めたことがきっかけとなっている。

【お小遣いを報酬制で与える】

なぜお小遣いを「報酬制」で与えると子供たちに自主性が育ち、なかなか取り組めなかったことに取り組めるようになるのか?

それは「お小遣い」がやる気を作り出す「報酬」として働くからである。

やる気には「内発的動機付け」と「外発的動機付け」という2つのタイプに分けることができるが、報酬は「外発的動機付け」という種類に属する。

少し説明すると、「内発的動機付け」は「興味や好奇心、そして意欲」が原動力となっている。すなわち、昆虫好きな子供が図鑑を読むという行動をとるのは、この「内発的動機付け」が働いて「図鑑を読む」為のやる気を作り出してくれているのである。

一方「外発的動機付け」は報酬や評価、さらには罰則や懲罰などが作り出すやる気の事を指している。

例えば、お小遣いやボーナスは「報酬」に分類され、親や上司から褒められる事は「評価」となる。さらに叱られるという事は「懲罰」になり、罰金のようなペナルティーは「罰則」となる。例えば、タバコのポイ捨てに対して罰金が課せられることでポイ捨てをしなくなるという行動ができるようになるのはこの「罰則」が行動を変えるやる気を生み出してくれるからだ。

我々はこのように、やる気は内側から働くものと外側から与えてもらえるものがある事を学ぶことが出来たのである。

【コロナ禍で増加した体重と生活習慣病へのリスク】

コロナ禍になりもっとも変わったことは生活環境とそれによる生活習慣である。出勤の習慣がなくなり、全ての仕事が在宅となった。すなわち、常に自宅にいて生活の全てが完結するようになったのである。

そうすることで、外出頻度が極端に減り、さらにはそのストレスと冷蔵庫が目の前にある環境で間食が著しく増えるようになったのである。その結果私の体重はみるみる内に増え、服のサイズもひとサイズ、ふたサイズあげなければならなくなった。

コロナ禍で一年が過ぎ、昨年の夏に迎えたのが健康診断である。

そしてその時に初めて生活習慣病リスクが高まっている事が医師より指摘されたのだ。

ただ、体重が増えただけだと軽く考えていたが、色々な健康を表す数値が悪化していたのは、ショックであった。年齢の事も考えずに運動もせず間食を続けたらこうなることくらいは想像できただろうが、コロナ禍という特別な時間の中で、「コロナ禍だからしょうがないよね」と言い訳をしつづけた事が結実してしまったのである。

【生活習慣病という懲罰・罰則をやる気に変えた】

コロナ禍で体重と生活習慣病のリスクの増加に直面したわけであるが、私自身はやる気のメカニズムの学びも同時に得ていた。

なので、このショックをやる気に変える事への判断は早かった。さらに区からの健康サポート(栄養士による食事と運動管理)も半年間無料で受けられることも私にとっては「評価」というやる気を与えてくれることが分かっていたので、積極的に利用した。

【継続力があるからこそ生きてくる助言】

このようなやる気を得たからこそ、重い腰をあげ、運動を開始したわけだが、当時の私は走るといっても20分で息があがるような状態であった。

実はコロナ禍で体重が増加傾向になる事は分かっていたので、健康診断の結果を手に入れる1年前から少しずつランニングなどは始めていたのである。

しかしながら、そもそもランニングは得意で無かった私は走り始めたころは20分も走れば息絶え絶えとなっており、本当に「辛い」という感想しか無かった。

しかし、週に1回でもいいからと自分に言い聞かせ、なんとか1年続けて走っていた。しかし健康診断時も30分走れるかというような感じであった。

しかしながら、栄養士からは週3回、それぞれ1時間ずつ走る位まで運動量を増やす必要があると言われてしまったのだ。

当時、もしやる気のからくりを理解していなければ走る事の継続は難しかったと感じている。

しかしながら、自分にとって効果的に機能する「外発的動機付け」が「評価」である事を知っていたので、「評価」を受けられるようなしかけは大いに使った。

半年間にわたり毎月電話サポートを与えてくれる栄養士に加え、月2回お世話になっている鍼灸師の先生からの「体重を落とせてますね」という「評価」も大いに自分のやる気に変えた。

