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【作者解説】歌集の「あとがき」について

「あとがきの解説」というのも妙な話だけれど、このシリーズのタイトルはすべて【作者解説】で始めてしまっているので統一する。関連する記事は以下の通り。

この記事を書くことにした経緯→

20首連作「ぺらぺらなおでん」解説(Amazonから無料で作品が読めます)→

第1回笹井宏之賞を受賞した連作「母の愛、僕のラブ」解説(作品未読でも読める内容です)→

本記事では歌集『母の愛、僕のラブ』の作者解説シリーズ最終回として、「あとがき」について書く。作者解説そのものが無粋とも言えるのに、「あとがき」の解説はとても無粋だと思う。

それでも歌集について書くことにしたのは、最初の記事でも述べた、歌集出版からコロナ禍を経て訳のわからないまま4年が経ってしまったので、5年という節目をうっかり迎える前にしっかり振り返りたいと思ったからだ。そして「あとがき」について書くのはたびたび言及されるからだ。おそらく他の歌集よりも「あとがき」の感想をいただくことが多く、また、書評などでも触れられることが多かった。

これは作者として想定外だった。「読者のウケを狙っている」という意見も拝読したが「あとがき」で読者ウケを狙う著者がいるとすれば、作者自身に人気がある人か、次の出版が控えている人くらいではないだろうか。ただ、ウケを狙ったと言われるほどこの「あとがき」について反応があったことは事実で、最後のページまで読んでもらっているんだなあ、と純粋に感動した。

今後も何らかの形で短歌を発表しつづけるとしても「あとがき」まで書ける書籍を出せるかはわからない。もしかしたら「あとがき」を書くのはこれが最初で最後かもしれない。そう思いながら全力で書いた。短歌はともかく、2019年当時の自分の全力の散文は力が入りすぎていて、いま読むと気恥ずかしさもある。

これから書く私のことは、忘れてしまってほしいと思います。
なぜなら、笹井宏之賞を受賞したのは私ではなく、私の短歌だからです。

「あとがき」冒頭


短歌の新人賞を「誰が」獲るかというのは、応募者を含む一部の人々にはホットな話題だが、第1回笹井宏之賞については「初回」且つ「歌集出版権付き」だったため、かなり注目が高まっていたと思う。誰々の歌集が読みたいから受賞してほしい、というツイート(ポスト)も目にした。

そこへ、とにかく無名の柴田が大賞を受賞した。作品や選評は短歌ムック「ねむらない樹vol.2」から読める。

私は、私の作品が最も優れていたとは思わない。候補作や個人賞受賞作、選評を読めばわかる。そもそも、タイムや得点などの数値では測れない短歌において、評価は視点や側面ごとに変化するものだ。特に数十首というボリュームある作品を選考する短歌新人賞等では、もし選考委員が一人違えば、もし別の作品が候補に残っていたら、なにか一つの「もし」があれば結果は変わる。だからこそ、選考委員の方々は読みに読み込んで何時間も議論をしてくれる。主催者は、信頼に足る結論を出せる選考委員を選んでいるはずだ。

繰り返しになるけれど、私は「私の作品は良い」という自負はあったけれど(だから応募した)あらゆる側面から見て一等賞だったかというと「そうではない」と考えている。わかっている。私だって結果には驚いたし、驚きと喜びが一旦過ぎ去ったあとには「私より受賞すべき人がいた」と思った。自分のキャリアや作品に自信を持ちきれず、そう思ってしまった自分がとても嫌だった。

だから初めて、私は自分の筆名をググった。どのように結果が出てどのように受け止められているか知りたかったからだ。

そして気づいてしまった、
「短歌界隈」にも「2ちゃん」掲示板があるということを。
あ、もう今は「5ちゃん」か。2ちゃん時代の人間なもので。

「笹井宏之賞を受賞した柴田って誰?」「どの選考委員のコネなんだ?」「どういうツテだ?」と短歌5ちゃん掲示板は混乱していた。私もそれを見て(ホントだよね、誰だよって感じだよね、誰だよ)と心底同意した。
そのあと、面白さが込み上げてきた。

私が無名だから、こんなに混乱を巻き起こしている! すべての短歌新人賞はコネだツテだと言っている人々が、私が無名すぎて混乱している!

