きみは短歌だった

【明日①】 あしか見に行こうね、あしかは今日だって生活していたけれど、週末/柴田葵

あなたと私は家族になったけれど、それは法的なもので、しかも日本の法律ではない。私は日本で生まれたけれど、死ぬのは日本ではないんでしょうね。正直に言うと私はそれを少し寂しいと思っていて、でもなんで寂しいのか全くわからない。生まれてから四半世紀くらいを日本で生きてきたから? じゃあ四半世紀以上、この国で生きれば寂しくなくなる? この質問は恐らくあなたを傷つけているんだけれど、あなたは笑って「一緒に試してみよう」と言う。日本語で言う。死ぬまで一緒に楽しく生活しよう、そして、答えを見つけよう。あなたは優しいから、私が弱っているときは日本語で話す。そして私は、私が弱っていることに気づかされる。

この国の公用語は英語だけれど、英語を話せない人間がたくさん生活している。国は国民に対して「公用語を話せて当たり前」と思っていないし「言葉自体を話せない人」すら日常的に想定されている。話が通じない可能性がある、理屈が通用しない可能性がある、仲良くなれない可能性が高い。人々は人間について諦めているようにも見えるし、その諦めのなかで私は呼吸ができている。今も、子供らを四人連れた臨月の妊婦が、産科病棟のスタッフに泣きついている。ひどく伸びたTシャツに美しい黒髪、訛りの強い中国語で、その場にいる誰もが彼女を理解できずにいる。栗色の髪のスタッフが、首を横に振って中国語の通訳に内線をかけている。通訳が来れば言葉は理解されるだろう。けれども、あの妊婦の涙は理解されるのだろうか。

定期健診で「お腹の子の脈が早い」と指摘されエコーを受けたけれど、心臓については特に問題ないそうだ。ただ、羊水の量が若干少ないと言われ、来週もまた検査に行くことになった。私も人間で、お腹の子も人間なのに、わからないことばかりだ。私がこの子を産めば、この子と私は法的に繋がるはずだけれど、法律を超えた繋がりも発生するんだろうか。こんなにあなたのことがわからないのに。あなたのこともあなたのことも、わかる気がしないのに。

人間でないものを見たい。わかりあえないと諦めきれるものを見たい。水のなかで暮らす獣たちに会いたい。水のなかにも秩序とか、もしかしたら彼らなりの法律があるのかもしれないし、彼らは彼らの生活をしているという点では、人間と何にも変わらないだろう。けれども私は、彼らを諦めることができる。そして可愛いと思える。躊躇うことなく、自分を重ねることすらできる。

明日の明日の明日、あなたと私とみんなで、水族館へ行こうね。


◇短歌◇
あしか見に行こうね、あしかは今日だって生活していたけれど、週末
/柴田葵『結婚記念日と歯痛』NHK短歌テキスト2017年6月号

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