自分の心の中ではあるが、栄養士からの電話サポートの際に、体重を落としたことを報告した上で、栄養士から「順調に頑張れていますね。よく取り組めていると思います。」といったような「評価」をまた来月ももらうぞ、という事を私はモチベーションに変えていた。

さらには鍼灸師には「凄い、継続して体調改善に取り組めてますね。流石ですねー。」という言葉を自分に与えてもらった「評価」として心にとめ、これもまたやる気に変えていった。

このようにやる気を自分なりに増やすことで、何とか継続力を手に入れ続けたのである。

そしてある時、ランナーでもある鍼灸師に、1年間自分なりに走り続けてみたが、なかなか呼吸器系の運動力が上がらず、走り始めて10分くらいで息が上がり、そのあとはずっと辛い状態が続くというような話をした。すると鍼灸師が歩幅を小さくして、足もあまり上げずに「おじいちゃん走り」のようによちよち走るイメージで走ると心拍数も上がらず少しは楽に走れるかもしれないというような助言をもらう事ができた。

そしてその助言通りランニングの際、出来るだけ歩幅を小さく、スピードもあげずに、よちよち走るイメージで走ってみた。

すると、驚くほど楽に走れたのである。

この方法で走るようになってから、徐々に走れる時間も長くなり、結果的にその分の筋力も付くようになったおかげで、この助言から1年が経とうとしている今、私は毎週3回、一時間で10キロの距離を走れるようになったのである。ふと気が付いたらひと月で100キロ以上走れるようになっていたのだ。

【ランニングのコツの前に、、、】

今回は少々大げさなタイトルでの投稿となったが、20分も走れなかった私が1時間で10キロを走れるようになったのは、間違いなく継続力を支える為のやる気を作り出すことに成功したからである。

もし「外発的動機付け」のメカニズムを理解せず、精神論だけで取り組んでいたら、間違いなく「歩幅を小さくする」というアドバイスを手に入れる前に走ることを止めていただろう。

それほど、当時の息切れは辛く感じていた。

さらに、走れば走るほど体だって痛いところが増えた。私にとってランニングは「息が苦しくなり、体に痛いところが増える」ようなモノだったのである。

しかしながら、諦めず、体が痛くなれば少しランニングをお休みし、痛みが無くなるとまたランニングを再開するというような事を繰り返した。しかし諦めずにこのような作業を繰り返すことが出来たのは間違いなく「外発的動機付け」を意図的に働かせることが出来たからである。

私にとってランニングに対して働いている「内発的動機付け」はおそらくないと感じている。

ランニングに対して興味・好奇心があるわけでもなく、ランニングに対し意欲という意欲も働いているような気がしない。しかし、今では走った後の爽快感や、健康を手に入れられるという「報酬」という「外発的動機付け」が私のランニングを継続させてくれている。

もし、爽快感や健康が手に入らないのであれば、私にとってランニングに取り組む為のやる気はなくなり、走ることを辞めることになるだろう。

確かに「長距離 走れるようになる方法」と調べれば沢山の方法論が出てくる。しかしながら、そもそも「走れるようになるまで走り続ける」というやる気を作り出す方法が紹介されている情報はほとんど見つからない。

そのような中、少なくとも私とって、20分程度の息さえ持たなかった私が、1時間で10キロ走れるようになった方法は確かに「おじいちゃん走り」というような歩幅を小さくした走り方とも言えるが、そもそも走ることに興味がない私を2年間以上走らせ続けた「やる気を作り出す方法」こそ、私が長距離を走れるようになった方法と考えている。

もし継続力を作り出すことが出来なければ、せっかく先人達が提供してくれているコツや方法、そして助言は「猫に小判」となってしまうのである。

やる気を作り出すことを学ぶことはきっとより高い目標に自分を到達させてくれる武器となるだろう。


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