こんな自分でも歌集を出版できる、その幸運に改めて気付かされた。主催の書肆侃侃房さんだって、もちろん歌集から儲けが出る方がいいし、笹井宏之賞がより話題になった方がいいだろう。期待のあの人が受賞し、第一歌集が出る方がどんなに「お得」だっただろうか。それでも、応募作品の匿名性は完全に保たれ、公平公正な議論の末に結果が出された。作者の私が無名だろうがなんだろうが関係ない。とにかくあの選考において「母の愛、僕のラブ」という連作が選ばれたのだ。選ばれたのは私ではなく短歌だ。

評価された私の作品を前にして、私は無力だ。逆に言えば、私の短歌には私以上の価値があると思った。

多少なりとも私に短歌の素養があるのなら、この幸運を全力で受けて歌集を出版し、2回目以降の笹井宏之賞に繋ぎ、そして「初回の受賞者が柴田で正解だったなあ」と思わせてやりたい。
誰に? おそらく、私自身に。「私が受賞して大正解だった」と思えるようになりたくなった。

そこからは一度も、受賞に後ろめたさを感じたこともなければ、5ちゃんを見たこともない(楽しめないなら見ないほうがいいと思いますよ)。

ーーー

私は小さいころから言葉が好きで本の虫だった。自分で小説も書いてみたし、漫画も描いてみたが、掌編以外はひとつも完成しなかった。長くなればなるほどつまらない内容だったからだ。友達と遊びに行くときにも、私が計画すると妙につまらない気がした。他の誰かが計画した方がよっぽど面白かった。いずれにしても私自身の器の小ささが露呈され、ひどくチープに思えた。

このように、なぜか私はずっと自分に自信がなかった。幸にして恵まれた生活を送ってきたにも関わらず、とにかく自分に自信がない。ダメだとも思わないけれど、ダメじゃない理由もない。能天気な人間もいれば、自責するほうが楽という人間もいる。

そんな私が活路を見出したのが短歌だった。短歌は、自分の価値を認められないのなら認められないままで、その不足を隠す必要がないような気がした。

私が短歌を好きな理由のひとつは、短歌が「情報量の不足」をいかす文芸だからだ。31音は短すぎて「正しい情報伝達」に必要なデータが充分に含まれない。だからこそ、読者側に考察(読み)を促す「余白」が発生し、読者は「自分自身」に、あるいは「身近な人」に、あるいは「推し」に、引き寄せて解釈する。このライブ感と可能性が好きだ。
余白は、当然ながら余白まで含めて表現となる。つまり自分自身の言葉のみならず、自分自身の言葉が「ない」部分も表現として使用可能になる。
そして、連作になれば一首と一首も間にも余白が発生する。これが作る方としても読む方としても、最高に楽しい。

【作者解説】短歌50首連作「母の愛、僕のラブ」

これは前回の記事に書いた内容だが、自分の性格面から説明すれば前述のとおりである。

あなたの手にあるその短歌は、あなたです。
私から生まれた短歌ですが、その短歌は私ではありません。あなたにしてください。
私のことは忘れて、あなたにしてください。

「あとがき」

本記事をここまで読んでくださった人には、上記の意図も伝わりやすいかもしれない。歌集に収録されている短歌は、私から生まれたものだけれど、私自身ではない。読者に読解されることで、私の短歌は「私以上」の価値になる可能性があると、私は理解している。

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この「あとがき」の「私のことは忘れて、あなたにしてください」という部分には、もっとも言及が多かったと思う。もちろん、文学を研究するには作者やその時代を踏まえるべきことを、私も一応は文学部出身であるから理解している。研究に意義があることも知っている。それらをないがしろにするつもりは決してない。今なら、もう少し違う書き方をしたかもしれない。

この「あとがき」は、たとえば装画に惹かれてジャケ買いした人、プレゼントされた人、さまざまな歌集を読みあさるのが好きな人に向けて「この歌集を読む際には、著者のプロフィールは頭に入れなくて大丈夫です。私の身に起こった事実をそのまま書いているわけではないので、あまり意味がありません。どうぞ自由に読んでください」ということを記しておく必要があると思ったからだ。なぜなら、私はすでに作品を知られている歌人ではなかったからだ。

知られている歌人の歌集なら「この人の作品はフィクションとして読む」「作者の実体験に基づいている」「時系列にそって収録されている」等の前提の共有もあるだろうが、無名の私はそれらが一切ないのだから、せめて書けるところに書いておこうと思った。「柴田葵という著者は何歳でどの地域に住み、おそらく性別はこうで、ツイートから家族構成はこうで、学歴と職歴はこうで、だからこのように読解するのが正しい」という読解をする必要なありません、と記しておきたかった。そういう読解をすべて否定しているわけではなく、むしろ、そのような読解が短歌において誤りだとは限らないからこそ書いておきたかった。

このように、真剣に書いた「あとがき」だった。そこまで読んでもらえるのはうれしかった。そして「あとがき」にも反響がもらえることはありがたかった。

ーーー

以上で、歌集『母の愛、僕のラブ』への作者語りを終える。

本を出してから4年間、さまざまな理由から、短歌に全く手をつけられなかった時期もあった。それでも、私は短歌を手放したつもりはない。もう手放せないと思う。歌集を出してから作った短歌もどれもとても気に入っている。いつかまた本を出したい。2024年はたくさん短歌をつくり、文章を書き、新しいこともやれたらうれしい。

笹井宏之賞は、現在では第1回の倍ほどの応募数がある。例年9月締切だったが、今年から締切が早まり7月になった。応募を予定する人はご注意ください。

柴田葵








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